65.h.
2016 / 12 / 29 ( Thu )
「迷惑ばかりかけてますね。でももう少しだけ、お付き合いいただけると嬉しいです」
「ああ」
 迷惑はお互い様だと思ったが、言わなかった。
 数分間、静かに茶を啜った。忙しそうに走り回る給仕の姿が視界の端に入る。店にとって最も客の多い時間帯だからか食べ終わった皿がなかなか片付けられないし、支払いもできない――が、急いでいないので、それらは別に気にならない。のんびりと茶を飲み、カップが空になるとまたポットから補充し、食事からの後味をゆっくりと流していった。

「平和ですね」
 んんん、とミスリアは椅子に座ったまま伸びをした。「そういつも劇的な出来事ばかりじゃたまりません。きっとこんな瞬間の為に、頑張ってるんです」
 ――夕焼けの赤みを帯びた少女の横顔はいつもと違って見えた。
 初見では見逃していたが、こうして記憶を再現していると、やや伏せられた眼差しの奥に秘められた情熱に気付いてしまう。

「こんな日がずっと続けばいいのに」
「そうだな」
 はっきりと肯定すると、ミスリアはきょとんとしてから、はにかんだ笑顔を見せた。
 ありふれた日常の中の大して特別でも何でもない日。平穏を望む心を同じくしていると、なんとなく感じられた瞬間だった。


 泣いている、と自覚した時には本来の時間に戻っていた。
 天と地の境界に夜明けの気配が迫っている。おそらく一生の間にそう何度と目にかかれないような眺めだが、感動していられるような心境ではない。
 遥か下の地上に、わらわらと人が集まっているのが見えた。何人かが異変に気付いて、近所の者を起こしに回ったらしい。
 地上の人々は聖獣の後を追うように走り、追いつけないとわかるとその場に跪き、降り注ぐ金色の光に向かって両手を伸ばした。

「なんて神々しいお姿だ!」
「信じられない、尊き聖獣をこの目で見られるなんて……!」
「神々の恵みだ!」
「救済だ! この光景を永遠に記憶に刻んで……いや、絵に起こさないと!」
 悦び、涙する人間が続出する。抱き合う者も居た。

 地上の反応をよそに、聖獣は全く翼を休めない。村の上を通り過ぎると今度は丘の上を飛んだ。山や谷を越え、河を飛び越える。ひたすらに民家の上に聖気を振りまき、瘴気の濃い地を祓って行く。此処がアルシュント大陸のどの辺りに該当するのかは知れない。あれから何時間、或いは何日経ったのかも知れない。

 涙は拭わなかった。
 ミスリアが勝ち取った未来が、伸び伸びとこの下に広がっている。
 価値が無いなんて、本気で思っているわけがない。
 彼女もまた欲を持っていた。それを手放してでも大義に身を投じようと選んだのは、心の広さゆえだ。自身と愛する者たちの平穏な一瞬の為に、ミスリアは頑張った。そこに留まらず、顔も名前も知らないその他大勢の人々の平穏の為にも、頑張りたかったのだろう。

 ――感化されていた。
 ミスリアの目標を応援しようと思っている内に、目標そのものにも感情移入していたらしい。
 かつて姉を真似て聖女になったミスリアは、自分だけの信念を定めようともがいていた。そしてあの日、ポットパイの残りカスを前にして明かした胸の内は、濁りない彼女自身の本心――聖女ミスリア・ノイラート自身の言葉だった。
 ならばゲズゥ・スディル・クレインカティは、何を選ぶのか。半端な覚悟で人智を越えた存在に挑んだのは、何故か。

『可愛いな。ヒトの優柔不断は、何時の時代も可愛い』
 聖獣が笑っているのがわかる。もはや不快感を覚える気力すら沸かなかった。
『そろそろ、形を成せるようだ。吐き出してやろう』
「吐き出す」
 すかさず復唱した。

 項垂れていた頭を素早く上げた。
 この巨大な異形は今何と言ったか。
 ――吐き出す、だと?
 口が無いのにどうやって――との余計な思考は隅に追いやって。

「…………飛行に付き合わせたのは」
 唸るように低い声で問い詰める。
『長時間、我に触れていれば、強制的に穢れが払拭される。汝とその血筋の業はこれのみで浄化できるものではないが、少なくとも、いくらか運命は緩和されたであろう』
 絶句した。
 呆れた、のかもしれない。

「何の為にわざわざこんな真似をする」
 まさか。まさか、最初から。「吐き出そう」と思えば、出せるものだったのか。
『はて。問えば何でも教えて貰えるとでも思うたか。己で考えてみよ、愚か者』
 反論する間も与えられず。

 ――振り落された。



ラストまでがジェットコースターですよとは言いましたが、やっぱ落ちましたね(物理

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06:29:53 | 小説 | コメント(0) | page top↑
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