65.i.
2016 / 12 / 30 ( Fri )
 これは死ぬ。万が一死なずに済んでも、相当痛いはずだ。
 聖獣は一体何がしたいのか、皆目見当が付かない。
 そんなことを思いつつ、落下の最中、肌寒さに震えた。さっきまでは緑の残る暖かそうな地域に居たのに、また移動していたのか。聖獣と共に在ると時間の感覚が歪んでしまうようだ。

 さてどうやって着地すれば少しでも痛くなくなるか、そろそろ対策を立てねばなるまい――と、身を捻って反転した。耳朶を打つ轟音が、近付く地面が、恐怖心を煽る。
 ふいに、視界に大きな動きがあった。
 真下に現れた水晶の並びに驚き、瞬く間に巨大な背の上に座り込んでいた。

『どうだ、我の守護者を務める気になったか』
 などとほざく化け物に対して――
「ふざけるな」
 ――とゲズゥは吐き捨てた。
 わざと恐ろしい目に遭わせてから助け、好感を得る作戦であるならばとんだ茶番である。
 聖獣は悪びれもせずに答えた。

『どの道、これから贖罪に忙しそうだな。致し方ない、何時(いつ)か汝らの子孫を貸せ。それで手を打とう』
「寝言は寝てからにしろ」
『おお、冷たい。我はこんなにも汝らによくしてやったのに。敬わぬか』
「…………」
 もう何も言うまい、とゲズゥは胡坐をかいて瞑想し始めた。一体此処で何をしているのか――再度振り返りそうになる己を律する。

 ――また、逢える。
 希望の形を想うだけで、心は逸り、そして凪いでいった。
 やがて聖泉の域に戻った。先ほどの扱いとは打って変わって聖獣は今度は丁寧に地に降ろしてくれた。聖獣の背の温もりに慣れてしまった後だと、雪の積もった地面はやたらと冷たく感じられる。
 それなりの時間が経っているのだろう、そこにリーデンの姿は無かった。

『個と個の軸が収束した。望んだ結果は、もたらされる』
 ざわりと冷たいものが背筋を這いあがった。これまでに気安く話しかけてきた時とはてんで違う、底知れない畏怖を植え付ける「声」だ。身構え、声の主に向き直る。
 巨大な異形の輪郭が膨張した。間近で見上げると、背景の紫色の空と相まって、奇怪な有り様だった。

 聖獣の顔部分を覆う水晶の群に割れ目が現れた。亀裂はたちまち大きくなり、ついには空洞と化した。空洞の中は六色に煌めいていて奥を覗くことができない。眩しさに、ゲズゥは目を眇める。
 空洞が広がっていく――
 後退った。この穴に捕まってはいけない、本能がそう警告している。
 ――あんなものの中に、望む答えがあるのか?
 霊的な現象に関して決して詳しいとは言えない自分にも、あの「口」の異質さには瞬時に気付けた。

『汝の勝ちだ。何故、賭けであったかは自ずと知れよう』
 空洞から光の帯が無数に躍り出す。避けようにもそれらの追跡はあまりに速く、あっという間に抱き込まれた。
 形容のしようがない感覚だった。神経という神経が焼かれたかと思えば、微睡みに抱かれ、感情も思考も響かない海に連れ去られた。
 意識を失ってはいない、と思う。しかし目が覚めているとも決して言えないような状態だった。
 ゆらり、ゆらり。限りない海に漂う。

_______

 五感と再び自我が繋がった時、相も変わらず時間の経過がよくわからなかった。
 夜空を見上げているが、記憶の中で最後に見た夜空とは大分違う。月の満ち欠けによれば数週間は経っていそうだ。
 ひどい目に遭ったものだ。よもや、神などの有無に何ら執着せずに生きてきたゲズゥが、神々の遺物とこんな風に過ごすことになろうとは。

 寒々しい空に向かって短いため息を漏らした。白い息が空気に溶け込んでなくなるのを見届けると、その向こうに、摩訶不思議な現象を見つける。
 光がうねっている。幾重もの薄緑の線が伸び、波打って、広がる。時折、色も変化した。
 今更何を見たところで驚くものかと、目を瞬かせる。

「きれいですよね」
 鈴が転がるような澄んだ音が、冬の静寂に波紋を投じた。
 ここしばらくの間にしてきた経験を思えば幻聴だと一蹴したくなるのも仕方がない。思わず片手で、耳を叩いた。
 そして、新たな発見をする。自分が雪の床に寝転がっているのは察していたが、どうにも、頭と首の後ろだけ寒くないのである。むしろ温かくて心地良い。その感触は、押し固められた雪とは比べるべくもなく柔らかい。

「極光(ノーザンライツ)って呼ばれてるらしいです。極北の地でしか見られないそうですよ」
 幻聴はこちらの戸惑いなどよそに、静かに語り続ける。
「そうか。俺は、てっきりあれも魔物の末路かと」
「……自然現象って聞いてます」
 上から柔らかい笑い声が降ってきた。

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