58.i.
2016 / 06 / 22 ( Wed ) 釣られて笑ってしまう。 大きな音に驚きがちなミスリアは、雨はともかく、雷をまじまじと観賞しようとは考えない。新鮮な気分だ。それもこれもゲズゥに強引に連れ出されたからだ。観賞会は楽しいし、新しい発見ができたことも嬉しい。しかしどこか落ち着かない。 右を見ても左を見ても、そこにあるのは膝。たとえ怯えて飛び上がってもベランダから落ちないように固定してくれている。 気遣いには感謝する。が、この密接具合はいかがなものか。 どうして彼は平気なのか、どうして自分はこんなに意識してしまうのか――考えようとすると、頭の中が茹で上がりそうで。気を紛らわせようと、首が強張りそうなほど空ばかりを見上げた。 「ああ、そう――」 「何でしょうかっ」 ゲズゥが言い終わる前にも食いついてしまった。 妙な間が続いた。間を埋める次の言葉を探してみるものの、うまく口にできない。 あたふたしている内に、右脇から全長8インチ(約20.3cm)ほどのものがグイッと視界に侵入してきた。 「持っていろ」 「これは、ナイフですか」 手に取ってみるとすぐにその正体に気付けた。刃を皮の鞘に収められている平べったい部分と、手触りのいい柄部分を指先でなぞる。柄は動物の身体の部分――重みから推測するなら、おそらくは鹿の角――を用いているようだ。 「護身用に持っておけ。刺すよりも切る働きに特化した、黒曜石だ」 くれるのだと文脈から汲み取って、ミスリアは僅かの間言葉に詰まった。 「もしかしてさっきのお店で……あ、ありがとうございます。でも私、何も贈り返すものがありません……」 目の奥がツンとした。仲間たちの優しさに、どうして自分は応えられないのだろう。いっそのことゲズゥも、歌を所望してはくれないだろうか。 ゆるりと、髪に何かが差し込まれる感覚があった。 驚くよりも心地よさについ瞼を下ろす。暖かい、無骨な指。どうしてかその感じには戸惑いは沸き起こらず、むしろ慣れたもののように受け入れられた。 「約束」 髪を梳く手付きから、僅かな迷いが伝わった。短い一言ながら、声色にも躊躇いのようなものが出ている。 「はい?」 「いつかお前は、俺が真っ当に生きられる道を一緒に探そうと言った」 普段の彼の物言いとはかけ離れた、いくらか頼りない声だった。 「……憶えていたんですね」 息を呑んだ。確かに、自分はそのように言ったのだった。 あれはそう、ゼテミアン公国でひと悶着あった時の話だった。この話題が上がったのは確かそれきりだ。その後はリーデンと会ったり、聖女レティカ一行と関わったりと、慌ただしかった。 「目的が果たされた後――」 低い声が、髪を伝って脳を揺さぶるようだった。身動きが取れない。頭蓋を掠る吐息すら、聞き逃してはいけない気がした。 「お前の時間を少し貰えれば、それでいい」 「…………」 一気にたくさんの想いが胸の内で絡み合った。 姉カタリアとエザレイ・ロゥンの過去。聖地で見知ったこと、まだこれから歩まねばならない行路のこと。目的を手伝うと言ってくれた人の、いつかは裁かれる運命のこと。そして聖獣の声。決意と不安と、形にならない気持ちがせめぎ合う。 本気、だった。提案した時、確かにミスリアは実行するつもりで言ったのだった。けれどあの頃には見えていなかった問題が、今は視界に入ってしまっている。 (背を向けていてよかった) いつでも零れそうな滴を目に溜めたまま、北東の方角を見つめた。 こうして近くに居られる日々が、終わらなければいいのに。はっきりと願ってしまう自分に、もう困惑しなかった。 わかりましたともすみませんとも言えない。苦しいほどに長い間、ナイフを握り締めて黙りこくったままでいた。 それは、その要求にだけは。 軽々しく答えることができなかった。 短くあとがき。 平和…回… w? 思ってたより長引いた。どういうことなの。これ書き上げた時ずっとアラビアンな音楽聴いてたのは、展開とは一切関係がありません。 ちなみに件の会話は26話の終わりの方です。随分と昔だなww |
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