58.c.
2016 / 06 / 09 ( Thu )
「こういうのは」
 ゲズゥは何食わぬ顔でさっき出たばかりの店にまた入り、色とりどりの飴が入った籠のひとつを指差す。平らな三角形に砂糖をまぶしたものに見えた、が。
「もう騙されません。それはすごく酸っぱいんだって知ってますからね」
「…………」
 青年は振り返っていた顔を巡らせて棚の方を向き直った。瞬間、口元が吊り上がっていたのをミスリアは目ざとく捉える。

(また笑った! 見えない! もったいない)
 けれどここで騒ぎ立てるわけにも行かないため、ちょっとした悔しさを紛らわせようと、濃厚なキャラメルを指定して買ってもらった。
 店を出たら早速キャラメルを一個堪能した。先ほどの強烈な後味を塗り替えてくれる慣れ親しんだ甘さに、つい頬に手を添えてうっとりとした。
 するとゲズゥが立ち止まった。

「どうかしました?」
「買い忘れ」
 顎でしゃくった先は、民家の間の狭い道だった。
「一緒に行ってもいいですか」
「好きにしろ」

 と言っても買い物は刃物らしいので、ミスリアは店の中にまではついて行かなかった。軒先で日向ぼっこをしつつキャラメルを味わう。
 のんびりと通行人を目の端で眺めていた。
 その中の一人と目が合う。条件反射で笑いかけた――

「危ない!」
 男性が突然険しい顔で視線を上へ流した。
「え?」
 そういえば日差しが四角い形に遮られたような、と緊迫感に欠ける思考で顔を上げる。

(立方体……じゃなくて長方形の面も入ってる六面体かな……)
 間抜けた感想ごと押しのけるように、後ろから物凄い力がぶつかってきた。
 背後で二・三度の鈍い衝突音が続く。
「大丈夫か!? レンガが落ちてくるなんて災難だな。ベランダの造りが古くなったんかな」
 通行人が心配そうに駆け寄ってくる。

「なんともありません。ありがとうございます」
「よかったな。そっちの兄ちゃんはどうだ?」
 その言葉でハッとなった。くるりと後ろを向き直ると、無表情を崩しているゲズゥの姿がそこにあった。気にするな、と言うようにひらひらと手を振っている。通行人は満足そうに頷いて、そのまま立ち去った。
 公園への帰り道を辿り始めて間もなく、ミスリアは前を歩く青年のシャツの裾を引っ張った。

「傷を診たいので屈んでください」
 返事が無い。代わりにゲズゥは狭い路地を進み、樽の上に腰をかけた。
 近所の住民のゴミ置き場だろうか。なんとも芳しくない空気が漂っている。
 建物の影がかかって、あまりはっきりと見えない。樽の真横に立って顔を近付けてみた。

「痣になりそうですね」
 落ちてきたレンガが掠ったのか、唇が切れて血が滲んでいる。切れた箇所の周りもやや青みがさしていた。そっと指先で触れてみると、ゲズゥは痛そうに身じろぎした。
「すみません」
「いや」
 前髪に隠れていない方の黒曜石みたいな右目がじっと見つめ返してくる。その威圧感がいつもの数倍に跳ね上がっている気がするのは、何故か。

「……あ! 近いですよね、ごめんなさ――」
 身を引こうとしたところで、伸ばしたままだった手を握られた。

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