58.b.
2016 / 06 / 08 ( Wed )
 小走りからゆったりとした足取りにペースを落としながらも、思考は再びエザレイ・ロゥンの件に戻る。
 彼に出会えたことによって、互いにとっても残酷な真実を紐解いてしまった。それでも彼はミスリアたちを責めなかったし、むしろ感謝の意を示した。こちらとしても辛い時間だったが、過去の姉の貴重な話が聞けた。

 全てを聞かなかったことにしたいとは思わない。知らないままで居るよりはずっと良い――
 ただあれからひとつだけ、ずっと胸の奥に引っかかっている言葉がある。己の意思に関係なく何度も思い返していた。

『あんたらはどうだ。会えなくなったら、耐えられるのか』

 彼の言った会えなくなる未来、を想像すると目の奥がじんわりと熱くなる。もやもやと思考と気持ちが絡まり、歩はどんどん遅くなった。
 しかし元々大した距離ではなかったため、そうこうしている内にも角に行き着いた。店から出てくる長身の青年はすぐに見つかった。夏場でありながらこの地域は涼しい方だからか、それに相応しい服装になっている。黒い上着を脱いで腕にかけ、明るい色の麻シャツとズボンを露わにしている。
 彼の黒くない服装は久しぶりに見る気がする。どこか不思議な気分でミスリアは手を振った。

「何を買ったんですか」
 問いかけるとゲズゥは紙袋に手を突っ込み、「ん」と小さく言って拳を差し出した。その真下で自らの掌を開いてみると、黒い塊が落ちてきた。
 柔らかい飴のようだ。特に考えずに口の中に放り込んでみた。
「……うっ」
 予期せぬ味に驚いた。飴だと思って舐めて噛んだら、溢れ出したのは予想していた甘味ではなく――塩味(しおみ)だった。しかも同時に苦い。このクセのある感じはリコリスだろう。

 唾液と相まって、奇天烈な味が口の中に広がっている。拒絶反応も沸き起こるがここで吐き出すわけにも行かず、悶絶しながら頑張って丸呑みした。
 ようやく解放された頃にはぜえはあとうるさく息をしていた。
 頭上から、くっ、と喉が鳴るのを我慢しているような音がした。今更のようにこちらを見下ろす視線を振り仰ぐ。
 ゲズゥは僅かに顔を逸らして右手で口元を隠していた。目元の雰囲気から、隠れている表情が何なのかがわかる。

「わ、笑いましたね? 私の反応みて笑いましたね!? まさかわざと食べさせたんですか!」
 涙を目に溜めたままで詰め寄った。
「…………不可抗力だ。そこまで口に合わないとは思わなかった」
 未だに笑みの気配は消えていない。それがどこかむず痒い。

「だとしても私は不快ですので、代わりに笑顔をちゃんと見せてもらうことを要求します」
 ゲズゥの腕に手を伸ばした。手首を掴んで腕を下に引き下ろしてみると、全く抵抗されなかった。
「口直しに別の飴、買うか」
 そう答えた彼は柔らかく笑っていた。

(あ、どうしよう。嬉しい)
 怒っていたはずの気持ちがどこかへ消えたことに気付く。どうしてか、目を合わせていられなくなる。
 掴んだ手が急に熱を帯びたように感じて、不自然なほど素早く放した。上目遣いで訴える。

「普通に甘いのが欲しいです……」
「ああ」
 例のしょっぱい飴をパクリと口にしてから、再び無表情になったゲズゥは踵を返した。濃い味は苦手なはずなのに、複雑な苦みが気に入っているのだろうか、などとふと思う。
 ミスリアはふわふわと地に足のつかない気持ちで、先導する背中について行った。


サルミアッキが確認されたのは1900年代以降なので、これはアンモニウムなどを使っていないただの塩を振りかけたリコリスと想像しましょう。ちなみにあのカオス空間が私は好きです。(ゲズゥの味覚=私の味覚)

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