10.e.
2012 / 03 / 17 ( Sat )
「彼女と対話をしてみます。ただ……」
視線を外して、聖女は魔物を向き直った。
「対象に近付かなければ魂を繋ぐ歌も効果がありません」
「ああ」
なるほど、つまりは近付く手伝いから始めるべきだということか。
ゲズゥは大きくなった花たちを見た。大きくはなっても、足が無い。警戒すべき要素は噛まれることと、あの酸性の唾液、あとは中心の娘の行動のみ。いや、あの顎や茨が剣を受け止められる可能性も考えるべきか。
半円を描いて二人を囲む五匹のうち、端の二匹が揃って口を開いた。垂れたよだれが地面の草を溶かす。
それぞれの口の中は、どこまでも真っ暗な空洞である。どう見ても胃やその他の消化器官は無いのに、喰らった物は果たしてどこへ行くのか。他の人間をもとにした魔物同様に、食べた分だけ吸収して自分の一部にするのだろうか。
――生死がかかっている場面で、無駄な思考だ。
花が聖女をめがけて飛び掛ってきたため、跳んで避けた。一緒に伸びてきた茨を切り払う。
目の端で、他にも巨大化し始めた魔物の個体をとらえた。あまり悠長にやっている場合ではなさそうだと、ゲズゥは判断した。
「道が開いたら、走れ」
聖女を下ろしてそう言った。聖女は前を見据えて頷いた。
剣を両手で構え直し、ゲズゥが一歩前へ出る。
目線と同じ高さに黄色い花があった。生き物と異なる存在とはいえ、口しかない頭部というのは向かっていて妙な気分になる。せめて眼球などあって欲しい。
左から二番目の薔薇が牙をむき出し、身を乗り出す。それに対してゲズゥは手首を翻しては剣を上へ振り上げた。顎ごと花が半分に割られる。続いてゲズゥは右へ一歩跳んだ。刃の向きを変えて、振り下ろす力で横へ薙いだ。
片手よりも両手を使う方が、剣圧の威力も鋭さも倍に跳ね上がる。彼はその調子で、夢中になってどんどん切り伏せていった。
気がつけば、傍から聖女がいなくなっている。
戦いながら体の向きを調整して、視界の中からその姿を見つけ出した。確かに聖女は魔物の娘の近くまで辿りつけている。
そこまで見届けると、今のうちに周囲の魍魎をまとめて倒すべく、ゲズゥは身を構えなおした。
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聖女ミスリア・ノイラートは、濡れて顔にくっついた髪を、指でそっと払った。ワンピースの裾は小型の薔薇の魔物に喰われてあちこち欠けている。何度か足首にも噛み付かれそうになり、振り払っているうちに靴も失われ、今や裸足で走っている。
十歩先に、美しい娘が佇んでいた。雨粒も弾く象牙色の素肌が、青白い光に包まれている。両手から糸を出し、その糸が離れた場所の薔薇たちに生気を与えている。厄介な能力だが、こうしている状態では多分、ミスリアを直接攻撃する手段が残っていないはず。
ミスリアを注視する娘の瞳は、黒かった。どこかで見たことのあるような色だ。魔物は警戒するように低く唸った。
「失礼します」
足を止めて、ミスリアは腹部に軽く手を置いた。大きく息を吸い込む。
そうして、魂を繋ぐ歌の冒頭部分を歌い出した。喉が渇いていて、あまり綺麗に声が出ない。雨の音にかき消されない様に必死である。
しかし娘の反応を引き出すには十分だった。
魔物の黒曜石にも似た瞳が潤んだ。くしゃくしゃに表情を歪め、またしても涙する。
頭の中に声が響いた。
『――どこ……? あの子は、どこなの……? どうして、帰ってきてくれないの? こんなに、待ってるのに――』
歌い終わる前にも、記憶の断片が映像になって流れ込んできた。いつも以上に物凄い重圧だった。耳鳴りのようなもので頭が割れそうだ。こめかみを押さえたけど、あまり効果は無い。
「たった一人のお子さんを……ずっと探しているそうです……」
何とかそう囁いた後、ミスリアの意識は黒い波に飲み込まれた。
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