44.i.
2015 / 06 / 26 ( Fri ) なんとか助けてあげたい、と思う。なのにその気持ちに後ろ暗い部分があるように感じるのは、気のせいとは思えない。 ゲズゥに生きていて欲しいと願うのは、果たして彼自身の為か、それとも自己満足か――。(まだ他に何か) あるような気もする。無いような気もする――とにかく、かつてないほど自分の気持ちがわからない。 どこからか沸き起こる動揺を自覚し、戸惑い、苛立ちを覚える。そんな調子で悶々としていたら別の思考が割り込んできた。 (……そういえば、魔物を身体に取り込んだ実験って) そちらの問題についてもまだ整理が足りない。かの左眼が魔物と関連しているとなると、前に瘴気が漂っていたように見えたのも説明がつく。 昔ながらの迷信か言い伝えかとしか思っていなかった「呪いの眼」が、もっと現実味を帯びた身近な存在に感じられて、これまた複雑な気分にさせてくれる。 考え込んでいる内にうっかり針を刺す位置を外した。糸を引き抜いて、やり直す。 「ハサミ」 前触れもなく話しかけられた。危うくミスリアは再度手元を狂わせそうになった。 「あ、はい、どうぞ」 ずっしりと重い布きりバサミを空いた左手で取って、隣の青年の掌にのせた。その拍子に、指同士が触れる。 「ごめんなさい」 反射的に手を引いて謝った。遅れて、何も謝る理由が無かったのではと、と思い付く。 (どうして……) 落ち着かない。肌色の濃い、錆に汚れた無骨な手を凝視した。異性の手なら、ついさっきカイルと手を握り合わせたばかりだと言うのに。何が違うというのだろう。 手を凝視している自分の顔が凝視されていることを、やがて感じ取った。黒い右目と視線が交錯した。こういった、無言で観察される回数は出会った当時から数知れないだろうに、今になって気にかかってきた。 「あの、私の顔に何か、ついてますか」 つい視線を逸らした。 「…………いや。ついてはいない」 それきり、静寂が舞い戻る。ここぞとばかりにミスリアは静かに深呼吸をして、心を落ち着かせた。 それから何分作業したかはわからない。下着につけるポケットが三枚ほど完成した頃には、いつの間にか武具の手入れを終えていたゲズゥが今度は靴や鞄などの手持ちの革製品を磨いていた。なんだかんだでマメな性格だ。 「もう行くの?」 突然、声が聴こえてきた。ミスリアはパッと振り向いた。アクティビティ・ルームの中に他の人の姿は無いので、廊下にひょこっと顔を出してみる。突き当たりの角の向こうに誰か立っているらしい。横を向いた姿の中でも背中半分しか見えないが、金色の髪が目に入った。 「週明けには発つ予定だけど」 済んだ青年の声。質問に受け答えした相手はリーデンのようだ。 「そう。残念だわ」 ティナの声だった。 そういえば彼女は最近、恩師である司教さまや都中の教会によくご奉仕をしに来る。料理の差し入れだったり、力仕事の手伝いだったり。合間に用心棒の仕事は未だに引き受けるようだが、贖罪の一環でまだ労働も残っているしで、とにかく忙しそうだ。 孤児院の管理権限は教団に移ったものの、ティナはそこに住んで子供の世話を続けることを許されている。忙しそうだけれど、幸せそうでもある。まるで内に抱えていた曇りがやっと晴れ渡ったかのように。 「……あんたはさ、あたしのこと愚かだったって思ってる?」 「えー、いきなり何訊くの」 「もうすぐ会えなくなるんだから他にいつ訊けばいいってのよ。あの男の言いなりになってたことよ。それで、人を恐喝したり襲ったり……無垢な子供の未来の為に、手を汚すなんて」 彼女の口調には自嘲する重みがあった。 盗み聞きはいけないと思いつつも、ミスリアは部屋の中に戻ることはできなかった。というより、戻ったところでやはり聴こえてしまいそうな気がする。 「いいんじゃないの、別に。君のしたことは人間の倫理観の中で正しいわけじゃないけど、細かいことをいちいち気に病んで何もできなくなったら、本末転倒でしょ」 「慰めてるの?」 「そんなワケないじゃない。僕は自分の考えをそのまま口に出してるだけだよ。それを聞いて君が勝手に元気を出そうが落ち込もうが、どうだっていいよ。ま、この僕が倫理観なんて語っても滑稽なだけだけどねー」 「そうね。あんたはそうなんでしょうね」 一拍置いて、リーデンはまた口を開いた。 注:本当はあまり素手で錆に触るもんじゃないですが、げっさんの皮膚はそれなりに分厚いので気にしません。 |
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