08.e.
2012 / 02 / 17 ( Fri )
「声が聴こえませんでしたから」
 ゲズゥの指摘に、聖女は手を引いて静かに答えた。
「植物をもとにした魔物だったんじゃないかな。まんま命が尽きた切り株とか?」
 剣にまとわせていた聖気を消して聖人が相槌を打った。戦闘で疲労した様子はなく、相変わらず笑っている。

「多くの魔物は死んだ人間の魂をもとにしていますが、そうでない場合もあります」
 くるりと聖女がゲズゥの方を向き直った。これは、昨夜の話と繋がっている。

「特に瘴気の濃い場所だと動物や植物の命の残滓からも魔物化することはあるね。世間一般では魑魅魍魎(ちみもうりょう)とも呼ばれてる。そうでなければ人間の魂に絡めとられて魔物の一部になるかもしれないけど」
 袖の汚れを払いながら、聖人が補足した。

「人間だった魔物でないと、対話はできません」
 なるほど、そういうことだったのか。二人の説明に納得した。

 その時、動物の鳴き声に似た音を立てながら強い風が吹き抜けた。軋みのような騒音がどこからともなく聴こえる。
 一箇所に長く留まっていれば魍魎の類に次々と襲われるのではないかと予感がした。ゲズゥは次の動きの判断を求めて聖人に視線を向けた。
 小さく頷き、聖人は聖女に問う。

「ミスリアは忌み地に来たことは?」
「初めてです」
「そう。普通は、瘴気のより濃い方へ進めば核となった魔物へたどり着けるんだけど……ここは全体的に周りが濃すぎてどこが源となると特定は難しいね」
 聖人は考え事をするように眉をしかめている。

 瘴気はいわばマイナスエネルギーの別名である。自然災害のあった場所から噴出したり、或いは生き物が発する負の感情だったり、それが生じる理由はさまざまだと大陸では言い伝えられている。
 ――死者の魂が密集する所なら?
 魂の密集する所、即ち死者のかつての肉体の安置場所。

「心当たりがある」
 ゲズゥは踵を返した。「ついて来い」までは言わなかったが、すぐに理解したようで、二人の足音が背後に続いた。

「うーん、ここは走った方がいいかな」
 聖人の困ったような声は、半ば魍魎のざわめきにかき消された。
 視界の端々に蠢く木々。

 ゲズゥは素早く振り返り、聖女を左腕だけで抱き上げ、走り出した。聖女は一度小さく悲鳴を上げたが大人しくゲズゥの首につかまった。
 聖人が苦笑して同じように走り出す。何かコメントしているとしてもゲズゥには聴こえない。

 記憶の中の場所めがけて、一直線に走った。時々襲ってくる魔物たちを剣を用いて追い払う。
 視界は段々と暗くなりつつある。それでもゲズゥは迷わず走った。

「どちらへ行かれるんですか?」 
「墓場」
 聖女が息を呑んだ。間もなくして、ゲズゥは立ち止まった。魔物たちはもうついて来ていない。

 柳の樹が、見晴らしのいい場所に一本だけ。
 何十年もそこでひっそりと育っていたかのように、高く高くそびえる樹だった。その樹に遠慮するみたいに草が根元を幅広く避けて、生えていない。一層濃い瘴気が漂っているのは気のせいではないだろう。

「昔から、人が死ねばこの下に埋めていた」
 子供の頃、隙あらば木登りばかりしていたゲズゥが、唯一登ることを決して許されなかった巨木。中心から外側へと渦を描くように、村人が埋葬され続けた。

 村が滅びてから、運命をともにするかのようにみるみる枯れていった美しい柳は、今や殺風景な黒い抜け殻でしかない。

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