40.e.
2015 / 02 / 25 ( Wed )
「――――それで沼底にただならぬ気配を感じ、凍った表面に足を踏み出しました。決して氷の上で遊びたかった訳ではありません」
「……そう」
 話し終えたら、何故かティナからは納得していないような返事が返った。

 表情を窺おうと思ってミスリアは振り返った。
 始めは向かいに座っていたのに後ろに回られたのは、話している間にティナがタオルを取って「髪、乾かしてあげる」と言い出したからである。断ったものの、繰り返し勧めるので結局甘えることにした。彼女の手は温かく、何度か眠ってしまいそうになったほどに心地良かった。わしゃわしゃと揉むのではなく水気を吸うように優しく髪を叩いてくれたのが特に好感を持てた。

 見上げると、ティナの表情は半信半疑だった。
 ちょうど乾かし終えたのか彼女はタオルを持った両手を引いた。その瞬間、紅茶と箪笥みたいな家庭的な香りが鼻腔をくすぐった気がした。

「聖地巡礼って、ただ近付いて祈りを捧げるものとばかり思ってたわ」
「私も未熟者なのでうまく説明できませんけど……沼底を視なければ前に進めない、その一点に関しては確信が持てます」
 沼に近付いた時に感じた、あの五感では捉えられない引力。あれはこれまでに追って来た大いなる存在の残滓に相違なかった。潜在的な部分で訴えかけているのだ――底に何かがある、と。

「本当に聖女だったのね」
 ティナはバツが悪そうな顔になり、垂れてしまった金髪の一房を耳にかけ直した。厚みがありながらふわっとした短髪はうなじに触れるか触れないかの長さである。

「疑ってたのですか?」
 驚き、ミスリアは問い返した。
「ごめんね。聖人や聖女と直に関わったことなんて無いから、フツーがどういう人間かわからないのよ。それに失礼だけど、ミスリアちゃんほど幼くて、なれるものだとは思えなくて」

「そう思ってしまうのは仕方ありません。聖女になっても巡礼を始める平均年齢は十八歳くらいですし」
「歳も問題だけど。身体が小さいと、出会い頭の他人なんかには第一印象でナメられそうね。大変じゃない?」
「な、なめられる……ですか。そんなことは……無い、とも言い切れないような……」

「例の奇跡の力を見せ付ければ大抵の人は本能的に従っちゃうのかしら」
「いえいえ、そんなことも無いと思いますよ」
 苦笑い交じりに、頭をぶんぶん振って否定した。
 それまで黙っていた隣の青年が己の意見を提供した。

「聖女さんはコンパクトな感じが最高に可愛いんじゃない」
 唐突に立ち上がり、絶世の美青年はくるっと一回転してカーペットに片膝をついた。何事かと瞬いている隙に右手をさらわれ、指先に口付けを落とされた。ドキッと心臓の音が跳ね上がる。

「な、なにを……おたわむれを……」
 混乱のあまりにおかしな言葉を口走ってしまう。目の前の風景がひとりでに回り出した気がした。それは勿論、気のせいである。

(可愛いだなんて、そんな色っぽく言わないでー!)
 涙目でリーデンを睨むも、彼は実に楽しげににこにこしているだけで手を放してくれない。上目遣いがまた、心臓によろしくない。

「いちいちキザッたらしい奴ね」
 再び正面に腰掛けたティナからは冷ややかな感想が出た。
「うんそうだねー、ありがとう」
「褒めたつもりは無いわ」
「君がどういうつもりだったのかなんてどうでもいいよー」
 ティナの方を振り返ることなくリーデンは応答した。彼の肩越しに女性の怒りの表情を見つけて、ミスリアは一瞬たじろいだ。

「まあ、全く小さくない護衛が二人も付いてると、ナメられる心配も無いでしょうね。でもミスリアちゃん? その野郎どもには気を付けた方がいいわ。なんだか、すごく、うさんくさい。特に無駄に顔がキレイな方」
 いつの間にか怒りの表情から冷めた笑顔に移り変わっている。

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