08.c.
2012 / 02 / 13 ( Mon )
 その土地には百人程度の村民が寄り添って暮らしていた。
 始祖たる数人が林の隣に家を建て、次第に林が広がっていったので、いつしか村まで木々に囲まれた。村民は木材の精製を生業とし、徐々に数を増やしながらひっそりと暮らし続けた。

 多くを望まず、社会から隔絶された状態を受け入れたこの村民こそが、「呪いの眼」の一族。
 ――既に過ぎ去った日々のことだ。

 今のその土地を前にして、ゲズゥは胃がムカムカするのを止められずにいた。

「やっぱりやめますか……?」
 右隣に立つ聖女が覗き込む。心配そうな表情だ。不快感を顔に出したつもりはないが、気配にして発しているのかもしれない。
 聖女の右側には聖人と司祭が立っている。互いに話をしていてこっちの様子に気づかない。

 聖女の問いに、首を横に振った。ふと口の中に鉄の味がしたと思ったら、どうやら千切れるほど唇を噛んでいたようだ。
 気を紛らわせようとしてゲズゥは松明を高く持ち上げた。

 数歩先に大きな銀色のゆらめきがある。特定の空間全体が霞んで揺らめいている感じだ。実際に目の前にあるのは宵闇に佇む木々などだろうが、肉眼にそういう風に映らないのは、おそらく「封印」とやらの影響だろう。教会の周りにあった目に見えない「結界」とは性質が異なるものらしい。

「ここを少し右に回れば綻びがあります」
 司祭が手持ちの松明で指した。封印を完全に解くことは施した本人でなければ難しいから、綻びを見つけてそこから入り込もうという話だ。
 ゲズゥ以外の三人が職に見合った正装をしている。動きやすさの問題より、気を引き締めるためにそうしていると考えられよう。

 風の強い夜だった。しかし風の音を除いた辺りの妙な静けさがどうしても気になる。全員は静かに慎重に進んだ。
 先頭を歩いていた司祭と聖人がはたと歩を止めた。

「これだね」
 白装束を着た聖人が振り返って確認すると、司祭が頷く。

 眼前の銀色のゆらめきに、横幅2フィート縦幅1ヤード程度の一つだけ浮いた箇所があった。眼を凝らせばそこだけ霞みも揺らめきもなく、はっきりとした景色の欠片が見える。
 宵闇を背に佇む物は、丸い樹ではなく角ばった人工的な何かだった。かつては地面に垂直に建ち、建物の屋根を支えた柱の一つだったのかもしれない。

「では私が亀裂を人一人通れる大きさに広げます。ですが私は中には入らず、ここの出入り口を守ります」
 司祭がしっかりした声音でそう告げた。
「お願いします……魔物が漏れたら大変ですものね」
 聖女が軽く頭を下げた。レースに縁取られた白いヴェールが揺れる。スペアを持っていたのかそれともどこからか調達したのか、最初に出会った頃に被っていたものと瓜二つだ。

「お任せください。どちらにせよ私が一緒に赴いてもあまり役に立たないでしょう。最低限の護身術しかこなせませんし、聖気も扱えませんから」
 司祭の言葉と笑顔の裏に、何か卑屈な感情が潜んでいそうだとゲズゥは思った。しかしそれは今考えるだけ無駄。

「今日は隣町から魔物狩り師も呼んでないしね。ミスリア、準備はいい?」
「私は……」
 聖人に訊かれて、聖女が言いよどんだ。まるで話を振るように、こちらを見てきた。

「役割なら果たす」
 もしも危険に陥ったら護衛としてちゃんと守ってやる、という意を込めて言った。聖人に関しては特に助けるつもりは無いが、聖女との取引は別だ。

「ありがとうございます」
 ふわりと聖女が微笑んだ。
 いっそクセなのかと疑うほど、聖女はよく礼を言う。この微笑みとてクセのようなものに違いない。

 話がまとまったところで、全員が綻びの前に立った。司祭が銀細工のペンダントを握る。

 長い縦棒とそこから伸びる短い方の横部分は一見、十の文字を組んだ文様だった。縦棒の上から三分の一辺りに交差する横部分は中心からそれぞれ左右に伸び、くるりと下向きに渦巻いて点に終結している。左右対称的なそれは、翼を生やした何かを思わせる。

 司祭が呪文を低く唱えた。それに応じて綻びが見えない手に引っ張られるように広がり始める。
 ようやく大の大人が一人通れそうな大きさになってから、司祭が唱えるのをやめた。

「ではどうかご無事で。皆様に我らの聖獣と神々の加護あらんことを」

 応える代わりに聖女と聖人は礼をし、ゲズゥは背中の剣の柄を握り、そうして封印されし「忌み地」の中へと足を踏み込んだ。

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