02.b.
2011 / 12 / 20 ( Tue )
 大陸の北側のどこかに、地上から既に姿を消した神々の遺産――「聖獣」――の眠る聖地がある。

 数百年に一度、世界中の瘴気を浄化するために聖獣は甦らなければならない。

 それができるのは、然るべき修行を終えた聖人・聖女たちのみ。
 彼らは聖獣を眠りから起こすために世界中のいくつかの聖地を巡礼しながら北へ向かうが、未だ安眠場所に辿り付く人間はいないのか、聖獣は眠ったまま。
 
 最後に聖獣が世を浄化してから既に四百年以上経つ。

 世は瘴気に溢れ、そこから生じる魔物たちが日々、大陸中の人々を脅かしている。
 救えるのは、聖獣が発する清浄な聖気しかない。

 人類が手遅れになる前に、誰かが甦らせなければならない。

_______


 そこそこ有名な神話だった。ゲズゥも何度か耳にしたことはある。しかし四百年も経ってるとなると、聖獣が実際に飛翔して聖気を振りまき、世界中の魔物を浄化したというはっきりとした記述はそうそう残っていない。たとえ記述を目の前にしても、信じがたい話ではある。

 神というのは人間が一方的に「いる」と信じて生きるだけで意味のあるもので、実際に救われているのかどうかなどは捉え方の問題に過ぎない、とゲズゥは考えている。
 どちらにせよ、彼の知る人生には救う神など存在しない。どの現象をどう捉えたところで居るわけがない。

 だが、魔物は確かに実体を持って存在する。それも近年、数が上昇してるのも感じ取ってきた。

 聖女ミスリアの話に多少興味が沸いたので、聞き入ることにした。

「私は聖獣をよみがえらせる旅に出ます。そして護衛として、彼を伴いたい」
 その堂々とした発言に皆はただ、呆気に取られた。

「何故わざわざ罪人を……」
 髭を生やした総統の側近が頭をかいた。頷いて、聖女は話を続けた。

「現在のこの世に於いて、聖獣をよみがえらせることを何より優先するのが教団の方針です。教皇猊下は、そのためなら手段を選ばずとも良い、と仰いました。私は独自で調べ出し、ゲズゥ・スディルの強さを確信した上で猊下に許可を取り、勅書を用意していただいたのです」

 本人は簡単に言っているが、こんな無茶を通す許可を取るためには多くの手続きが必要だったことは容易に想像できる。上司に反対された都度、説得を繰り返したのかもしれない。

 一体自分のどこにそれほどの価値を見出したのか、ゲズゥには実に興味深かった。腕っ節の強さだけではないだろう。

「確かに護衛は強いに越したことはないですが……どうやって従わせるおつもりで? 貴女が手綱を取るとでも? 一度命を助けたからとて、こんなクズが恩を返すはずないでしょう。更生させようと考えてるなら止めた方がいい。失礼ですが、貴女は聖女であってもただの少女です。手に余りますよ」

 黒髪の側近が苦々しい顔で指摘した。

 正論だった。クズかどうかはともかく、確かにゲズゥは一度命を助けられたくらいで恩を感じたりしない。その気になれば、こんな虫も殺せなそうな小娘ぐらい数秒で壊せる。生き方を変える気もまた、無かった。

「それは私の問題です。もし彼が途中で逃げたり、私が殺されでもしたら、教団の方で然るべき対応をします。その際、彼の身柄はシャスヴォル国軍に返し、今度こそあなた方で『天下の大罪人』を処刑して下さい」

 ですからお願いします、と聖女ミスリアは深々と礼をした。

 かなり無理のある言い分とはいえ、聖女は覚悟を決めていたようだ。
 教団にゲズゥを捕らえられるような戦力があるのかどうかまでは現時点で判断できないにしても、妙な説得力を感じた。
 部屋の中の人間の間にも、どこか納得した雰囲気が広がりつつある。

「聖女様、しかしその男は化け物! 生かしてはおけません!」 
 警備兵の一人が耐えかねたように叫んだ。

 ちらちらと、怯えた目でこちらを覗き見ている。『天下の大罪人』が足枷なく手枷だけはめて間近に立っていることが、気に入らないようだ。さっきまで兵士の威厳を保っていたのに。いっそ同情を誘いそうな怯えようだったが、ゲズゥは化け物と呼ばれたことにさえ、何も感じなかった。

 聖女が警備兵を振り向いた。

「『償えない罪は確かにあれど、償う努力を放棄する言い訳にはならない。』 猊下のお言葉です。『天下の大罪人』ほどの者ならば尚更、死をもってしても贖い(あがない)きれないでしょう? 一生をかけて世界に奉仕することで償うべきだとは思いません?」

 なんとなくその言葉からは、きっと教団が死刑制度という概念に反感を抱いていることは想像できた。だが、シャスヴォルは自国内の政治に関して他国や教団の過ぎた干渉を認めていない。聖女が渡ろうとしてるのは、危ない橋だった。

 にっこり笑って言う彼女に、総統は重いため息をついた。

「そういう意味ではない。ゲズゥ・スディルは、『呪いの眼』の一族の生き残りだ。それも調べがついただろうが」

「はい、承知の上です」

 ゲズゥの左目に、皆の注目が集まる。
 
 いつしか看守が気味悪がって、包帯を巻いて隠させた眼だ。本当は眼球ごと潰したかっただろうに、得体の知れない呪いを恐れて触るのも嫌がったのだった。

「けれど『呪いの眼』の明確な危険性を示す証拠は確認されてないでしょう。ただの迷信とまでは言いませんが、そのリスクを背負うぐらいなら私は構いません」
 やはり聖女は動じなかった。
 倍ある体格の大の男に囲まれておいて、随分な度胸だ。

「シャスヴォルは、『呪いの眼』の危険性を確たるモノとして解釈しているが?」
 その事実は、ゲズゥ本人が過去を通して誰よりよく知っていた。遠い昔の日を思い起こしそうになった思考回路を、意識的に中断させた。今はそんな気分ではない。

「どの道目指すは北方です。すぐに彼をこの国の管轄外へ連れ出し、危険は去ることになりますから」

 連れ出せるのならな、と誰かが小声で毒をつくのが聴こえた。

「ならば、目的を果たした後、どうする気だ?」
「教団が裁判します。その際には、総統閣下か他にシャスヴォルを代表する者も同席するはずです」

「ほう……それは、最終的に刑が軽くなるかもしれないという可能性を含んだ言い様だな」
「それもまた、彼の働きと教団の意思次第です」

「直接被害を受けた民らが、それで納得するかね……?」

 しばらく論争は続いたが、結局誰も聖女ミスリアを言いくるめることはできなかった。

「二人で話をさせてください。彼の同意を得られるのならば、何としても私はこの件を通します」
 
「ソレは人の形をした、人間とは別種のナニカだ。人権を与えるに値しない。すぐにそなたは無残に扱われ、死体になるぞ」
 総統は聖女に冷酷に告げた。それは、嘲笑う言葉のようであり、忠告でもあった。

 もはや存在ごと否定されたゲズゥは、なお微動だにせず静観している。

「そうなったら、私個人の責任であって、なるべく誰の迷惑にもならないよう努めます。命を落とすのが私一人なら、大義を思えば小さな代償です」
 聖女ミスリアは、鮮やかに微笑んだ。
 大陸が貴重な聖女一人を失うという損害に関しては、考えていないらしい。

 そうしてそれ以上、誰も口を挟まなくなった。

「いいだろう、隣の会議室を貸す。同意を得ようだなどと律儀なことだな、拒絶するはずないだろうに。死を免れるためなら、人間はどんな甘言でも吐くぞ」
 
 聖女の笑顔は崩れない。ついに諦めたのか、総統は踵を返した。

「誰か、何でもいいからソレに着せる服を持ってこい」
 投げやりにも聴こえる調子で、総統が部下に手を振った。

 そういえば、まだ腰布以外は裸だったと思い出す。

 暑い日だから服がないことは問題にならなかった。さっきは陽に焼けて肌が少しヒリヒリするのが気になっていた程度だ。

 今身なりを整えろと言われるのは、どちらかというと品格を指してのことだろう。それはゲズゥが、社会的に底辺あたりに位置する罪人から、ほんのわずかに格が上がったことを示しているようだった。

 だが所詮はその程度だ。
 呪いの眼も、彼の生きた軌跡も、決して消えたり変わったりはしない。


 他人の、彼に対する眼差しもまた、変わらない。

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