07.a.
2012 / 01 / 27 ( Fri ) 星明かりの下で、六本足の巨大な獺(かわうそ)と対面していた。ソレは、魔物特有の青白いゆらめきを発しながら、教会の正面玄関に向かって姿勢を低くしている。
小屋ぐらいの大きさだ。これが跳びまわっていたのなら、確かに地震と勘違いするほどの揺れが生じるだろう。末恐ろしい魔物が闊歩する世の中になってしまったものだ。シャスヴォルといいこのミョレンといい、近所の魔物狩り師どもは一体何をしている。 獺の姿をした魔物は、シャ―――――ッ、と大きく口を開いて威勢よく声を出した。前足で宙を引っかいたが、教会の結界に邪魔されてそれ以上進む事ができない。 しかしそれはゲズゥたちとて同じことだった。目に見えない壁に阻まれて、外に踏み出す事が不可能だ。 傍らに立つ聖女を見下ろすと、服の下からペンダントを取り出している。司祭が首にかけていたのとよく似た銀製の物だが、司祭のより大きい気がするし他にもどこか相違点がありそうだ。はっきりとは思い浮かべられない。 「用意はいいですか? 陣を消さずに結界を強引に解除します」 何を言ったのかイマイチ理解できないが、ゲズゥは一言ああ、と答えて長剣を鞘から抜いた。 ――もしもの話。 あの魔物が村の跡地の封印から出てきた個体なら、素となった人間が、ゲズゥの知る者である可能性が出る。といっても十二年前のあの日から帰ってきてないので、たとえそうだとしても思い出せるかどうか謎だ。 聖女はペンダントを片手で握ると、残る手で何か文様を宙に描いた。そうしてゲズゥの知らない言葉を唱え始めた。 南の共通語ではない。北の共通語でもない。他のどの国の言葉とも異なる響きを持っている。或いは、ヴィールヴ=ハイス教団内で使用される呪文用の言語やもしれない。 聖女が唱え終わった瞬間、空気が震えるような気配があった。 もう壁は消えたのだと、なんとなく感じ取れる。 獺が黄色い四つの眼を光らせた。 「下がってろ!」 あの巨体なら三回跳べば充分距離が縮まる。 聖女はすかさず従って玄関まで後退した。 巨体にしては信じられない速さで、魔物が飛び掛ってくる。どうせ聖女の方へ向かうだろうと読んで、ゲズゥはタイミングを見計らった。 ズン、と魔物の一度目の着地。二度目の跳躍。 二度目の着地―― ゲズゥは横へ跳び、獺の後ろに回り込んで長い尾に切りかかった。斬った部分は綺麗に本体から離れ、転がり落ちた。剣を研いだ成果が早速見れて少し楽しい。 獺はこの世のものとは思えない鳴き声を上げた。頬を、血色の涙が伝っている。 おーん、おーん、と動物のように鳴きながら、ソレは振り返った。 笑ったり唸ったり慟哭したり、忙しい声帯だと思った。これが全部人間的な感情に基づいているというのか。わけがわからない。 標的をすっかり変えて、魔物はゲズゥに飛び掛る。前足に絡まれないように、飛びのいた。一度でもあの爪か牙に当たれば大打撃を受けるだろう。 魔物が再び地を蹴ったが、今度はゲズゥは前へ走った。 奴の高い跳躍を逆に利用して、下に潜り込むように進み、剣を上へ構えた。切っ先は獺の腹部分を引っ掛けて、しばらくして抜けた。浅い。手ごたえでわかる。少量の魔物の血液が顔にかかった。 「オ、ノ、レ……」 またしても地震を起こしながら着地した魔物の口から、白煙とともに妙な声が漏れた。 「ノ……カ、……ェ……」 喉が大きく振動しているのが闇の中でも見て取れる。 「何だこれは」 背後にいるはずの聖女に向けて、訊いた。 「……かろうじて言葉を形づくるぐらいの知能が残っているみたいですね。貴方にも聴こえるほどに」 真剣な声が返ってきた。 「何を言ってるのかわかるか」 それは相手が「誰」であるのか判断する上で、重要になる。もし、知る人物であるなら――自分は果たして、どう対応するだろう。 ゲズゥは剣を構えて、獺の動きを警戒した。 「えーと……『おのれ、彼女を返せ』? 一体どういうことでしょう……」 さぁ、と答えたいところだが、止めた。 聖女の声が近くなっているからである。振り返ったら、すぐそこにいた。下がってろと言ったのにどういうことだ。 「あの、彼と少し話をしてきてもいいですか?」 暗い中、聖女の潤った茶色の双眸はねだるようにゲズゥを見上げてきた。 |
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