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2013 / 10 / 12 ( Sat ) 「架け橋は下ろしてある。正門から帰りたまえ」
「……それは助かる」 「お互い様だ。私はこれから囚われた奴隷たちを解放し、この城を正して見せる。やることは多い」 そうか、と答えてゲズゥは一歩歩き出す。 「助けて下さってありがとうございました。再び会う日があれば、その時はまた歌を聴いて下さいますか?」 すれ違いざまに、ミスリアが設計士に話しかけた。 「ああ、その時は私からも頼む。……二人とも、達者でな」 設計士が一瞬だけ笑った。 ゲズゥは頷きを返し、次には走り出していた。 廊下を進み、城の中心の巨大な階段を降りて架け橋へ出るまでの道のりを、邪魔をする人間は誰一人現れなかった。設計士が手を回したのだろう。 幅広い架け橋を走り抜けるのにも大して時間がかからなかった。来た時の苦労と比べると、いっそ笑いたくなる。 橋の向こう側に着いてゲズゥは一旦歩を緩めた。進むべき方向を確認する為と、単に休みたいからだ。 どこからか梟の鳴き声が聴こえる。 「寒いか」 夜風が肌を冷やす時期になりつつある。一応訊いて置いた。 「いいえ。上着が温かいです」 ミスリアはゲズゥの首からぶら下げられたままのペンダントを、左手に取った。空いた右手でゲズゥの左鎖骨にそっと触れ、そこから、微かな聖気の波が広がった。 「どうしてわざわざ……こんな苦労をしてまで、助けて下さったんですか?」 囁きは夜の静寂を僅かに震えさせた。 「理由に如何ほどの意味がある」 「意味ならあります。私が、貴方を理解したいからです」 闇の中では、見つめ上げてくる瞳から感情を読み取るのは難しい。きっと真剣な眼差しだと想像した。 返答を自分の内から掬い上げるまでに、数秒かかった。 「シャスヴォルを抜けた後、お前を殺して行方をくらますのは簡単だった。そうすればしがらみ一つ無く生きられた」 「どうしてそうしなかったんですか?」 「……飽きたから」 口に出したのはミスリアと出逢った日から度々気にかかっていた問題の答えだと、何かが心に落ちる手応えを覚えた。 「ただ生きる為だけに生きるのには、疲れた」 村や家族を失った時から、同胞の分まで生きなければならないと、それが己の義務だと無意識に思っていたのかもしれない。 従兄との約束を淡々と進めながらも自分自身はどう在りたいのか、深く考えたことはあっただろうか。 ――いや、無い。一日、また一日、「死なずに済んだ」日々を連ねていただけだ。自ら、未来に何かを望んだりはしなかった。 「貴方は本当は、機会さえあれば真っ当に生きたいと願っているのではありませんか」 「――――」 俄かに息が詰まった。 その願いが形になりつつあると自覚したのは何時だったろうか。この少女がそれに気付いたのは、何時だ――? 「一緒に、その道を探しませんか」 澄んだ声がそう囁きかけた途端、言葉では表せない衝撃を受けた。 こてん、とミスリアはその小さな頭をゲズゥの肩にのせた。柔らかい髪からは汗と埃と、微かな花の香りがした。 ゲズゥは是とも否とも答えられず、無言で再び走り出した。 その間ミスリアは黙り込んで、微動だにしない。眠っているのかと思えば、時折見上げられている気配はあった。 数分の沈黙が続く中。あることを言い出そうかどうか、悶々と迷った。 「……ミスリア」 「はい」 「頼みがある」 視線を宙に彷徨わせ、続きを言うまでに数秒かける。何度か口を開いて、不発に終わり、深呼吸だけをした。 「遠回りをさせることになるが――」 「構いませんよ」 返ってきたのは即答だった。 「ゲズゥにとって、そこまで悩むような大切なことなら、私は力になりたいです」 「…………悪い」 「こういう時は、謝罪よりも、嬉しい言葉がありますよ」 それが何であるのか少し考えて、思い当った。 「ああ――…………ありがとう」 「はい。私の方こそ、助けて下さってありがとうございます」 あの寝室で再会して以来、初めて安堵したかのように、ミスリアの小さな身体から緊張がほぐれた。 |
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