25.f.
2013 / 08 / 16 ( Fri )
 やがてゲズゥは、物音がすればいつでも目を覚ませるような、浅い眠りに落ちた。
 虫の鳴き声が一匹、二匹と数が増えていく。これまでは警備兵のひそひそとした話し声以外は静かだったが、忽(たちま)ち虫の合奏が周囲を満たした。夢現をさ迷う意識の中にも届く程である。

 しばらくして、夜風の香りと共に淡い霧のように――夢が訪れた。
 夢の中の少年には左目が無い。地に横たわり、眼球があるべき場所には空洞しかなく、そこからとめどなく鮮血が流れ出ている。少年は苦しげに胸を上下させて、青白い顔でこちらを見上げる。

 いつも、どうしてやればいいのかわからなくて同じ行動を取る。ゲズゥは従兄の手を両手で掴み上げ、無言で強く握った。
 湯気の上がる息を吐きながら、従兄は恨めしそうに呟く。

 ――頼む、約束してくれ。大人になったら、かならずこの五人を殺せ――

 目の前の惨状や従兄に頼まれた内容よりも、ゲズゥは掌に伝わる温度が怖かった。周りが燃え上がって熱くて気がどうにかなりそうだったのに、握った手からは温もりがどんどん失われていく。自分が総てを失うのだと、それを止める術を持たないのだと、否が応でもわからせた。

 ――任せたよ。族長の長男、お前なら、大丈夫だ――
 掠れた声から生気が抜け落ちていく。

 突如、いくつもの鋭い鞘音に目が覚めた。
 夢が霧散した。辺りはどっぷりと暗くなっている。
 国境に異変があったのだと瞬時に気付き、ゲズゥは騒ぎの中心を探した。

「出たぞ! こっちだ!」
「弓兵、番え!」
 十五人ほどの警備兵が二重に弧を描くように二列を組み立てている。「放て」の号令で、後列から一斉に矢の雨が飛ぶ。

 矢を浴びた、樹の如くそびえる青白い異形は、刺さった矢を煩そうに払うだけで怯まない。
 二本足で立って二本の長い腕を垂らしている姿はまるで人に見えた。と言っても、似ているのはそこまでだ。肩はあっても頭部が無い。
 胴体から短い咆哮が響き、同時に腕から何本もの太い枝が伸びた。

「うああああ」
 前列の人間が三人、枝によって貫かれた。痙攣する手から剣が落ち、金音がした。
「前衛、まだ交戦するな! 下がれ! 松明を投げろ!」
 指示を出している人間はまだいくらか冷静さを保っていた。植物に構造の似た魔物なら炎がダメージを与えると考えたのだろう。

 魔物に飛び移った炎が激しく燃え盛った。腐臭と煙と共に焦げた臭いが広がる。
 しかしダメージを与えるには至らないのか、魔物は平然と火の伝う枝で警備兵らを次々と地に叩き伏せた。

 赤く燃え上がる戦場を見ているだけで体温が上がりそうだった。ゲズゥは何度か深呼吸する。夢に出た光景と似ているせいで波立つ心を、鎮めねばならない。

 最初から壁を越えられる場所は限られていた。門の近くは、論外。そして三ヤード以上の高さの壁はおそらく外にも内にも兵士が配置されている。壁を越えようとしても、登る間に誰かに見咎められて射落とされるのがオチだ。

 だからこそこの場所である。
 兵士が不自然に多く待機していたため、過去に魔物が出た事がある場所と踏み――期待通りに今夜も現れた。
 これだけ混乱していれば人間の侵入者の一人や二人、気付けた所で迅速に対応できないはずだ。

 ――魔物を利用して人間を退ける。
 以前ミスリアが聖気で魔物を呼び寄せたと思しき時があったが、もしかしたら似たような理由からかもしれないと思う。
 ゲズゥは自らに手ぬぐいを巻いて猿ぐつわにした。何かに驚いたり怪我をしても咄嗟に声を上げない為である。

 
 地上を見下ろすと、燃える巨大な塊がさっきよりも壁に近付いていた。近くから増援も到着し、警備兵は前衛と後衛を巧く連携させて善戦しているようだが、魔物を倒せたとしてもそれまでに多数の犠牲が出るだろう。
 かくいうゲズゥも挑んでみたいとは欠片も思わない。

 ひゅっと息を吐いた。
 次の瞬間には樹の枝から飛び降り、地に一回転し、戦場のすぐ横を全力で駆け抜けた。

「何だ!? 新手か!」
 条件反射で矢が飛んできた。掠りもしなかった。
「あんな速さ、ヒトじゃないぞ!」
 誰かがそう叫んだ。どうやらゲズゥは警備兵らに新手の魔物と認識されたらしい。

 立ちはだかろうとする奴らの鎧を踏み付けて、跳躍した。
 勿論、飛び越えるには高さが足りない。うまく行くかは賭けである。タイミングを見極め、ゲズゥは腰に提げた短剣を壁に垂直に突き立てた。奇跡的に剣は折れなかった。

 ――これがエンだったら、鎖とフックを使って簡単に登れただろうに。
 そう思いつつも、武器屋から借りていた曲刀を抜いた。修理の終わった大剣を鍛冶屋から受け取った際、なんとなく曲刀も手元に残そうと思って武器屋に代金を支払ったのである。持ち歩く荷物は増えたが、その苦労も今、報われる。

 短剣と曲刀を交互に突き立て、壁をよじ登った。
 背後では魔物の咆哮と、侵入者に驚く人々の声が上がる。それでも矢は飛んでこなかった。魔物を相手にするだけで精一杯なのだろう。

 一分もしない内に登り切った。
 曲刀は壁に残して踏み台にし、後は壁の内側に飛び込むだけって時に――何か熱いモノが右腕に絡みついた。肌に触れるそれの感覚は乾いていて、細く、硬い。

 振り返った刹那、肩に激痛が走った。ボキッ、って音もしたかもしれない。
 とにかく夢中で枝から逃れようとして、気付いた。右腕が動かない。

 ――脱臼か!
 戻している暇は無かった。利き手ではない左手に短剣を握り、枝を斬り落とす。自分の皮膚も何度か斬ってしまったが、構っていられない。

 右腕を解放した直後にまた枝が伸び、それをすんでの所でかわして跳んだ。
 壁の内側に着地すると同時に背の大剣を鞘から出さずに振り回した。内側に居た八人ほどの警備兵は魔物が現れるのをよほど緊張した様子で待ち構えていたのだろう。一方で人間の侵入者は予想外だったらしく、唖然としている。おかげで苦も無く全員を倒せた。

 すぐに身を隠せる物影を求めて走る。登れそうな樹が無いので、低木の群れに紛れてしゃがみ込んだ。
 動き回った所為で余計に肩が痛い。脈も息も荒くなっている。大きな汗の粒がいくつも顎から垂れた。幸い、口に含んだ布が功を成して呻き声一つも漏らさずにいる。

 少しだけ、ゲズゥは呼吸が落ち着くのを待った。
 さて、自分で脱臼を戻すのは非常に気が進まないが、利き手が使えないままでは不便である。後で聖気で完全に治してもらえば後遺症は残らずに済む。
 それは、まずはミスリアを無事に助け出すのが絶対条件だが。

 歯を食いしばりながら、ここまでする価値が本当にあの少女にあるのか、思いを馳せずにはいられなかった。
 相変わらず何度考えてもわからない。どちらにせよ、この段階で引き返すことはできない。

 動かせる方の左手で右腕を九十度に折り曲げ、脱臼した肩を戻す手順を辿った。決定的な一瞬まで、激痛の波に耐え続けた。
 何故かその間、死の淵から還った時に見たミスリアの泣き顔と、握った小さな手の温もりを思い出していた。

拍手[0回]

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

10:06:58 | 小説 | コメント(0) | page top↑
<<25 あとがき | ホーム | 今日の台詞選手権>>
コメント
コメントの投稿













トラックバック
トラックバックURL

前ページ| ホーム |次ページ