24.a.
2013 / 07 / 05 ( Fri )

 赤黒い空を背景に、見覚えの無い古城を見上げていた。むしろ、廃城か荒城と呼んだ方が似合うような歪な形である。
 人の気配はない。烏の鳴き声を除けば完全な静謐が辺りに流れていた。

 城の端にある瓦礫の山にて数羽の烏が戯れ、城の壁は蔦に覆われている。どこからか腐臭が漂っている気がした。烏たちが突付いているのは或いは何かの骸であるのかもしれない。

 瘴気が周囲に充満しているのは明らかだ。ならば、此処は忌み地だろうか。
 低い丘の上で、堀に囲まれた黒ずんだ城。これまでに見てきた絵画や記録を思い返しても、これに該当するものは無かった。

 ――それにしても、おかしい。
 自分はいつの間にこんな、まるで記憶に無いような地を訪れたのか。これより以前に何をしていたのか、どうやっても思い出せなかった。

「もしかして夢?」
 その言葉が舌を転がり落ちた途端、何かが足首を強く圧迫した。
「ひっ」
 ひどく冷たい感触に全身が鳥肌立った。

 鋭く足元を睨むと、そこには頭部の右半分がごっそり欠けた人間らしきモノが這っていた。
 恐怖とおぞましさで声が出なかった。魔物、だろうか。生死をさ迷う人間、だろうか。
 思わず、自由な方の足でソレを蹴った。足首にかかった力が弱まると、そこから逃げ出した。

 しかしあろうことか自分は古城に向かって走り出していた。間違った判断だと頭の中ではわかっているのに、どうしてか体が方向転換できない。
 かろうじて堀の前で停止した。

 すぐに吐き気を催した。
 堀の中は、腐敗した人の屍骸でぎゅうぎゅう詰めになっていた。

(夢なら今すぐ覚めて――!)
 心の中の叫びに応えてのことなのか、世界がフッと消えて別のものに入れ替わった。同時に意識から何かが抜け落ちたような、切り離されたような、妙な手応えを感じた。

 掌に触れる感触はひんやりとしていて柔らかい。視界の半分は緑色に輝いている。この匂い、草だ。
 目に映る空はやはり赤いけれど、つい今まで見上げていた重苦しい色ではなく、茜と薄紫が入り混じった優しげな模様である。これは夕暮れ時の色。

 どうやら夢の中と違って現実では自分は横たわっているらしい。
 ゆっくり身を起こすと、目に見える世界を野原が満たした。

「聖女ミスリア。気が付きましたか」
 離れた場所から、柔らかい声が響いてきた。気遣い、慈しむ声音である。
「あの……此処はどこで、私は……」
 だれ、と問いそうになって、やめた。

(ミスリア……そう、だわ。私はミスリア・ノイラート。教団に属する聖女)
 自分が身にまとっているのは聖女の着る純白の衣装で間違いなかった。
 そこまではわかる。が、そこからが曖昧にしか思い出せない。

 呼びかけてきた声の主は両手を組み合わせた丁寧な立ち振る舞いで、微笑んだ。
 真っ直ぐな黄金色の長髪が風にそよいでいる。男性だとは思うけれど、小柄で華奢な体型だった。ぼんやりとしか姿が確認できないほどに、その人は離れた位置に佇んでいる。

「では、私が誰だかわかりますか?」
 彼はミスリアの問いかけには答えずに別の質問を返した。
「……私にとって身近な方でしょうか」
 失礼な物言いと思いながらも、ミスリアはそのようにしか返せなかった。見知った人間であることは薄っすらと感じられる。

「いいえ。あまりよく知らないかもしれません。困りましたね」
 金髪の男性は隣に立つ別の男性を振り仰いだ。裾の長い黒装束は、司祭の位を持つ者が着る正装に見えた。こちらの司祭の人は金髪の男性以上に、ミスリアには知らない人に思えた。

(ところでどうして彼らはあんなに離れているのかしら)
 助け起こして欲しいとまでは思わなくても、この距離の取り方は不自然に思えた。

 二人の更に後ろに、もう一人男性が立っていた。
 遠目にも長身とわかる、黒髪の青年だ。両腕を組んで静止している。

「ゲズゥ!」
 より自分にとって身近な人間の姿を認めて、ミスリアの脳は冴え渡った。
 思い出した。

(私は巡礼の旅をしている。そして、最初の聖地である岸壁の上の教会を訪れた)
 でも、それならどうしてあんな不吉なイメージを見たのだろう?
 聖地とはいったい何であったのか――

 前触れもなく息が苦しくなった。襟元を片手で押さえ込む。
 ひとつの想いが、目的が、全身を占め付けていく。他のことを考えようとすれば頭が激痛を訴えた。
 ――行かなければ! あの地へ! 直ちに! 行くのだ!

「聖女ミスリア」
 力強い、澄んだ声に、ミスリアはハッとした。
「落ち着いて。まずはこちらにおいでなさい。一緒に順を追って、思い出して行きましょう。あなたが経験した一切を」

「げい……か……」
 尚も混乱する心を落ち着けて、何とか立ち上がった。ゲズゥが、身動き取らずにじっとこちらの動向を見守っている。
 はい、と声を絞り出して、ようやくミスリアは三人に向かって一歩踏み出した。

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