22.a.
2013 / 04 / 17 ( Wed )
「何としても僕は! 一生をかけて必ず君を幸せにする。お願いだ、もう一度考え直してくれないか」
「……ごめんなさい……あなたに落ち度があるわけじゃないわ。むしろ私は、あなたが私なんかに時間を費やしてくれてることが心苦しいの」

「何を言っているんだ、君は素敵な女性だよ。時間がどうとか、悲しいコト言わないでくれ」
「あなたを想ってる女性は他にもたくさん居るから、私よりもその子たちのどれかを選んで幸せにしてあげて……」

 雑踏の中、イトゥ=エンキは込み入った会話を交わす一組の男女とすれ違った。周りにまったく気を配らずに大声で話す二人を少し振り返って一瞥する。
 男の方は中背だが肩が広くがっしりとした体格で、清潔そうなシンプルな色合いのシャツを着ている。女は男の前を歩いているため、蜂蜜色の長い髪以外の後ろ姿は、男の身体に隠れていて見えない。

(こーんな大勢の人間が行き来する場所で、面白い話してんなぁ)
 イトゥ=エンキは手に持った焼き菓子をぱくっと食んで、もう一度二人を流し見た。男は決して美丈夫と言えるような顔つきではないが、眉の形などから誠実そうな印象を受ける。
(不満があるわけじゃあないのかー。あの断る理由はマジっぽかったし)
 男のプロポーズを女が丁重に断り、男が納得していない、というシナリオだろうか。

 世の中の女どもがどういう男と結婚したいのかはわからないが、イトゥ=エンキには男は良さそうな物件に見えた。家庭を大事にしつつ、しっかりとした職に就いて真面目に働きそうな、そんなイメージである。
 この場合、間違いなく女の方に理由があるのだろう。しかも話しぶりからして、何か問題を抱えていそうだ。

(なんだろーな。身体的欠陥? 泥臭い人間関係? 過去の罪?)
 大して意味の無い物思いにふわふわと思考をさまよわせながら、イトゥ=エンキは青空を仰いだ。綿菓子よりも柔らかくて美味しそうな雲がのんびり飛んでいる。

(焼き菓子も甘くてオイシイけど、これじゃあ綿菓子欲しくなるな)
 露天商から買った菓子を残らず口に放り込んだ。
 実はイトゥ=エンキは子供の頃から大の甘党だったが、残念ながら山賊団の仲間に味の好みの合う仲間は居なかった。

(某オヤジは辛い物としょっぱい物が大好きだったし)
 その影響か山脈にはなかなか甘い物は出回らなかった。もう他の人間に合わせる必要は無い、と思うと心躍る。

 次は何を買ってみようかと大通りに並ぶ露店を見回し、そこでイトゥ=エンキはとある二十歳前後の青年に視線を留めた。長身で黒髪と褐色肌、汚れた身なりに大荷物、などとかなり目立つ容貌だ。道行く人間の誰もが一度は振り返っているというのに、本人は面白いくらいに周りを見向きしない。

 そんな上の空な青年の傍では栗色ウェーブ髪の小さな女の子が露天商の商品を見比べていた。肥え気味の若い女が熱心に己の商品の素晴らしさを説いているのを、少女は相槌を打ちながら聞いている。

「蝶の翅(はね)で作った絵模様ですか。色鮮やかで、とても綺麗ですね」
 などと少女は微笑むが、口元が引きつっていた。多分、蝶が生きてる時に翅を抜かれたのか死んだ後に抜かれたのか訊きたいけど知りたくない、という心境だと思う。
 そうでしょうそうでしょう、どれも珍しい一点物ですよ、と露天商人は熱心に勧める。

 逃げるタイミングを計りかねている少女の首根っこを、青年が無言で掴んでは引き上げた。名残惜しそうに肥え気味の女が声をかけるも、青年は全く構わなかった。

(こっちはこっちで、なし崩し的に付き合いそーだな)
 ミスリアを引き連れたゲズゥが無表情にこちらに向かって来るので、イトゥ=エンキはへらへらと笑っておいた。

 二人が互いにそれらしく意識し合う段階に至っていないのは見ていてわかる。だが長い二人旅である以上は、機会はこれからいくらでもあろうというもの。しかもゲズゥの方は一旦目標を定めたら速やかに逃げ場を絶って相手を包囲しながら絆しそうなタイプだ。あくまでイメージに過ぎないが。

(大人しそうに見えて、絶対、攻めまくる側の人間だよな)
 と、やはり大して意味の無い物思いに耽った。

 長年追い求めていた答えがすぐ近くにあるかもしれないのだ。期待が膨らみ過ぎないよう、時間を稼ぎつつ気を紛らわせようとしている。
 お遊びもこのくらいにしてそろそろ教会寄ってこうか、と提案しようと思ってイトゥ=エンキは口を開きかけた。

「きゃああ! ひったくりー!」
 甲高い悲鳴。
 誰かが走り去る時にできる疾風を頬に感じ、イトゥ=エンキはたった今通り過ぎた複数の人影を目で追った。

「おお。集団でひったくりとかあんま見ねーなー。しかもアレ、三人ともガキじゃねーの? 完全に遊び心じゃん」
「何呑気なこと言ってるんですか、捕まえて下さいっ」
 と、目の前に立った少女ミスリアが懇願する。

「何で?」
 あんなん、盗られる方が間抜けだろ、とは言わなかった。
「何でって……とにかくお願いします!」
 今度はゲズゥに向けて懇願している。

「荷物見てろ」
 ゲズゥの対応には躊躇が無かった。大荷物を脱ぎ捨て、脱兎もびっくりな速さで走り出している。どう考えてもひったくられた人間を助けたい一心からではない。ミスリアに対する従順さからなのか、それはわからない。

(コイツ、絶対なーんも考えてないな。言われたから素直に動いてみた、ってなノリだ)
 それとも目の前を通り過ぎた小鳥をつい追いかける猫と同じ心理か。
 仕方なく、イトゥ=エンキも後に続いた。

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