21.i.
2013 / 04 / 17 ( Wed )
 それからゲズゥは何度か地面を蹴って勢いを緩和し、無事に着地した。
 辺りが再び静まり返っている。他に敵が居る気配はしない。
 振り返れば、エンが暴れ続けるトカゲの胴体を鎖で何重にも縛っていた。

「とりあえずこれで終わったんか? 思ったより呆気ないな」
「終わったと、思いますけど……」
 エンの問いかけに、ミスリアは歯切れの悪い返答をした。首の落ちた方向へと、こわごわと歩いている。その背中を追ってゲズゥも歩き出した。

 ミスリアはトカゲの首に近づき、4フィートの距離のところでゆっくりしゃがんだ。膝の上に手を揃え、真剣な眼差しで首の動きを凝視している。止まるのを待っているのだろうが、生き物と違って、いつ力尽きるか見当が付けられない。

「止めを刺す」
 ゲズゥは大剣を構え直し、「手伝え」とミスリアに目配せした。
 察して、ミスリアはそっと右手を剣の先に添えた。銀色の光の帯が剣を包み込む。

 しばらくして少女の白い手が離れると、ゲズゥは一歩前へ踏み出た。
 いつしかトカゲの首も大人しくなっていた。爬虫類の両目がこちらをひたと見据えている。聖気が近くにあることに、関係があるのかもしれない。どちらにせよ好都合である。

 ゲズゥは魔物の脳天に剣を突き刺した。剣先を覆う聖気がじわじわと魔物を粒子に変え、浄化してゆく。その間にミスリアが胴体をも浄化していた。

 全てが終わってもミスリアの顔が晴れず、むしろ眉間に皴が寄っているのを、ゲズゥは目の端で捉えた。
 何か不自然な点があっただろうかと一部始終を思い返し――魔物らの表面に人面が浮かばなかった事に気付いた。そこでミスリアが立ち上がって静かに話し出した。

「……どうやら人間をもとにしたのではなく、動物をもとにした魍魎だったようです。大昔はそれこそ普通のトビトカゲで……瘴気に当てられて生態が変質し、死体喰らいや共食いをする内に魔物になったのでしょう。ずっと分離と喰らい合いの悪循環を」

 魔物の生じる原理について聞いた事があるゲズゥはなんとなく納得し、事情を断片的にしか理解していないエンは考え込むように顔を歪めた。そして現状に関する重要な情報だけに焦点を当てた。

「分離って何だ? じゃあ同じようなのが何匹も居たのは大元からの分身だったってか」
「大元が居たかどうか、そこまではわかりません。分離した後はそれぞれの個体が独立して行動するのだと思いますけど……困りましたね、これでは樹海の中はもしかしたら……」
「似たようなのがまだうじゃうじゃ居るんだろーな」

 エンが淡々とその先を告げた。
 刹那、誰もが互いの顔を見合わせるだけで次の言葉を発さなかった。

「…………いちいち退治していては日が暮れる」
 ゲズゥは己の考えを提示した。
「だよなぁ。そうなったら状況が悪化する一方だし。突っ切るか」
 同意しつつもエンは戦闘中に手放した荷物をせっせと片付けだした。それに倣ってミスリアもゲズゥも支度を整える。

 またしても慌しく移動せねばならない現状に、ゲズゥは何も思わなかった。どうせこの大陸をうろつく限り、安寧の日々は遠い。
 ――そもそも安寧がどんなものであるのか、あまり思い出せない。
 村を失って以来、長く平和な日常が続いたためしが無かったからだ。

「なあ、オレ替わってやろうか?」
 ふいにエンは手で何かを背負う仕草を真似た。ミスリアの正面に立ちながらも、こちらを見て話している。
「たまには休みたいだろ。あーいや、嬢ちゃんが重いとかそういう話じゃなくてだな」
 ミスリアを背負って走る役割を替わろうか、という話らしい。休みたいとは特に思わないが、替わってくれるならそれも良いだろう。

「え、ええ、それはあの、できれば遠慮……させて頂きたく……」
 ゲズゥが口を開く前に、当人が何やら恥ずかしそうに頭を振った。
「えー? 遠慮すんなよ、まだ全快じゃないんだろ。それとも……」エンは顎に手を当て、ニヤニヤと口の左端を吊り上げた。「コイツが良くてオレが駄目な訳ね、ほほー。なーんかフラれた気分だな」

「そんな……本当はどっちも嫌……じゃなくて、えーと、ゲズゥの場合は仕方ないと割り切ったのですが、イトゥ=エンキさんにそんな迷惑かけるには心の準備が……」
「ふむふむ」
 挙動不審なミスリアに対し、エンは喉を鳴らして笑いを噛み殺している。

 結局、普段と変わらずゲズゥがミスリアを抱えて走ることになり、それからは三人は言葉を交わさずに黙々と進んだ。
 「道」を探し出しては先へ急ぐ――その繰り返しだった。
 魔物に遭遇しても大抵は戦闘に展開させずになんとか逃げ切った。

 静寂の中、平常より速まっている己の呼吸音がよく聴こえる。エンも息が上がって、たまに立ち止まっては顔に浮かんだ汗を服で拭っている。
 二、三度休憩を挟んではいるが、もう一時間近く走り回っている気がする。出口に近づけている感覚が全く無かった。

「あと少しのはずです」
 少女の吐息が、ゲズゥの黒髪に降りかかった。
 ゲズゥは返事の代わりにただ頷いた。ミスリアが指差す次の方向へ、走り出す。

「……イトゥ=エンキさん」
 ふとミスリアが呟いた。
「ん?」
「貴方が探しているのってどんな人ですか?」
「あー……」
 考えをまとめようとエンが唸る。

「姉だよ。長い蜂蜜色の髪で、はにかんだ笑顔が可愛い感じの」ふう、と一度空に向けてため息をついてから、エンは話を続けた。「岸壁の上の教会のコトを、自分にとって一番安らぐ聖域だって言ってた。だから別れた後、あそこなら何か手がかりがあるかもってオレは考えたんだ」

「お姉さまは、教会に行った事が?」
「行った事あるっつーか――」
 答える途中で、エンは口をつぐんだ。正面を向き直り、何かに耳を澄ませている風だった。

 ゲズゥも耳を澄ませてみた。
 微かに、長く伸びた音が聴こえる。よく聴き慣れた規則的な響き。最初は一つしか聴こえなかった音が、意識してしまえば重奏になった。

 蝉だ。
 生き物の気配が希薄だった樹海の中に、新たな空気が吹き込まれる錯覚がした。淀んだ瘴気に混じって生命と緑の香りが鼻腔に届く。
 無意識にゲズゥはペースを上げて走った。すぐ後ろにエンがついている。

 境界が近い。闇が解けてゆく――

 ぶわっと暖気が身体を包んだ。樹海の中の空気とは違う、正常な夏の風そのものだ。
 晴れ渡った空に目を眇める。時刻はいつの間にか正午近くになっていた。

 坂下に広がる町は白と黒と灰色の建物が多く、その上空にはカモメが飛んでいた。町は全体的に明るい雰囲気を発し、しかもかなり発展しているように見える。建築物のどれもが手の込んだ芸術品並に凝った外観をしている。
 市場や行商は賑わい、人々の表情は遠くから見ても楽しそうである。野菜売り場で、子連れの母が猛然と値切っている以外には。

 まるでゲズゥらを待ち受けていたかのように、ちょうどその時に時計塔が鳴り出した。重厚な音が蝉の声すらかき消す。
 視界の一番奥、つまり此処から最も遠い位置の建物からだった。

「今の四つの音の短い旋律は……四十五分って事ですね。あれが教会でしょうか」
 ミスリアの問いに答えずに、ゲズゥは目を凝らした。確かに時計塔は単独に建っているのではなく何かの建物にくっついている。
「時計塔が町の中心でなく端にあるのは教会に付いているからかもしれません」
 さあ、とゲズゥは少女を腕の中から下ろした。

「でもそれより、無事に着きましたね」
「……ああ」
 嬉しそうに話すミスリアに、ゲズゥは頷いた。
 これでまだ「最初の巡礼地」だというのだから、これからも当分旅が続くのかと想像して、ゲズゥはなんともいえない心持になった。ミスリアの旅が終わった暁には自分がどうなるのかなど、まだ考えなくていいはず――。

「イトゥ=エンキさん?」
 ミスリアの声で気付き、ゲズゥもエンの方を振り返った。
 左頬に複雑な模様がある男からは返事が無かった。奴は呆然と町を見下ろすばかりである。

「大丈夫ですか?」
「……あー、うん」
 再度の呼びかけに、エンは瞬きをして応え、一度深呼吸をしてから次の言葉を搾り出した。

「話には聞いてたけどちゃんと見てみるとスゲーなあ。や、そんなことより、やっとだ。やっと、ヨン姉の好きな教会に行って、手がかりを探せる。十五年は長かったぜ」
 黒い模様が徐々に触手を伸ばしてエンの笑顔を侵食した。抑えきれない程の喜びがあるのか、それとも単にもう感情を抑えるのを止めようと決めたのか。

 もしかしたらその現象を初めて目にするかもしれないミスリアは、目を丸くして彼を見つめていた。

「よかったな」
 一言、ゲズゥはそう言った。本心からだった。
「おうよ。行こうぜ」
 そうして三人、坂を下りた。

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