20.d.
2013 / 01 / 31 ( Thu )
 恐怖の類を感じないゲズゥでも思わず静止してしまうような、悪意の溢れる凄艶な笑みだった。
 反射的に警戒してしまうが、悪意が向けられている相手が自分ではないと熟知しているので、すぐに解いた。

「……そう。アナタたちの関係が一言で言い表せないのは、よくわかったわ」
 アズリが僅かに肩を引くのを、ゲズゥは見逃さなかった。アズリでさえ反応する程ならば、ミスリアの方はどうだろうか。ゲズゥは少しだけ首を傾け、ミスリアの表情を窺い――眉をひそめた。

 彼女はどこか焦点の合わなそうな目で、襲い掛かろうとする連中の方をぼんやり見つめている。ついさっきまで普通に怯えや不安などの感情を表していたのに、今は心ここに非ず、といった風だ。
 様子がおかしい――。
 ゲズゥが呼びかけようか迷っている内に、エンが呟いた。

「さて、と。どうやって起こすかな。おねだりしたいことは、無くもないんだな」
 頭領の傍にしゃがんで、頬を叩いたりしている。
「でもお前、容赦なくやったからなー。簡単には起きないかもなー」
 エンがちらりと、こちらに視線を送った。それを機に、ゲズゥは口火を切った。

「方法ならある」
 そう言って、ゲズゥは肩に触れたままの小さい手を握った。反応が無いので、次いで名を呼んだ。
「ミスリア」
 呼んでからも数秒ほど反応が無かったが、やがて少女は振り返った。

「……はい?」
 茶色の瞳が揺れた。
 ゲズゥは目配せで、頭領を起こすように促した。察しの良いミスリアのことだ、これまでの会話を耳に入れていたならば、それだけで意図を読み取れるはずだ。

 反応速度が普段より遅いのが気になるが、ミスリアが頷いたので、握った手を放してやった。

「イトゥ=エンキさん、私は『聖女』です。その方を、気付かせることはできると思います」
「嬢ちゃんが聖女だって? あー……道理で……。ちょっと待ってくれ」
 エンは首をやや後ろへ傾け、思考を巡らせるためか、目を閉じた。

 小麦色の肌に、アザみたいに色素の濃い箇所が、薄っすら浮かび上がっている。それらの形状は、いつも露わになっている左頬の模様に酷似していた。

「じゃあ、頼むぜ」
 しばらくしてからエンは目を開け、体を傾けてミスリアに細かい指示を耳打ちした。わかりました、とミスリアが返事をし、頭領の真上に手をかざした。
 外傷が治る様子が無い。あくまで、意識を取り戻させる程度の治癒を施しているのだろう。

「おはようございます、頭。じゃなくて……オヤジ、かな」
 頭領の目が開いたのと同時に、エンがその腹に片足を乗せた。折り曲げられた自らの膝の上に肘を乗せ、微笑んでいる。

「取引しようぜ」
 いつの間にかエンの皮膚が所狭しと黒い模様に覆われていた。
 感情の起伏に合わせて全身にも模様が浮かび上がるのは、紋様の一族のもう一つの特性だ。

 それは美しいのか恐ろしいのか、多分どちらでもあってどちらとも言えない、姿であった。

_______

 頭領が起きた後の怒涛の展開を、ゲズゥはあまり覚えていない。
 奴が起き上がり、雄叫びを上げ、それで時間が止まったかのように会場が静まった所まではちゃんと注意していた。
 直後、先に硬直が解けた連中はそれでも諦めずに頭領を攻撃しようとしたが、あまりに一方的に襲撃者どもがやられるもので、観察する気も失せたのだった。

「アンタも飲む?」
 ふわりと、女の声と、甘酸っぱい香りがした。ゲズゥは洞窟の天井に向けていた視線を、下へ落とした。壁の炎だけが明かりなので少し目を凝らす必要があった。

 アズリがグラスを差し出している。香りの発生源はグラスの中のクリーム色の液体らしい。確か、特種な樹液を発酵させて作った酒だ。
 グラスの細い足に巻き付いた白い指が、闇の中では妙に艶めかしく見えた。

「まあ、でも、両手が塞がっているものね」
 ゲズゥが答えないからか、アズリはひとりでに納得して手を引いた。唇にグラスを引き寄せ、微笑んでいる。

 手が塞がっているというのは、先刻気を失ったミスリアを抱えていることを指しているのだろう。

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