思えば、ゲズゥもまた肩書きとどこか噛み合わない性格をしている。
どうしてそう感じるのかはまだ良くわからない。彼が顔色一つ変えずに人を殺すだろうことは想像に難くないし、あまり罪の意識を覚えている様子も無いのに、やはり「天下の大罪人」の呼び名と本人との間に違和感があるような気がするのだ。
(人は、心のままに生きるとは限らないのかしら)
それとも、悪事を働く時だけの状況と条件があると?
失礼にならない程度に鳥肉の煮物にそっと息を吹きかけながら、ミスリアは考えを巡らせた。
煮物と言ってもほとんど具よりもスープの部分が多く占めているのでスープと呼んだ方が正確かもしれない。
美味しそうな匂いに反応して胃が音を立てて踊る。熱いからまだダメ、と何度も頭の中で反芻した。一方、向かいに座る彼は何とも無さそうに片手でお椀を持ち上げてスープを啜っている。
スープと湯気とイトゥ=エンキに気を取られ、ミスリアは横から現れた気配に気が付かなかった。
「なあなあ、ゲズゥ・スディルがヴィーナ姐さんの昔の恋人ってホントかっ?」
いきなり誰かが隣に腰を下ろしてきた。肘をテーブルに乗せて、詰め寄ってくる。
「え」
見知らぬ男性の出現にも驚いたけど、質問の内容に何より虚をつかれた。
「どぉなんだ?」
ニヤニヤ笑いながら肥満気味の男は答えを促した。聞き慣れない訛りで南の共通語を話している。耳障りな声に、はっきり言って体臭のきつい人である。
ミスリアは身を引いた。すると背中が何かにぶつかった。
「なんかそんな雰囲気だったじゃん、なあ」
空いてた隣にまた誰かが腰を下ろしていた。こちらは酒臭い。
「嬢ちゃん、アイツの何? 泥沼ってヤツになるかねぇ。三角……じゃない、四角関係だな!」
昼間であるに関わらず、明らかに酔った男がミスリアの背中を叩いてガハハと大笑いしている。顔の半分が薄茶色の髭に覆い隠されている。
(やだ、何この人達)
両端を挟まれて逃げ場が無いミスリアは引きつった笑顔だけ返した。
(そんなこと訊かれたって、私だって知りたい側の人間だもん)
昨夜は疲れて混乱していたため、そしてアミュレットの問題が優先だったため、何も見なかったことにした。後になって、二人の間にあったただならぬ空気が気になって気になって仕方がなかった。
何か良からぬ感情が胸の奥で渦巻いている気がする。
唯一の旅の供を失う不安だろうか? それよりもっと子供っぽい、独占欲?
ミスリアが思い悩む横で、左右の男たちはグダグダ喋り続ける。
――ドン!
いきなり大きな音が響き、勢いでテーブルが振動した。慌ててお椀を両手で支え直す。幸い、ミスリアのスープは零れなかった。
食堂中に妙な沈黙が満ち、全員の注目がイトゥ=エンキに集まった。
「お前ら、ウザイ。嬢ちゃんと今話してるのオレなんだけど」
紫色の双眸に一睨みされて、絡んできた男たちは青ざめた。
「五秒以内に失せろ、でないと耳の一つでももらうぞ」
いつの間にか彼の手には鋭利な刃物が握られていた。普段腰に提げている直刀である。
「すいません、アニキ!」
髭に侵食された方の男が謝ったのと同時に、二人は走り去っていた。
更にイトゥ=エンキが素人のミスリアにすらはっきりと感じ取れる殺気を発したため、集まっていた視線は散った。
内心気圧されているものの、ミスリアは落ち着いた様子を装った。
二人は沈黙の中、スープを啜った。
(素朴だけど美味しい……)
鳥を捌いた人の腕前か、肉の間に混ざるであろう骨の破片も少なくて食べやすい。
お椀の中身が半分なくなった頃には食堂に喧騒と活気が戻っていた。それに乗じて、ミスリアも口火を切った。
「あの……不思議に思っていたんで訊いてもいいですか。愚問でしたらすみません」
「どーぞ?」
「……明らかに年上の方々に『アニキ』と呼ばれてるのは立場が上だからですか? 貴方の方が強いからですか……?」
「あー、そういう話。そりゃ弱かねーけど、アイツらが礼儀を払うのは別にオレの実力がどうとかじゃないぜ、頭の気に入りだからだ。つっても頭が好きなのはオレの顔だとさ」
「か、顔ですか?」
予想外の返答にミスリアは目をぱちくりさせた。
「男色でなければ両刀だとか思ったろ?」
イトゥ=エンキは頬杖ついて唇の左端だけ吊り上げて笑んだ。
「そんな下世話な想像なんてしてません!」
「ははは、冗談冗談。ただの芸術品を愛でるのと似たカンジだから。それより、オレの質問の番」
彼がそう言った瞬間、空気が重くなったように感じられた。ミスリアはお椀を置き、姿勢を正した。
「はい。何でしょう」
「岸壁の上の教会ってのに、心当たりあるか?」
「!」
ミスリアは息を呑んだ。
(それって――)
深く大きな川に面し、突き出る高い岸壁。外界から隔たれたその場所に建つ、空と海の色に彩られた美しい教会。
絵画や本で見ただけで自分の足ではまだ行ってみた事の無い場所だけれど、確かに知っている。
「あるんだな」
イトゥ=エンキは確信したように一言だけ漏らした。
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