17.g.
2012 / 11 / 07 ( Wed ) 「どうして貴方がそれを?」
ミスリアは慎重に訊き返した。 「どうして教会の存在を知っているかって? それともどうして場所を知りたがっているかって?」 「……では後者で」 「探してるモノがあるんだよ。見つかるとはもう思っちゃいねーが、手がかりはそこだけなんだ。嬢ちゃんが聖職者なら知ってるかもと思ったけど、当たったな」 紫色の瞳が悲しげに揺れている。何か深い事情があるのは明白だった。ミスリアはどう答えるべきか迷った。 アルシュント大陸が如何に広くとも、岸壁の上の教会は一軒しか存在しないはずだった。 その岸壁から東は深い樹海に覆われており、それも予め道を知っていなければ確実に迷うような場所である。なんでも、下手に踏み入れれば数分で眩暈に襲われては気絶するという、いわくつきの樹海だ。 逆に岸壁側から登るのもほぼ不可能とされている。 教会が建つにはやや不自然な地。しかしそれには勿論理由がある――。 イトゥ=エンキはテーブルに肘を付き、ミスリアに顔を近づけて、耳打ちした。 「オレをそこへ連れてってくれないか」 吐息が耳たぶにかかり、ミスリアは微かに身震いした。ハスキーボイスが妙に近い。 「できません。『訊きたい事』はそれだけですか?」 距離のせいか、つい囁くように返事をしてしまった。 「頼む」 「……すみません」 彼の切なげな表情に、ミスリアは動揺せざるを得なかった。それでも、是とは答えられない。 何故ならば、岸壁の上の教会が聖地に建っているからだ。皮肉にもそこが目指すべき最初の巡礼地でもあった。 聖地に賊を連れて行くことが叶うとは思えない。むしろ、聖女の護衛を務めるゲズゥですら敷地内に入れないかもしれない。 「本当は、自分の足で行ってみようと試した事もあった。でも樹海が阻む。どうあっても進められねーんだ」 「そうまでして何を探してらっしゃるんですか? 何を、ではなく、誰を、と訊ねるべきでしょうか」 「生きてるか死んでるか知りたいだけなんだよ。生きてるなら、元気かどうか確かめたい。十五年経ったけど、どうにも諦められないんだ。これって変だと思うか?」 ミスリアが口を開くより先に、頭上から低い声が降りかかった。 「変だなんてことは無い」 そう呟いたゲズゥがミスリアの隣に座った。鳥の揚げ物の串を三本、右手に持っている。 「何だ、盗み聞きか」 必死な表情がすっかり消えたイトゥ=エンキは怒っている風でもなく、のんびりとした口調だった。 「気にするな」 無機質な返事。バリバリと串の肉を一本分食べ切ってから、ゲズゥはまた喋った。 「家族の安否を諦められないのは当然だ」 ゲズゥはどうやら、イトゥ=エンキが家族を探しているらしいと文脈から拾ったようである。「気にするな」は盗み聞きの話ではなくさっきの「変だと思うか?」の質問に対して言っていたのかもしれない。 「……オレはお前と同じだよ、『呪いの眼の一族』。ウチの一族は駆逐こそされなかったが、紋様が美しいからって理由なだけで愛玩奴隷として求められ、利用され、飽きられたら捨てられた。そうして発狂し、果ては身を投げた同胞は多く居た」 何を思ったのか、イトゥ=エンキは愁いを帯びた声で壮絶な事実を語り出した。 「または、紋様の中に重大な魔術やら秘密やらが潜んでいると思い込んだ人間に監禁されたり、研究対象にされたり。そんな特殊な機能も意味も何も無いってんのに、悲惨なもんだよ」 「ああ。人間は醜い」 ゲズゥは二本目の鳥肉を食みつつ、あっさり賛同した。 何とも居心地悪い話題である。少数民族としての二人の会話に、一般人のミスリアが入っていくことはできない。 食堂では明るい話し声が飛び交っている。ここのテーブルだけ、切り離された空間みたいだった。 ミスリアは空になったお椀を指先で押し退けたり、そっと回したりして玩んだ。 「そういう訳だから、後生だ」 イトゥ=エンキは再びミスリアと目を合わせて懇願した。人目があるからなのか、手を合わせるまではしていない。そうでなければ土下座でもしそうな雰囲気である。 「ダメです。貴方を信用できませんから」 ここは一つ直球で応えることにした。 「じゃあ、これから信用に値する人間だってアピールするから、大丈夫だと判断した暁にはオレの頼みを聞いてくれるか」 「そ、そんなこと私の一存では……代わりに問い合わせることならできると思いますが」 ミスリアは口ごもった。あまりに真摯に頼むものだから、つい承諾しそうになってしまう。 (敷地まで入れなくても付いてくるくらいなら……) 後は教会に入ってミスリアがその人のことを訊ねればいい。そこまで譲歩してもいいと考え始めている。 「――最後に見たのは泣き顔だった」 ぽつり、彼は呟いた。伏目がちにテーブルに視線を放っているように見えるけれど、焦点がそこに合っていない。 「楽しい思い出も沢山あるけどな、この十五年間、一番思い出すのは最後に見た顔なんだよ。殴られた痕であちこち腫れてて。何があっても生きろと、泣きながらオレに言い聞かせた」 どれほどの苦しみであったのか、本人でなければわからない。 それでも話を断片的に聞いただけでもミスリアの胸は鋭く痛んだ。 「わかりました。では、貴方が信用できる人間とわかり次第、必ず連れて行くと約束します。イトゥ=エンキさん」 そう言葉をかけてやるのが精一杯だった。 |
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