16.g.
2012 / 10 / 12 ( Fri ) (そんなこと、私が知りたい)
ミスリアは壁際のゲズゥを見た。相変わらず彼はどこへともなく視線を宙にさまよわせている。 おそらく自分たちの生死のかかった問題だと言うのに、ゲズゥはまるで気にしている素振りを見せない。 (何か対策を練っているならいいけど……いいえ、他力本願ではダメ。私も考えないと) 考えあぐねて弱気になりそうな自分を心の中で叱咤する。 「お前ら、東から来たんだろ」 ふいに声をかけられて、ミスリアは顔を上げた。 「そうですけど」 特に躊躇せずに答えた。 最初に会った時と比べ、刺青の男に対する恐怖心は大分薄れている。隙あらばこちらを威嚇してきた他の男たちと違い、まとめ役たる彼は必要以上に関わってこなかった。ゲズゥを殴ったあの一回を除けば、暴力も振るわない。 彼の言葉の発音が割とはっきりしているのもポイントである。 (それにしてもこの人は、いきなり何を確認しているのかしら) 互いに遭遇した地点を思えば、ミスリアたちが東から山脈を進んでいたのは明白だったはずである。 「じゃあ知らないか……」 「何をです?」 「あー、気にすんな」 訊き返しても、彼は返事を濁しただけだった。最初からこんな話が無かったかのように煙管に夢中になっている。 しばしの静寂が訪れた。 今のやり取りにどういう意味があるのか考える気力が無いので、言われたとおり気にしないことにする。 ミスリアはゲズゥの傍へ近寄り、隣良いですか、と訊いた。彼は何も言わずに目配せを返した。 「なあ、呪いの眼って色々邪推されちゃいるが……実際は何の特殊機能も無いんじゃないのか」 煙管を口元から離して、刺青の男は訊ねた。 問われたゲズゥはすっと目を細めた。左目は黒い前髪の後ろに隠れていて見えない。この反応では肯定しているのか否定しているのか、推測できない。 またしばらく、静寂が続いた。 やがて奥の通路から誰かが出てきて、刺青の男を呼んだ。南の共通語ではなく、彼らの独特の言語で話し合っている。 「んじゃ、呼ばれたんで行くぜ。ああそうそう、オレはイトゥ=エンキ。気が向いたら覚えてくれよ」 さっさと歩き去る彼の背中に向けて、ミスリアは「はい」と答えた。 そして数秒経つと、自分たち以外には見張りの人しか居なくなった。 ミスリアは小さめの声で、ゲズゥに話しかけた。 「昔のお友達とお会いできて、良かったですね」 もっと根掘り葉掘り訊いてみたい衝動を抑えてそれだけ言った。何となく、両手を組み合わせる。 「…………別に」 ゲズゥは、ほう、と煙たい息を吐いた。やはり変な臭いの煙である。 「嬉しくないんですか?」 「アズリのおかげで客扱いに格上げされたのは好都合だったが、別に俺は、再会してもしなくてもどっちでも良かった」 「仲良そうでしたのに」 「……お前にはそう見えるのか」 「はい?」 それは仲良さそうに見えて、実は違うという意味だろうか。訳がわからずにゲズゥを見上げると、彼は何かに気付いたように片眉を上げた。 「お前、首」 ゲズゥは自分の首回りをぐるりと指さしている。 「首?」 「いつも付けてるヤツが無い」 「いつも付けてるヤツって――あ! アミュレット!」 首回りに触れてみると、確かにいつも身に付けているそれがなくなっているとわかった。体中を見回しても、何処にも見当たらない。お風呂の後に着替えた寝巻き兼用のこのワンピースにはポケットが付いていなかった。 脱いだ衣類と一緒に置いたのかもしれないけれど、半ば脱がされたようなものなので記憶に無い。他の貴重品はバッグに入れて手に持っている。その中を見ても、やはり無い。 来た道を戻ろうとミスリアは歩き出した。 「どうやって探す気だ」 「それは……多分大丈夫です」 振り返らずに答えた。 あのアミュレットとは強い縁で繋がれているので探すだけなら簡単である。 走り出したら、柔らかいものとぶつかった。 「あら」 自分よりも高い位置にある、サファイヤ色の双眸と目が合った。 「ヴィーナさん」 「急いじゃって、どうしたの」 おっとりとした口調で、彼女が問いかける。 「ちょっと忘れ物を」 「高価な物と思われて、既に盗まれてそうだな」 「高価ではありますけど! それだけじゃなくて、大事な物なんですっ」 「ふーん? そう、頑張ってね」 ヴィーナがミスリアの失くし物を取り戻す手伝いを申し出ると期待した訳ではなかったけれども、それにしても、まったくどうでも良さそうに笑っている。 ならば、ゲズゥに一緒に来てくれと頼もうか検討する。 「ゲズゥ、ちょうど良かったわ。久しぶりに一杯どうかしら」 「…………ああ」 「とっておきのラム酒があるのよ。好きでしょう――」 そんな会話が交わされている横で、ミスリアは諦めた。 (自力で取り戻すしか無いのね) 億劫な気持ちになるも、あれが無いと聖女としての力をほとんど発揮できない。 ミスリアは二人に背を向け、再び走り出した。 |
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