16.f.
2012 / 10 / 09 ( Tue ) ようやくヴィーナが離れると、二人の唇の間に糸のようなものが引いていた。
微笑む彼女に対してゲズゥはいつもの無表情に戻っている。 (何なの……?) またしても頬が紅潮する。 「彼は私の友人だわ。あの人が帰るまでは客としてもてなしましょう。そちらの可愛いお嬢さんも、ね」 美女の有無を言わせない微笑に気圧されてミスリアは首を縦に振った。展開の速さにもう頭が付いてきていない。 「姐さんがそう言うなら構いませんよー」 不満そうな表情を浮かべる他の男たちと違って、刺青の男だけはにっこり笑って同意した。 彼は短刀を懐から取り出し、ミスリアたちの縄を切った。 「最終的に二人をどうするかはあの人が決めるけどね。お嬢さん、名前を教えてくれないかしら」 「……ミスリア、です」 「ミスリアちゃんね。ユリャンへようこそ。迷路みたいな洞窟だから迷子にならないように気をつけてね?」 ヴィーナはミスリアへ向き直り、手を取って引いた。 彼女の柔らかい手が暖かい。 「はい……」 誰かと手を繋ぐなんて子供の頃以来で、反応に困る。 「アナタたちの事情はあとでゆっくり聞きましょう。ねえ、お風呂入るわよね? お湯沸かさせるから」 しどろもどろと答えるミスリアをよそに、ヴィーナはどんどん話を進めていった。 ――気が付けば、ミスリアは数人の女性に背中を流してもらっていた。 冷たい石の床を足の裏に感じながら、熱いお湯が全身を火照らせている。 お湯が流れる内に、床も次第に暖まった。ミスリアは足の指を動かしたり伸ばしたりした。 (何でこんなことに) 最初は抵抗しようとしたものの、数分で諦めた。女性たちの笑顔と、蓄積された疲れに屈したのである。旅とは疲れるものなのだと、実感した。 道中のさまざまなエピソードを抜きにしても連日の移動は辛く、特に山を登るのは初めて経験する苦行であった。 (こんなんで本当に巡礼地に着くかしら……) そう考えながら、少しうとうとしてきた。 またしても気が付けば着替えさせられていて、髪の毛もタオルで乾かされている。 お風呂に入ったのにちゃんと休めた心地がしないのは、始終他人にまとわり付かれていたからだろうか。 「はーい、キレイになったねー」 「ありがとうございます」 ミスリアがお礼を言っても、女性たちはくすくす笑うだけで直接返事をしなかった。 その後、洞窟の中の複数の道が交差する場所に連れて行かれた。壁にいくつか灯りがともされている。 交差点には見張り役の体格の良い男性が居て、その向かい側に刺青の男とゲズゥがくつろいでいる。二人は離れて立ってはいるけれどそれぞれ背中を壁に預け、手に何か煙管のような筒を持っている。 意外な組み合わせなのにその絵自体には不思議と違和感を抱かなかった。 「お疲れ」 改めて聴くと、刺青の男の声がハスキーボイスに分類されるものだとわかった。 男が手を振ると、女性たちは笑いながら姿を消した。 残されたミスリアはとりあえず会釈をしてみた。すると刺青の彼は、面白がるような表情を浮かべて小さく会釈を返した。 「二人で話をしていたのですか?」 「や、別に話はしてねーよ。並んで吸ってただけ」 「はあ……」 何を、と訊いていいものか迷う。臭いからして煙草以外の麻薬かと思うけれども、煙草すら吸ったことが無いので自信は無い。ミスリアにとって煙草は、そういえば父親が吸っていた、と言った程度の認識である。 「頭はお前らをどうすんだろなー」 煙を吐きながら、男はひとりごちた。 |
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