03.f
2011 / 12 / 29 ( Thu )
 近づいてくる魔物のとんでもない腐臭が鼻につく。下水道に放置された死体並にひどい。無視するに相当な気力を要する。
 
 だが背後から襲われるならともかくして、真正面から飛んでくる標的を斬るのはさほど難しく無かった。

 左肩に少女を担いだまま、右手だけで刀を薙いだ。
 魔物の腹部をざっくり裂くと、傷口から紫黒色のどろどろした物体が飛び出た。人間でいえば血に該当する液体だろう。

 ギィェエエエ、と金切り声をあげながら魔物は空中で回転した。痛覚はあるらしい。そのまま落下するかと思いきや、強く羽ばたいて軌道を変え、再び向かってくる。大して深く斬れていないということか。
 
 最初の突撃は横に跳んで難なくかわした。
 またしても魔物は方向転換して戻ってくる。

 今度の攻撃は既(すんで)のところで回避したが、足爪の部分がゲズゥの頬をかすめた。
 見た目より魔物の質量が多く、かすめただけで仰け反った。倒れずにすんだと思ったのも束の間。

 魔物は首から尾をほどき、回転で更に勢いをつけて二人を鞭打った。
 刀を振り上げたが、手首ごと打たれた。そのまま体当たりされ、体勢が崩れる。ゲズゥの背中は地面に強く当たった。

 激痛に耐えつつかろうじて上半身を起こすと、聖女が数歩離れた位置で草の上を転がってるのが目に入った。

 魔物は迷わず聖女を選んでホバリングしている。大きく裂けた口から、よだれと思しき液体を垂らしながら。
 聖女はうつ伏せ状態から上体を起こした。

 異形のモノを目の前にして少女が怯えるのかと思ったが、違った。
 聖女ミスリアは怖がる素振りを見せず、瞳にはむしろ……憐憫の情が表れていた。ゲズゥにはその理由がわからないが、考えるだけ無駄だということはわかる。距離による見間違いである可能性もある。

 魔物は着地した。敵が聖女に集中し、こっちに背を向けている今がチャンスだ。前方へ向ける注意を保ちながら、ゲズゥは傍に落ちたはずの刀を目で探す。

「なんて、哀れな……」
 聖女が悲しそうに呟くのが聴こえて、疑問に感じた。

 一体何に同情している?
 今にも自分の頭に被りつきそうな化け物に?

 考えるだけ、無駄。

 音を立てないように地を這って曲刀を手に取り、ゆっくり立ち上がる。

「……ゲズゥ・スディルさん。お願いです、どうかこのモノを救ってください」
 懇願だった。

 あまりにも聞き取りにくい囁きだったためか。
 呼ばれてるのが自分だと遅れて気付いた。次に、何を願われたのかわからず耳を疑った。

「この者を、楽にしてあげてください」
 魔物が大きく口を開き、よだれが聖女の髪に垂れた。本当に被りつきそうだが、動きが鈍い。獲物を追い詰めた余裕、それとも悦びからか。もともと知能が低い存在だ。生きた動物と違って、狩りを果たしたあとに己が無防備になることを警戒するほど、気を回せていない。

 あの妙な人面尾がまた首に巻きついていて、先っぽが聖女の耳を撫でている。気味悪い光景だ。

 ゲズゥは一歩ずつ、曲刀を腰の下に構えたまま、慎重に踏み進んだ。

 聖女は静かに涙を流している。
 小さいピンク色の唇が音もなく動いて言の葉を紡いだ。

 「斬って」、と。

 その願い通り、ゲズゥは曲刀を両手で握って力の限り振り上げた。
 地から天へと銀色の弧を描きながら、刀は異形のモノを両断した。

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