14.a.
2012 / 06 / 30 ( Sat )
「ミスリア、絶対に聖女になってはだめよ」
 彼女は強い口調と硬い表情で言った。自分が、聖女になる目標を嬉々と話した直後だ。
「どうして……?」
 そんな反応をされると思っていなかったから、喜んでくれるとばかり思っていたから、ミスリアは悲しくなった。
 
 それが顔と声に出たのだろう。その人は、ミスリアの目線の高さに合うよう膝立ちになった。
 優しい手に、そっと両肩を掴まれた。
 
「ごめんなさい。いつか、あなたにもわかる時が来るわ」
 その人は泣きそうな笑顔を浮かべた。見ているこちらが泣きたくなる。
「わからないよ、おねえさま」
 
「今はそうでしょうね」
 姉はそう言って抱きしめてくれた。
「いいからお願いよ。聖女にはならないで。幸せに、なってね」
 抱きしめる腕に力が入った。
 
 それでも、ミスリアは是と約束できなかった。
 肩に落ちた熱い滴が姉の涙だとわかったのは、もう少し後のことだ。
 
_______
 
 姉が家を出た日の夢を見るのは、久しぶりだった。昔はもっと頻繁に見たかもしれない。
 
(まるで聖女になったら幸せにはなれないみたいな口ぶりよね)
 今でも姉の言葉の意味が見つからない。
 ミスリア・ノイラートは出かける支度を手伝いながらぼんやりそんなことを思った。携帯食の入ったこの荷物を馬につけて最後だ。
 
 今朝も曇天である。
 雨が降ろうものなら進みが今より遅くなるので、心配だ。
 心配事といえば、昨夜通りかかった気配の話をカイルから聞いている。結界を解いた瞬間に襲って来ないとも限らないので、朝から慎重にもなる。
 隣でゲズゥが背中に背負っている剣の柄を片手で握り締めた。警戒に、目を細めている。
 
「それじゃあ結界を解くけど、準備はいい?」
 カイルの問いかけに、ミスリアもゲズゥも頷いた。
 短い呪文の後、カイルの手のひらにのった青水晶が淡く光った。次いで、目に見えない隔たりが完全に消えてなくなる。
 
 いきなり物音がして、誰かが凶器を手に飛び掛かるのではないかと身構えた。しかし数分経ってもそんなことは起こらない。
 
「どうしましょうか」
 ミスリアがゲズゥに訊いた。
「気配が無い。とりあえず進むべきだな」
「じゃあ、そうしようか」
 カイルも同意し、かくして三人は再び歩き出した。
 
 一時間半ほど進んだら、ちょっとした丘に辿り着いた。丘の上の大きな木の根が歪な形で伸び広がるのを、避けて通るようにとミスリアは馬の手綱を繰る。
 あまりに地面と木の根にばかり注意していたからだろうか。右横から現れた影にまったく気が付かなかった。
 
 ――ヒュン。
 空気が切られる音にはっとして、ミスリアは顔を上げた。
 馬が緊張したように嘶き、後退る。
 
 すぐ近くに、銀色に光る平面があった。自分の横顔がおぼろげに映っている。
 ミスリアは戦々恐々と、宙に止まったままの大剣の先を視線だけで探った。
 すると見事な白馬に跨った、がっしりとした体格の男性が伸ばしかけた腕を引くのが見えた。その腕を阻むために振り下ろされたと思われる大剣の方はまだ動かない。
 
「…………」
 突如現れた三十歳かそこらの男を、ゲズゥが無言で見据えていた。男は舌打ちをして、長い槍を構え直した。
 黒いくせ毛と褐色肌。憎しみに支配された眼差しと表情は一度しか見たことが無いけれど、すぐに思い出した。鎧を含まない軽装になっている点だけは以前と違う。
 
(この人、シャスヴォル国の兵隊長……!)
 驚きを顔に出さないように必死に堪えた。
 いつの間にか左隣に来ていたカイルを見下ろすと、彼は片手に抜き身の直剣を構えていた。空いた右手でミスリアの乗る馬をそっと宥めている。
 
「ついにまた、この機会を手にしたぞ」
 兵隊長が下唇を舐めた。
 以前にも増して、纏う気配は危険な熱を帯びている。

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