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2012 / 06 / 01 ( Fri )
「お二人とも何だか辛そうです」
独り言のように小声で、ミスリアは呟いた。カイルと神父アーヴォスのやり取りを指して言っている。
「兄弟、か……」
すると同じく独り言のような小声で、ゲズゥも呟いた。何か後に続くのかと待っても、彼のは本当に独り言らしい。兄弟という単語で何を連想しているのか、表情を見ても想像できない。
「カイルにも、妹さんが居たそうですよ。五つ年下の」
「死んだのか」
グラスの水を飲み干して、ゲズゥは無機質に訊いた。
「……お察しがいいですね。お母様と妹さんはカイルが修道士見習いになって間もない頃、魔物にかかってお亡くなりになっています」
五年ほど前の話で、その時ミスリアはまだ彼と出会っていなかった。
「妹はお前に歳が近いな」
そう言われてみれば確かにそうだ。カイルには妹のように接されたことがほとんど記憶に無いから、常に対等に話してくれたから、意識していなかった。
厨房からまた女性が現れ、「失礼します」と言っていくつかの料理を運んできて手際よく並べている。
「お兄さん、左目の色珍しいですねー」
女性は軽い調子で指摘した。
ミスリアは小さく呻いた。そういえばゲズゥの包帯が外れている。店まで来る道中、誰かに見咎められれば問題になりそうだったけれど、誰ともすれ違わなかった。
今はなき「呪いの眼」の一族が住んでいた村はラサヴァから近い。ルセナンの妻は事情を知っていそうなものの、知らないふりをしているのだろうか。
入り口の扉の軋みによって、短い沈黙が破られる。
「おかえりなさい、アナタ」
夫を迎え入れる彼女の声は明るい。
「おうただいま」
役人ルセナンがカイルたちのテーブルの椅子を引き、腰掛ける。
彼らの分の食事が揃うのを待って、神父アーヴォスは身の上話から静かに語り出した。
_______
兄上は私の憧れでした。
ここよりずっと北の不便な田舎村。生まれつき体の弱かった私を守り、気分が悪くて外に出られない日は私の代わりに駆け回り、いつもたくさんのお土産話を持ってきてくれたので、不自由に思うこともありませんでした。
両親の農園を手伝いながら慎ましく暮らしていた私たちの元に、ある時教団の一味が通りかかりました。慰安の旅を続ける聖人様たちは、聖気を受け賜わり続ければ私も元気になれると、仰ったのです。ならば聖人を目指すと、兄はその時に決心致しました。
自らの足で村を去る姿を羨ましく想いながらも、私は兄上の教団入りを応援しました。
数年後凛々しくなって戻ってきた兄上は、幾月かけて私に完全な健康を取り戻させてくださいました。あの時の感動は何年経っても忘れられません。
私も奇跡の力を望みました。
けれどもどうしてか、兄上にはあっても私には聖気を扱う素質がまったく無かった。
――アーヴォス、気を落とすな。聖人になれなくても他にいくらでもご奉仕をする方法はある。
――そうですね。では私は教役者(きょうえきしゃ)となって社会に貢献します。
受け入れるしかなかった。
私の心にさざなみが立ったのはそれからいくらか後のことでした。
兄上はある魔物討伐の旅にて知り合った魔物狩り師の女性と、恋に落ちたのです。
聖人・聖女に配偶者は許されません。その女性と結婚するために、兄上は聖人の位を返上しました。
どれほど妬ましかったことか!
私がいかに切望しても決して手に入れられない物を、いとも簡単に手放したのです。兄の選択は私には浅はかに見えました。家庭を守りたいという兄上の主張に私は納得できなかった。
ところが五年前。またしても兄上に大きな変化が起きました。そう――カイル、君の母上とリィラのことだよ。気の毒だったね。
義姉上とリィラを失ってから兄上はどこかおかしくなりました。今まで以上に教団に傾倒し、妻と死別したことによって特別に修道司祭への道を進む許可を得たのです。教区司祭である私と違って今後の一生を修道院で過ごすでしょう。私は兄上が同じ司祭になると知って、嬉しいよりも暗い予感しかしませんでした。
そうして数年後。兄上がもうすぐ司教になると聞いた時、私は不公平を嘆きました。何故私は、自分と違ってこれほどまでに才ある兄の後に生まれなければならなかったのか。羨望のあまり、今までに受け取った多くの恩さえ忘れそうでした。
私は、「忌み地」付近への配属を自ら志願しました。
何か大きな手柄を立てたくなったのかもしれません。でも同時に、自分の原点であった故郷みたいな村や町に何かをしてあげたかった。そうすれば心安らげると思ったのです。
自分から問題を起こそうと考えたのは、ある時の偶然に始まりました。
死者の魂が溜まりやすい場所に居て、水晶を誤って壊してしまったのです。封印されていた中の瘴気が解放され、数時間のうちに魔物が溢れると予想がついたので、魔物狩り師を呼びました。予め魔物が出没する位置を知っていたのでうまく彼らを導けました。
その後、彼らと町民が向けてきた感謝や尊敬が、どうしようもなく心地よかったのです。
味を占めるべきではなかった。
それからのことは、カイル、君の想像している通りだと思う。魔物の発生を密かに促してはタイミング良くその場を救う、を繰り返した。
セェレテ卿を誘ったのは、単に彼女が私のしていることに勘付いたからであって、口をつぐんでもらうために巻き込んだことになりますね。せっかく協力者ができたので、新しい手法――流行り病のことです――を試してみました。セェレテ卿はこのやり方がうまく行けば、他の町でも実行して、全て第三王子殿下の手柄に仕立てようと企んでいたようです。
上辺だけでも私が活躍していた姿を、なんとしても兄上に見せ付けてやりたかった。しかし兄上は俗世との縁を切った修道士の身。面会を願っても、手紙を出しても、返事はありませんでした。
叶わないならばと、代わりに私は甥を呼び寄せたのです。憎くも、聖人と成り得た彼を。
カイル、私は君に止めて欲しいとか、助けて欲しいとか、そんなことは考えなかったよ。他の者と同じ尊敬の眼差しを、兄上に似た君の顔に見たかっただけなんだ。
目論見は失敗に終わったけれど。君の表す尊敬は熱っぽくなくて、ただ暖かかった。
でも振り返れば共に暮らした数ヶ月間は、それなりに満ちていたと思う。
_______
叔父が口を閉じ、辺りに重い空気が満ちた。話し終えた本人だけ、やけに穏やかですっきりした顔をしている。
カイルサィートは天井を仰いだ。ちょうど、蜘蛛が視界を通りかかる。
「以上が、貴方の本音ですか。叔父上」
「そうだね」
「……本当に?」
「君は何を疑っているんだい? この期に及んで嘘をついたりしないよ」
叔父の笑い声に偽っている様子は無い。
「さて、それは判断しかねますが。僕は、物の本質を見詰められる人間を目指したいと思います」
天井から目前へと視線を戻した。
「いいんじゃないかな。君なら達成できると思うよ」
本心から言っている風に聴こえる。
「でもオルト王子の言葉を借りると、今は自分の望むように解釈します。叔父上はやっぱり後悔していたから僕を呼んだんです」
カイルサィートはにっこり笑った。
「貴方は言い訳をしませんね。誰かの所為だとは言わずに、始終、自分の気持ちと行動の責任を自分で受け止めようとしています。
結局実害が残ったのは、最後の疫病騒ぎだけでした。それも、もともとは死に至らないはずの病が数人の内で突然変異したもののようですね」
既に調べが付いている。命を落とした最初の四人は体質的に共通点があって、同じ病状でも過去に例の無い結果だ。
「人が死んだのは確かなのだから、その違いにはあまり意味が無いよ」
「それでも叔父上に悪意が無かったことは、教団への報告書には記させていただきます。町長や役人方の結論がどうであっても、教団からの罰は逃れようが無いでしょうけど」
予想としては、残りの一生を閉じられた空間でひたすら償いながら過ごすことになると思う。でももしかしたら報告書の内容次第で多少は罰が軽くなるだろうか。書いたのが対象の甥となると信憑性を疑われるかもしれないけど、試してみるのに害は無い。
「……どうしてかな、君は意外と私に甘い気がする」
「数少ない肉親ですから、普段より若干やさしめですよ。ここ何年かで、僕の誕生日を祝ってくれたのは貴方だけでしたし」
肩をすくめて答えた。ルセナン夫婦が驚いた顔を見せているが、事実なのだから仕方ない。
「なるほどね。…………もう、確実に兄上に会えないな」
「あまり気にしないで下さい。僕だってほぼ五年は会えてませんし、今後も会えそうかあやしいです」
しばしの間、笑い合った。
「すまなかったね、色々と」
叔父は一度深く礼をした。某商社の威嚇という名の暴行についても詫びている。
「いいえ。残念には思いましたけど、もういいです」
カイルサィートは立ち上がった。
続いて立ち上がった、自分とそう変わらない身長の叔父を、肩から抱き寄せる。
「二度と会うことは無いでしょう。でも、どこに居て何をしていても家族である事に変わりありません。どうかお元気で」
「ありがとう。私は悔いるばかりの人生になりそうだけど、君の進む道には幸多からん事をいつも願うよ」
声が微かに震えている。叔父の腕は縛られたままだが、僅かな動きを感じた。自由であったならば、きっと抱き返してくれただろう。
「短い間、お世話になりました。さようなら、アーヴォス叔父上」
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