3-3. g
2019 / 12 / 20 ( Fri ) まったくの無意識だった。自分でも何が楽しいのか、まるでわからない。 わからないが、何かが吹っ切れたような気がした。いつの間にか視界いっぱいに光が満ちていた。生命力が器から零れ落ちて、昇華されていく。 そんな光景をミズチは美しいとも寂しいとも感じなかったが、大気中の温度が微かに上がった点に、不思議な心地がした。命の温かみと、知った顔との別れに触れていることに、胸の内がざわついた。 「好了《わかったよ》。你可以放心《あんしんしていいぜ》」 光の海に沈む青年に近寄り、膝辺りに一度拳をぶつける。ふたつの願いを聞き入れてやるという意思の表れでもあった。 それを受けたラムは口元を僅かに震わせた。もう一度、微笑もうとしたのかもしれない。 「兄弟、你要照顧自己」 青年は言った――兄弟よ、自分を大事にするんだよ、と。 不規則な呼吸音が続き、やがて数分と経たない間にその瞳から光が失われた。 長かったようで、あっけない。この者がゆるやかに死に向かっていくのを見届けはじめてからどれだけの日々が経つだろう。 (大事にするもなにも……) 己の滑らかな指とラムの壊死したそれとを見比べる。ニンゲンの手足は大きく損傷したら再生できないが、ミズチの場合、再生できない損傷というのがむしろ稀有である。 ひとつため息をつくと、吐息が白くうねって霧散した。 いつしか気温は相当に低くなっていた。死の瞬間に感じた儚い熱量は気のせいだったのかと思うほどに、厳冬が猛威を振るっている。 あらゆる生命が息をひそめる時季―― 突如けたたましい音がし、小屋の扉が外れた。 物置の中を強風が吹き荒れる。次々と倒れてくる農具を、ミズチは僅かな動作のみで避けた。爬虫類であった頃ならいざ知らず、いまのミズチが極端な温度に動けなくなることはない。 生物の枠を超越した自分に、何を大事にする必要があるのか。そうとわかっていながら、なぜ彼は最期の挨拶にそれを選んだのか。 「よけーなせわだ、ばーか」 もう声を発することのない抜け殻は、倒れた農具に半ば埋もれてしまっている。いずれ村人が死体に気付くだろう。墓が建てられるかどうかを見届ける必要があるが、その後は、どうしたものか。ミズチにこの国に留まる理由はなくなってしまった。 「おいらの当面の悩みは、すげー暇んなったことくらいだ。どーしてくれんだ」 返答は当然ながら、無い。 思い立って、ミズチは重なった農具をひとつひとつ拾い上げてどけた。露になった骸を眺めやり、その傍らに膝を抱えて寄り添う。 暇になってしまったからには、じっくり考えてみるほかあるまい。 友の、兄弟の、願いを叶えるための手立てを。 * 追憶する。 村人が異邦人の死体を回収して山に埋めるまでの数日、腐敗してゆく青年をただ観察していた。想像した段階ではあんなに嫌悪感があったのに、いざ目の当たりにすると、抱いた感情は名状しがたい穏やかなものだった。 墓と呼べるようなものは建てられなかった。未だ罪人と疑われていながら最終的に彼がニンゲンらしく埋葬された点で厚遇と受け取るべきなのか。たとえ墓石が設けられたとして大多数が字の読み書きができない村人たちは、ラムの名をどう刻めばいいかわからなかっただろう。 かくいう本人もたいした教育を受けられていなかったので、己の家の名以上に書ける文字がなかった。 数年に渡る交流の果てに残ったのは、少年と青年の像と「林《ラム》」の一文字。 だがそれだけあれば忘れないでいられた。時々思い出すには、誰かに語って聞かせるには、こと足りた。 「ナガメはラムさんがすごく好きだったんだね。ううん、今も、大好きなんだね」 その思い出語りを聞かせていた相手が言う。 ご無沙汰すぎてもう(;^ω^) あと1記事って前回言いましたけど、長くなったので分割します! |
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