2-2. c
2018 / 07 / 14 ( Sat )
 会計を済ませ、おもむろに店を出た。外は曇り空で少し暗くなっている。
 人間観察がしたいと真希が言い出したので、先にある交差点へ向かい、歩道橋を上った。人が四人は並んで歩ける横幅がある。

 ここから不審者の気配を探れたらいいのにと思う。
 隣の真希は風にさらわれそうになる長い髪を片手で抑えながら、手すりに身を寄せ、楽しそうに地上の人の流れを観察している。当事者がリラックスできているなら、それでいいのだろう。

「どこかにイケメン落ちてないかなー。そんでこっちに都合よくひとめぼれしてくれないかな。ねえ、一緒に探してよ」
「そんな、落ちたお金を拾うみたいに。顔だけ良くても生活力が無かったらどうするの」
「よほどグレードの高いイケメンなら養ってもいいわ」
 冗談めかしているのかと思えば振り返った友人は真顔だ。絶対やめた方がいいよ、と言いたいところを、思い直した。

「この前とだいぶ意見が変わってるような……」
「だってさー! 疲れるじゃん、結婚を前提にしたお付き合いって。コレ! ってピンと来る相手がみつかれば別だけど。堅実で収入も安定してて更に顔が好みの男が選択肢にいないなら、せめて見た目だけでも好みの方がいいって。ゆみこも思うでしょ?」
 食い気味にまくしたてられた後に水を向けられて、唯美子は狼狽した。

「わたし? わたしは、うーん」
 今朝母に同じ話題を振られたのだと思い出し、あいまいに笑う。母にはそのうちお見合いするよと答えておいたのだが。本心では、独り身の方が気楽でいいじゃないかと思っている。
(子供は嫌いじゃないし、家庭を持ちたくないわけじゃないけど……)
 きっとなるようになる。少なくとも夏からは退屈していないので、急がなくてもいい気がしている。

「真希ちゃんがそれで幸せなら、いいと思うよ」
「思考放棄したみたいな結論ねえ。ゆみこは安定した将来の為なら心惹かれない相手と一緒になれる? さっきの映画の婚約者とかさ。あー、でもあの婚約者役も顔よかったし、たとえとしてはいまいちか」
 どうだろ、と唯美子は色あせた手すりを見つめる。

 安定した将来の為に誰かとゆっくり愛をはぐくんでみるか恋愛の為にすべてを捨てるかの二択なら、前者の方が性に合う気はする。では直感でダメそうな相手と、無理して一緒になるまでのことかと言うと、違うだろう。
 ――ほどよく末永くうまくやっていけそうなパートナーがいいな。でも見つからないなら見つからないままでも、いい。

「ねえ、あの人とか良くない!?」
 横から興奮の隠せていない小声がした。しきりに小脇をつつかれてもいる。
 どれ、と真希の目配せする先を追った。

 こちらに向かって歩いている、緑っぽいカーキ色のズボンの縁に右手をひっかけた青年を指しているらしい。身長は180センチ未満といったところか。シワ加工をされた黒いシャツの袖を肘までまくりあげ、ボタンを三個も外した首元からは褐色の素肌と胸筋が覗いている。まるでファッション誌から飛び出したような着こなし、悠然とした姿勢や歩き方が印象的だ。

 無造作に過ぎるボサボサの髪だが、もみあげを除けば長すぎず、本人が醸し出すワイルドさに似合っている。通った鼻筋、力強い顎のライン、やや厚めで滑らかそうな唇、いずれも彫りの深い東洋系の顔立ちを魅せてくれる。

(ん? もみあげ?)
 男性が上を仰いだ。斜めに流れる前髪の下から、濃い茶色の瞳が見上げる。
「なっ――」
 みなまで言う前に口を手で覆った。さすがに同じ名で呼べば、友人に不審がられる。
 青年の挑戦的な笑みが、とろけるような甘い笑顔に変わっていく。そんな表情もできたのかと驚いた。

(なんで大人の姿になってるの)
 思わず目を泳がせ、ついには逸らした。力になってくれるかなと期待して喫茶店の外に出たのは唯美子の方だが、予想外のアプローチである。  
「ねえちょっと、こっち来るんだけど」
「う、うん」
 どういうつもりだ。わからない。彼はいつも、何を考えているのかわからない。
 足音が近くで止まった。

「よ。そっちは、どーもハジメマシテ」
「……ゆみこの知り合い?」
 訊ねられてしまえば、精一杯に確答を避けることしかできなかった。いつ子供の方と似ていると気付かれるかヒヤヒヤする。

「ごめんね、今は説明を省かせて。信用できるとだけ言っておく」
 言ってておかしな気分になる。「ミズチ」を人間である自分たちが信用していいものか、真の意味では唯美子にも把握できていないというのに。
「いや説明してよ」

「お前を気にしてるやつがちょうどこっち見てるぜ」
 真希の詰問を、ナガメが遮った。
「えっ。どこ――」
 素早くナガメが真希の後頭部を抱え込み、動きを制する。突然のことに驚いて唯美子も心臓がドキリと跳ねた。

「自然にしてろ。いいか、あたかも親密そうに振るまうんだ」
「嫉妬させておびき出すってわけね」
「話が早くて助かる」
 二ッと唇の端を吊り上げて、青年は詰めていた距離を少し離した。

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