2-2. b
2018 / 07 / 08 ( Sun ) ――「林 永命」 永命、の部分がナガメと読むのだとして、苗字はどこから来たのだろうか。思い付きでつけたのか、それともそれも誰かから貰ったのか。(わたしに会うまでは、個人の名前を持ってないみたいな口ぶりだったのに) 疑問に思えば思うほど、言いようのないモヤッとした気分になる。 これではいけない。せっかくの友達との時間だ、暗い気持ちはどこかへ追いやって、オーダーに集中すべきである。メニューを吟味し、真希は特産ブドウの入った色とりどりのパフェを、唯美子はアールグレイラテとチョコタルトをひと切れ頼んだ。 他愛のない話をするうちに、ウェイトレスが注文の品々を持ってきてくれる。最初にひと口ずつを分け合って、それからじっくりと自分の頼んだものを味わった。どれも甘味と渋味のバランスがちょうど良い。絶賛すべきクオリティだった。 「んまーい!」 向かいに座る真希はまず写真を撮った。それが終わると次にスマホを片手にレビューを投稿しつつ、残る手で忙しそうにパフェを口に運んでいる。 こうして腹は甘いもので満たされた。晩ごはんの時間になったらちゃんとお腹すくかなー、とぼうっと思いながら唯美子は自身の飲み物をわけもなくスプーンでかき混ぜる。 「なんだかこの頃、誰かに見張られてる気がするんだよねー」 ぽつりと漏らされた呟きに、唯美子はアールグレイラテをかき混ぜる手を止めた。動揺のあまりすぐには返事できなかった。友人がストーカー行為の被害に遭っている――? 「そういう大事なことは早く言って!」 反射的に声を荒げてしまう。ハッとなり、テーブルに両肘をのせて上半身を低めた。 「え、ど、どうしたのよ。具体的に何をされたってわけでもないからさ、警察どころか誰かに相談するのもバカみたいじゃない。自意識過剰みたいで」 彼女らしくない消極的なスタンスであった。 「バカみたいだなんてことない。わたしは真希ちゃんを信じるよ。わたしじゃあ何の力になれないかもしれないし、頼りたくないって思われてもしょうがないけど」 「ありがと。ちゃんと頼ってるわよ、だからさっきひとりでいるのが嫌で、映画に誘ったんだよね」 「まさか駅にいた時点で視線感じてたの!?」 なんとも気まずそうに、答えづらそうに、真希が首肯した。 (……じゃあ) 席を立って辺りを見回す。広い店内は仕切りのついたブース席が主で、他の客を観察するには向かない。 よく考えてみれば、唯美子に不審者をどうこうする力はない。たとえそれらしい人を見つけても「見られた気がしたから」と相手に詰め寄ったら、ただの言いがかりもいいところだ。確信を持って特定できたとしても、通報するに値する理由がない。 せめて二度と真希に近づくなと堂々と釘を刺せたならよかったけれど、生憎と、普通に怖い。そんな果敢さを、唯美子は持ち合わせていないのだった。 「おーい、挙動不審って思われるわよ。心配しなくても今は感じてない」 「今はそうでもわたしが帰った後にまたその人が浮上してくるかも」 力説すると、友人は苦笑した。 「ゆみこってのほほんとしてるのにたまにいいところ突くわよね」 「のほほん……」 「ともかくね、いつもは家の近くが怪しいのよ。職場だと全然だし、出かける時に視線を感じたのって今回が初めてだわ」 「家の近くって、真希ちゃんもひとり暮らしだよね」 ひやりと背筋に悪寒が走った。住所を知られているということではないか。恐る恐る、その旨を訊ねる。 「どうだろねー。近くって言ってもいつも駅周りとかスーパーとか通勤中に交差点渡ってる時とかよ。帰り道は何事もないわ」 「強がってる? 相手がいつエスカレートして帰り道にも現れるかわからないよ、なんとか――」 なんとかしようよ、と言いたかったのだが、言葉の先を呑み込んでしまった。なんとかとは、何だろう。口先だけのアドバイスでは単なる余計なお世話ではないか。 (ストーカーがすぐそこに……一緒にいる今のうちにあぶり出せたら) その後のあらゆるパターンを想定してみるも、無茶だと結論づいた。格闘家でもあるまいし、大人の男性に果敢に立ち向かえるほどの力が自分たちには無い。 途端、背後の席から仰天した声が上がる。 「ぎゃっ! 窓の外にでっかい虫!」 後ろのカップルが窓ガラスを叩いて払おうとしている。件の虫がぴょんぴょんと横にずれて、こちらの視界に入った。 見知った形状のトンボが二匹。 (ナガメ……?) 逃げられた、と真希は言った。あれから数時間経っているし、どこか別の場所へ去ったと勝手に思い込んでいたが、まだこの辺りにいるというのか。 気にかけてくれている、そう考えるのは自惚れだろうか。彼が唯美子を「まもる」と約束した、その重みを未だに測りかねている。 とにかく近くにいるという可能性が重要だ。 「えっと、この後少し散歩しない?」 唐突すぎる提案を却下されたらどうしようと内心焦ったが、杞憂に終わった。 「いいね」 |
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