40.d.
2015 / 02 / 20 ( Fri )
「えーと、ミスリアちゃん、って呼んでいいかしら」
「どうぞ」
「着替えが必要よね。良かったら貸すわ。家、近いのよ」
「それは大変助かりますけど……」
 少女は連れの青年たちの顔を順に見上げた。

「甘えていいんじゃない? また熱出したら困るでしょ」
 遠慮がちなミスリアに、護衛のリーデンが肯定的な意見を出す。またと言うからには、最近そんなことがあったのだろう。
「そう……ですね。ではお願いして良いでしょうか、ティナさん」
「ええ勿論。詳しい話は着いてからにしましょう」

 そのように決定したからには、ティナは軽やかな足取りで荷物を回収しに行った。一度振り返り、彼らがちゃんとついて来ているのを確認すると、それからは一気に足を速めた。

_______

 ティナ・ウェストラゾと名乗った女性の家は個人で経営している孤児院だった。現在住んでいる子供の数は十人、と小規模である。
 レンガ造りの丈夫そうな建物は横幅の広い二階建てになっている。家の側面は花園に、裏庭は菜園にぐるっと囲まれ、近くには果樹らしき木が何本かそびえ立っていた。都に頻繁に入らずともある程度は自給自足ができる備えだ。

 ティナの部屋で着替えた後、ミスリアは奥の居間に通された。そこは意外に落ち着いた雰囲気の内装になっていた。長方形のネイビーブルーのカーペット――その上には香ばしい木製の家具、柔らかいクッションが並べられた長椅子がある。
 まだガチガチと震える手をこすり合わせ、暖炉に歩み寄った。

「この居間(パーラー)だけは、子供たちに勝手に入らないように言いつけてあるの。鍵もかかるのよ。そうじゃなきゃ、家中ごちゃごちゃしてお客様を通す場所がないからね」
 暖炉に薪をくべていた女性が笑顔で振り返る。彼女はそう言って椅子に腰をかけた。どうぞ座って、と掌で向かいの長椅子を示す。

「素敵なお部屋ですね」
 ミスリアは素直に感嘆した。長椅子に腰をかけてからも、ついきょろきょろするのを止められない。その間にリーデンが音を立てずに隣に座り、ゲズゥは入り口付近の壁にもたれかかった。

(この家……)
 十代後半ほどの人間が一人で管理するには、あまりに立派な住居である。自ら買ったり建てたりしたとも考えにくい。

(遺産として受け継いだのかしら)
 その旨についてミスリアが訊ねると、向かいのティナは声に出して笑った。笑ってから、「いけない」と口元に手を当てた。子供たちはちょうど全員が遊び疲れて寝ている時間だ。これは毎日のパターンで、夕飯前に起こして準備を手伝わせればそれでいいらしい。

「あたしの所有物じゃないわ。都の援助で建てたの。この人たちみんなそうだけど、主な寄贈者はそこの夫婦よ」
 暖炉を囲う壁には、額に入った肖像画が何枚か飾られている。最初は家主の血縁者や先祖なのかと思ったけれども、なるほど、よく観ると絵画に描かれた人物は誰一人ティナとは似ていなかった。

 絵の人々は皆が明るい肌色と暗い髪色の持ち主であるのに対し、ティナの髪は透き通るような金色だ。肌と言えば、夏の内によく焼けたのが今でもわかるような小麦色である。
 主な寄贈者という、暖炉の真上の絵の二人をもっとよく眺めてみた。

 まずは微笑をたたえた美しい女性。真珠のような肌、身体の曲線を強調した豪奢なドレス。複雑に編み込まれてまとめられた髪はまろやかな珈琲を思わせる濃い焦げ茶色だ。優雅な姿勢で椅子に腰をかけ、膝上にそっと両手を揃えている女性の背後には、同じく豪華な衣装に身を包んだ壮年の男性がぴしっと背筋を真っ直ぐにして立っている。

「早い話が、帝都の外に孤児を放り出す場所が欲しかったのね」
「え」
 肖像画観賞を止めて、ミスリアはティナの青緑の双眸と再び目を合わせた。頬骨の高い、どこか美少年っぽいとも呼べる凛々しさを備えた顔立ちの女性は、一瞬だけ嘲り笑ったように見えた。

「なんでもない。それより、ミスリアちゃんの話を聞かせてよ」
 そう言って彼女は長い脚を組み替えた。淡い緑色のチュニックの下に、スカートではなく麻ズボンを履いているのが印象的である。

 仕草や佇まいには健康的な勢いがありながら、気品も漂っていて不思議だ。すらりとした肢体といい、ゲズゥたちと張り合える運動神経といい、「かっこいい女性」とでも称すればいいのだろうか。
 そんなことをぼんやり考えながら、ミスリアは自身の旅の事情を語り出した。

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08:02:30 | 小説 | コメント(0) | page top↑
40.c.
2015 / 02 / 14 ( Sat )
 沈黙が訪れ、二人の男は顔を見合わせる。
 先に銀髪の美青年の方が動いた。肩を竦め、指の間に挟んでいた輪状の武具を帯に収めてから、口を開く。

「まあ、聖女さんがそう言うなら。引き下がってもいいよ」
「聖女……って、まさかあなたたち巡礼者なの?」
「そういうことになるねぇ」
 美青年の発する涼やかな言葉は、耳に残るような流暢な発音で綴られていた。それなのにどこか人を馬鹿にした印象を受けるのは何故なのか。

 銀髪男が答えている間に、黒尽くめの男は少女を横抱きにして連れてきた。いつの間にか少女の濡れた外套を脱がせて代わりに自身の黒いコートで包んでいる。
 外套なしの姿になった男は、土色の長袖の上に袖なし革ベスト一枚といった薄着なのに、何故か平然としている。

「お騒がせしてすみません。私は聖女ミスリア・ノイラート、この二人は私の旅の護衛です」
 少女は頭をぺこりと下げた。睫毛が寒そうに震えている。
(野郎どもはともかく、この小さな自称聖女はどこからどう見ても無害そうね)
 彼女もぺこりと頭を下げることにした。身構えていた体勢を休めて、応じた。

「あたしは、ティナ・ウェストラゾ。こっちこそ、いきなり近付いてごめんね。怖がらせたなら尚更ごめん」
「大丈夫ですよ、気にしないでください」
「ならいいわ。ありがとう」
「ティナさんこそ怪我されませんでしたか」
「平気よ。服が少し切れただけ、こんなの大したことないわ」
「それを聞いて安心しました」

 男どもに対する警戒をまだ完全に解かないまま、ティナは笑ってみせた。聖女ミスリアも微笑みを返す。

「ふうん。それだけ?」
 せっかく和んできた場を、銀髪の男が妙な質問を挟んで邪魔をした。見れば奴は顎に手を添えて、良く整った顔を笑みの形にしていた。気に障る笑い方だ。
「それだけって、どういう意味よ」
 つい突っかかるような応答を返した。

「んー、名前のこと。それで全部なのかなって。ティナちゃんって、戦闘種族だったりしない?」
「…………」呼び方の馴れ馴れしさと、その単語に対してもムッと来るも――「知らないわ、そんな種族。初耳よ」と不快感を顔に出さぬように努めた。

「本当にー?」
「リーデンさん……失礼が過ぎないようお願いします……」
 ミスリアが苦笑い交じりに護衛の詮索好きに制止をかけた。
「あはは、それもそうかー。僕はリーデン・ユラス・クレインカティ、よろしくね」

「!」
 あまりに軽々しく名乗ったので、耳を疑った。冗談なのか本気なのか判断がつかない。
(まさか流行の偽物……!?)
 業界によっては特定の種族であるだけでかなりの増給が望める。それだけに金目当てで名を騙る連中は絶えない。
(この娘も詐欺に遭ってるんじゃ――)
 しかし、先程の戦いが脳裏にちらついて、ふいに心当たりができた。ティナは未だに一言も発していない男の方を見上げた。

「あんたも『そう』なの?」
 訊ねたら、黒髪の男はどこへともなく視線を逸らして答えない。
(無視されてる?)
 問い方が不明瞭だったからだろうか。言い直そうかと逡巡している内に、またもやもう一人の男が口を出した。

「質問に答えて欲しければ、そっちも手の内を明かせ――みたいなこと思ってるみたいよ」
「は?」
「この人が喋る気になるまで待ってたら日が暮れるから、僕が通訳してあげる」
「はあ……何よそれ」
 このままでは話が進まないし、手の内を明かすつもりも無かった。ティナは男どもとの会話を中断してミスリアの方に声をかけた。

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04:50:46 | 小説 | コメント(0) | page top↑
40.b.
2015 / 02 / 09 ( Mon )
 視線を固定したまま、男は己に寄りかかって咳をしている少女をそっと離して背後に押しやった。
 誰何のやり取りも無しに奴は無言で呼吸をするだけだ。正面から眺めると、意外に若いことがわかる。

 硬直がとけ、第一に抱いた警戒心を思い出し、彼女は身構えた。
 この場合、自分と同等以上の警戒心を相手が見せるのは当然だった。それゆえ責めるのは場違いだとわかっている。わかってはいても、掠って裂けた衣服を見下ろすと怒りが募った。

(い、きなり何するのよ……!)
 怒鳴り散らしたい衝動を抑え込んだ。いくら心が望んでいようと、その行為は体力を消耗するだけで得策ではない。息を整え、もう一度状況を見直した。

(それにしても、どういう関係かしら。兄妹にしては似てないわね)
 少女の髪は柔らかな栗色だった。肌も白く滑らかそうで、一緒に居る男とは何一つ似ていない。

 どう声をかけようか、と迷っていた時間はそう長くなかった――
 ふと気が付くと視界から黒い男が消えていた。

 刹那の悪寒。
 視覚で脅威を確かめるより先に、左斜めに仰け反った。今度は短剣は掠るまでもなく通り過ぎた。

(受けられるよりも避けられる方が体勢を立て直すのに時間がかかる!)
 その隙を使って攻勢に出よう――左の膝を落として重心を安定させ、右脚で中段蹴りを繰り出した。
 思ったほどの隙は開かなかった。渾身の一撃はいなされる結果となった。
 男は左足を踏み出して体の向きを九十度時計回りに変えたと同時に、左肘を張って防御をしたのである。

(こう見えても長靴の爪先に鉄仕込んでるんですけど!?)
 視界の左側に、陽光を反射した短剣が目に入った。
 すぐさま奴は空いた手で突く動きに転じたのだ。
 剣の切っ先を、彼女は素早いサイドステップで避けた。

(痛がれとは言わないけど、少しくらい動きが鈍ってもいいのに……。これ以上後手に回ってたまりますかっ)
 伸ばされたままの腕を挟むようにして封じ、折りにかかる――
 途端、顔前に拳が迫った。咄嗟に腕を離して身を屈めた。

「なっ――あったまきた……! 乙女の顔殴るのにちょっとくらいは、躊躇、してよ!?」
 彼女は持ち前の脚力で斜め前に跳び上がった。その勢いで男の腹に頭突きを入れようとするも、空振りした。
 男が身を引いて距離を取ったのだ。

「逃がさない!」
 瞬発力で競り負けるのは初めてだ。何かが引っかかる。が、そんなことは今はどうでもいい。とにかく攻め込むのだ―― 
 風切り音と共に、何かが飛んできた。彼女は反射的にそれを蹴り落とした。草に刺さった凶器の輪を見て、新手の登場を知った。戦輪が飛んできた方向をキッと睨む。

 そして思わず呆気に取られた。大嫌いな「男」がもう一人現れたのだ。それは間違いないのに、黒い男とは別な異様さを放つ容姿だった。
 女性顔負けの繊細な美貌。彼女が苦手とする種の男らしさとは最もかけ離れていながらも、中性的とも呼べない、明瞭な凛々しさ。挙句、新手の男からは爽やかな森の香りがした。

 魅了と嫌悪の狭間で眩暈がする。一体何なのだ、今日は。

「…………二人とも、やめ……ください。その方は、きっと、しんせつで、ちかづ――」
 その時、小さな少女が咳の合間に言葉を紡ぎ出した。清らかで可愛らしい声だ。
 しかしその一声で男たちの動きがぴたりと止まったのと、歳に似合わず発音や言葉遣いが丁寧なのが、どうにも気になった。

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15:06:38 | 小説 | コメント(0) | page top↑
40.a.
2015 / 02 / 07 ( Sat )
 三週間に一度の買出しに都へ行ってきた帰り、彼女は森の中に異物をみつけた。
 冬立木と溶けかけの雪に縁取られた景色の中心に、翳りが浮かんでいる。
 見知らぬ男の後姿だ。たとえ知り合いだったとしても、男は一目に警戒を誘うような外見をしていた。

 稀に見る高身長で、遠目には細長い体格に見えなくも無いが、痩せているのとも違う。力強い佇まいからは隙が一切感じられなかった。背負っている大剣が更に男の危険さを主張している。
 見た目が異質であると同時にその場に染み込むような静かな存在感があった。感心しつつも、何故だかぞっとした。

(こんな所で……凍った沼地の前で何をしてるってのよ)
 怪しい、怪しすぎる。
 普段であれば彼女はこの沼の脇を通って帰路に着くのが常だった。別の道もあるが、ここの風景が好きなので通るようにしている。

 予期せぬ不審人物を見つけた今、関わるのを避けて、気付かれないように去ることだってできた。
 それをしないのは、縄張り意識に火がついたからだ。自分の住処にこれほど近い位置に知らない人が現れたのは見過ごせない。

 聖地と言えど冬の参拝者は滅多に来ないし、来たとしても皆わかりやすい外観をしている。強いて言うなればこの人となりは魔物狩り師なのかもしれない、が。
 それでも警戒をして損は無い。これだけ落ち着いた存在感であれば、突然襲ってきたとしたら、子供たちはすぐには反応できないだろう。

 彼女はそっと荷物を雪の中に下ろし、音を立てずに移動した。距離を保ったまま、横から観察しようという企みである。何せ上着のフードに隠れて相手の顔や髪がよく見えない。
 獲物を付け狙うハンターが如く慎重さで一歩ずつ踏み出した。

(濃い肌色は南東の人かしら)
 木々の間をゆっくり進んで観察した。フードの下から見える髪も漆黒だ。
(……何よあれ?)
 視線を下へと滑らせると、つい歩みを止めて二度見をしてしまう物を見つけた。

 男は左手に花輪を持っていた。
 今度はそれの色鮮やかさが異質に見えた。全身真っ黒の男の手にそっと握られる七色の花輪が、白と茶を基調にした冬景色の中で浮いている。

(真冬に花なんて、てんでおかしいわね)
 彼女は睨むように目を細める。
 花輪に気を取られていた所為で、次に起きた出来事に不意打ちをくらった。

 ――パキッ。
 薄い版が割れる音。つまりは氷が割れる音だとすぐにわかった。パキパキパキリ、とそれは小気味よく続き、やがて大きな水音がした。

 その時初めて、男の他にもう一人誰かが居たことを知る。
 後ろからだとちょうど死角になっていて見えなかったのだ。小柄な人物は氷の割れ目からずぶりと沼の中へと落ちた。水飛沫が四方に跳ねる。

「ちょっと! 大丈夫!?」
 急変した事態に伴い、彼女は余計な雑念を忘れて走り出した。
(女の子が溺れてる!)
 その位置なら浅いはずだが、今は冬だ。早く助け出さなければどうなるか知れない。

 黒尽くめの男は慌てふためく様子が一切なく、右手で大地に短剣を突き刺し、左手で少女を引き上げた。腕が長いからこそ楽々とできたことだろう。自分が落ちない為の短剣の使い方といい、まるで全ての展開を予想していたかのような対応だった。
 ひとまず彼女は安堵の短いため息をつき、次には怒鳴った。

「何で落ちるまで放置したのよ、無責任ね!」
 子供を氷の上で遊ばせたお前の監督不届きだ――そう責め立てたい気持ちと、きっと怖い思いをしてしまった少女への心配を抱きながら、彼女はずかずか二人に歩み寄った。

 近付くにつれて、革と鉄の臭いが鼻を突いた。もっと近付けば汗の臭いがするかもしれない。
 嫌悪感がこみ上げる。やはり「男」は嫌いだ。奴にあともう一言物申してから、女の子に助けの手を差し伸べよう、そう思った時。

 ひゅっ、と風を切る音――
 背筋がぞわっとしたのと後ろに飛び退いたのは同じ一秒の内に行われた。鉄の煌きが視界を右から左にと走るのを、遅れて視認する。

 男が振り向きざまに短剣を薙いだのだ。危うく斬りつけられるところだった。
 こちらを見据える右目は底なし穴のように黒かった。

 ――なんて研ぎ澄まされた敵意――。
 不覚にも、彼女の足は竦んだ。

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07:32:13 | 小説 | コメント(0) | page top↑
39.g.
2015 / 01 / 31 ( Sat )
「仮に対象が聖獣だとして、その大いなる存在と意識を共有する必要性は何なんだろうね」
「行き先を知る為ではないのですか? 直接導かれるのであれば情報漏れも防げますし、個々が別の道を進めば部外者に聖獣の眠る場所も隠し通せますし」
 ミスリアは歩を緩めて考え込んだ。

「それも一理あるけど、別の攻め方をしよう。僕は塔の聖地に踏み入っても何も感じなかった。きっとナキロスの地――最初の巡礼地、を通っていないからだと思う」
 心なしかカイルの声が遠くなっている。
 顔を上げると、自分の所為で二人の青年が立ち止まっているのに気付き、ミスリアは急いで追いついた。

「なるほど、そうだったんですね。ナキロスの教会は、どうして最初の巡礼地に選ばれたんでしょう」
「昔は違ったみたいだよ」
 ある時を境に教団が岩壁の教会を始めの聖地として推奨しているだけで、昔は別の場所だったりしたらしい。

「その理由を訊いて回っても知ってる人はほとんどいなかった。でも引退した元枢機卿猊下と会った時、あの人は教えてくれた――」
 始めの聖地は帰納的論法によって定められるという。条件は、その場で大いなる存在と同調できた人数がより多いことだ。理屈など関係ない、多くの人間がその地で大いなる意思に触れられた事実さえがあれば事足りる。
 同調という単語にミスリアは反応した。刹那の間、教皇猊下のご尊顔が脳裏を過ぎる。

「聖地巡礼の本来の目的は、個人が聖獣と霊的な繋がりを確立する為だと思う。それが完全になるまで巡り続ける。だからきっと、一人一人が巡る聖地の順番も総数も違うんじゃないかな」
「霊的な繋がりを確立する為…………」
 相変わらずカイルの説く論は、一言ずつがすんなりと腑に落ちるようだった。

「結局、繋がりを持つことに何の意味があるのかまではわからないけどね。もしかしたら繋がることそのものが目標で、それができれば聖獣に蘇るように呼びかける力や権利を得るのかも」
「どうなんでしょう。ちょっと私には難しいです」
 ミスリアは苦笑を返した。
「聖人聖女たちに教団がどうして何も教えてくれないのかなら、わかる気がする」
 そう言って友人はまた微かな笑みを浮かべた。ミスリアは首肯した。

 霊的な現象に関しての口頭での説明には限界がある。頭での理解と全身全霊で感じ取るのとでは重みが違う。
 加えて、先入観なしに肌で直に感じ取るのが最も望ましい。「ここに立てば何か感じるよ」と言われた後では、感じたことの大部分が思い込みに占められてしまう。
 だから教皇猊下はあの時、とにかく聖地に行ってみなさいと助言して下さったのだろう。

「話は変わるけど、ミスリアは道中、魔物信仰の人に会ったりしなかった?」
「いいえ。旧信仰の方々にならお会いしました」
「ああ、対犯罪組織に出くわしたって言ってたね」
「彼らは組織を『ジュリノイ』と名乗りました」
「ジュリノク=ゾーラ、『正義を執行する神』を掲げる集団。今の教団にしてみれば絶対に分かり合えない連中らしいね」

 ちょうどその時、少し前を歩くゲズゥが止まって振り返った。

(こっちの会話なんて興味無さそうだったのに)
 これまでも聴いていない振りをしていただけだったとは思うけれど、一変して、彼は聴き入るように僅かに上体を傾けた。

「まあそれ以上に魔物信仰の人は凶暴だってね。最近、僻地で不穏な動きを見せてるって……はち合わないならそれに越したことはないよ」
 魔物信仰という言葉は、久しく耳にしていない。修道女課程での授業以来だろうか。ヴィールヴ=ハイス教団とは主旨が度々衝突しがちな旧信仰に比べ、魔物信仰は聖獣信仰のまごうことなき敵対思想だ。

 確か魔物信仰は旧信仰などよりもずっと、詳しいことは誰にもわかっていないはずだった。謎に包まれている理由は信者の少なさよりも、彼らの秘密主義による。

(どうして魔物を崇めるのかしら)
 全く共感できない。哀れと思うことはあれど、信仰の対象にするなど――。
 恐怖が畏怖に、畏怖が憧憬にすり替わるようなものだろうか。

 或いはカイルが調査している、人々の魔物に対する認識を突き詰めた先に答えがあるのではないか。
 約束事へ向かう彼と別れた後ももうしばらくミスリアは道端で考え込みたかったが、冷たい風に打たれてハッとなった。

「私たちはこれからどうしましょうか」
「さあ」
 ゲズゥからは全く何も考えていなそうな返事があった。では、とミスリアは案を出す。

「今日こそ沼地に行ってみてもいいですか?」
 帝都に着いた初日に熱を出してしまって訪れるのを断念していた、沼の聖地。
 最後に雪が積もってから数日が経ち、晴れた日も続いていた。歩きづらい雪道の面積は減っているはずだ。沼そのものが凍っている可能性は否めないとしても、近付くくらいはできよう。

「わかった」
 早速ゲズゥは大股で歩き出した。置いて行かれないようにミスリアは小走りで応じる。
 ややあっていきなり青年は立ち止まり、左肩から振り返った。今日は「呪いの眼」を隠す黒いガラスを入れていないらしく、左眼は金色の光の粒を含んでいる。彼は何かを吟味するようにミスリアを眺めた後、呟いた。

「背負ってやろうか」
「……じ、自分で歩けます!」
 声を上げて反論する。
 悔しいような恥ずかしいような、妙なこそばゆさを拭わんとして、足早にゲズゥの傍を通り過ぎた。

「また倒れるなよ」
 どこかしら笑いを含んだ声音だったが、気のせいに違いない。
「その節はありがとうございました!」
 風邪なんてもう引かないもん、大体子供じゃないんだから、切迫してない時まで運ぼうとするなんてひどい、女の子を何だと思って――と頬を膨らませてから気付いた。

(まさかとは思うけど事務的に訊いてたんじゃなくて、からかったのかしら)
 でなければどうして自分は真っ先に怒ったのだろうか。
 後ろを見やると、青年はコートのポケットに両手を突っ込んで佇んでいた。表情から読み取れる情報は皆無である。

 根拠もなく何故からかわれたと感じたのだろうか。問うように見つめても、彼は瞬くだけだった。
 疑問符を回収できないまま、ミスリアは再び前を向いて歩き出した。

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04:33:16 | 小説 | コメント(0) | page top↑
39.f.
2015 / 01 / 29 ( Thu )
「そうだったんですか」
 確かめたいこととは何だったのかと訊こうとした瞬間、ごめん、と言ってカイルは制止の手を挙げた。彼の眼差しは人波の勢いが弱まるタイミングを見計らうように遠くを見据えている。

「続きは待ってもらっていい? この後、人と会う約束をしてるから、そろそろ戻らないと」
「勿論構いませんよ」
 大通りを一瞥し、ミスリアは歩き出す心構えを整えた。身体が小さいと人の隙間を通りやすいけれど、一方で呆気なく勢いに流されかねない。転んでしまえば最悪の場合、踏み潰される。そう想像するとなかなか最初の一歩が踏み出せない。

「彼に前を歩いてもらえば少しは歩きやすいかも」
 こちらの躊躇を感じ取ったのだろうか。友人はゲズゥに目をやり、提案した。
「お願いしていいですか」
「……はぐれないように気を付けろ」
 長身の青年は背を向けて前に出た。そのコートの帯を、ミスリアは掴むことにした。

 人を押しのけたり間を縫ったりして三人は来た道を戻った。
 周りは相変わらず我を忘れたように騒いでおり、時々ぶつかる人からは酒の臭いが漂う。民衆が密集している箇所を通るとやたらと気温が上がって、逆に誰も居ない箇所に出ると震えるほどに寒い。温度や湿度の目まぐるしい変動に目が回りそうだった。

(これは、前後を歩く二人のサポートが無ければ絶対に窒息しているわ)
 思えばここ最近は移動をする度にリーデンが前を歩いていたので、混んでいる道でも難なく進めた。あの絶世の美青年の行く道を阻む者は少ない――顔だけでなく、立ち居振る舞いやオーラのような何かが人を寄せ付けないのかもしれない。

「リーデンさん、午後のパレードが終わったら合流すると言っていましたけど、大丈夫でしょうか」
 騒々しさからやっと少し離れられた所で、ミスリアは口を開いた。

 ゲズゥの母親違いの弟、リーデン・ユラスは朝から一人でふらりとどこかへ姿を消していた。もはやそれは日常となっている。

 帝都に来てからの彼があまりにも楽しそうなので、昼間の護衛はゲズゥだけで充分ですからどうぞ好きに過ごしてください、とミスリアは自由行動を容認している。本人は趣味の人間観察をしに行っていると言い張るが、真偽のほどは知れない。

「アレなら多分」ゲズゥは帝都中心の高地の方を向き、遠目には人々の姿が虫の大きさにしか見えない位置を指差した。「あの辺に居る」
「弟くんのこと、アレって言ってるの?」
 背後からカイルが笑い声と共に指摘する。

「アレは、アレでしかないが」
 当然のように答えるゲズゥ。気にしたことは無かったけれど、確かに人間をアレ呼ばわりするのはおかしい。
「まあ君がそれでいいならいいよ」
 と、やはり笑い声が返る。

 ようやく三人並んで歩ける広さの通りに出て、カイルは後ろから進み出た。彼は白装束の袖を押さえつつ「失礼するよ」と一言断ってミスリアの造花の輪を直した。ずれはしても、奇跡的にここまでの道で落としたり失くしたりしていなかった。

「それでさっきの話――ミスリア、聖地に行ってみて、何を感じた?」
 琥珀色の双眸が真剣そのものになった。自分も真剣に答えなければ、と反射的に表情を締める。
「遠くに居る、見えない何かの意思を注がれているような……そんな感覚でしょうか」

「僕も他の巡礼者との話で、似たような証言を聞いてる」
「それでしたら……」
 ミスリアも同じく、聖女レティカと互いの経験を教え合ったことがあった。そして彼女も、同様の内容を語ったのだった。

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39.e.
2015 / 01 / 27 ( Tue )
「あと一時間もしない内に年が明けます。カイルやリーデンさんが戻ったら、ご馳走にしましょう」
 祝宴の準備に奔走する人たちを手伝うべく、ミスリアは階下を目指した。
 ゲズゥは無言で後ろについてきた。

「くつろいでいてもいいんですよ?」
「手を貸した方が早く食えるなら、貸す」
 よほど食事が待ち遠しいのだと受け取れる返答だ。ミスリアは漏れる笑いを右手の指で抑えた。

「では、行きましょうか」
 尖塔を降りて、教会の人気の多い中心に近付くと、ふいに思い出した。
 そういえばさっき彼は何を言いかけたのだろう。不思議に思うも、結局問い質す機会を逃したまま、その件は意識から忘れられることとなる。

_______

 新たな年に入ってから五日が過ぎた。ルフナマーリの通りはまだまだどんちゃん騒ぎの連日で小道に至るまでに込み入り、徒歩で移動するには結構な時間がかかった。かといってお祭期間中の規定で馬を使うこともできない。

 空は盛大に晴れている。それでいながら陰の中は比べるべくもなく寒い。
 ミスリアは物陰に入り、護衛のゲズゥと友人のカイルサィート・デューセと共に壁を背にして立ち竦んでいた。ちょうど午後のパレードが始まったので、次の移動を始める前に人混みが収まるのを待つことにしたのだ。
 
 トランペットの高らかなメロディが通りかかった。続いて輿の上で身体を捻って踊る異国風の女性たち、歩幅をきっちり揃えて進む打楽器隊、何頭もの白馬に引かれる華やかな馬車。

 元日のパレードでは帝王とその妃が似たような馬車に乗り込んで自ら巡回したらしい。当日来ていたのに「らしい」としか言えないのは、人出が多過ぎて顔が見えるほどには近付けなかったからだ。

「お花どうぞ~!」
 自分と同い年くらいの着飾った少女たちが、造花を無料で配っている。愛らしい仕草で一輪ずつ差し出しては相手に半ば押し付け、そしてくるくると長いスカートをなびかせて去る。
 何度も受け取る内にかなりの量が溜まった。それをカイルが器用に花輪に繋げて、ミスリアの頭にのせる。

「な、なんだか恥ずかしいですね」
 そっと手袋を嵌めた指先で触れてみる。紙素材の割にはしっかりとした造りらしい。少なくとも風に吹き飛ばされたり、ちょっと人にぶつかったくらいで形が崩れたりはしなそうである。

「めでたい感じがして周りの空気に馴染んでると思うよ。よく似合ってる」
「ありがとうございます」
 スカートの裾を広げ、ミスリアは僅かに紅潮した頬を隠すようにして頭を下げた。
 その後もしばらく二人でお喋りを楽しみつつ和んだ。

「それにしても、せっかく来たのに、塔に入れなくて残念だったね」
「はい」
 ミスリアは深く頷いた。
 今日は三人で聖地の一つである東の城壁の塔を訪れたのだが、入り口前で追い払われてしまった。

「仕方ないか。祭日で人の出入りが多くなってるから、気を張ってるんだよ」
 高い塔は都の警備にとって要所の一つだ。どんな危機も遠くから早目に察知すれば、警鐘を鳴らして対処できる。
 この時期に中に入れて欲しいと頼んでも、取り入れてもらえないのは当然だろう。

「警備兵の方々は少なくともあと一、二週間は部外者を入れられないと言っていましたね。参拝者でも聖職者でも」
「二十九の聖地の中では珍しいタイプだね。現代でも聖地以外の機能があるなんて」
「カイルは中に入ったことがありますか?」
 友人を見上げて訊ねてみると、彼は微かな笑みを浮かべた。

「あるよ。実はルフナマーリに最初に着いた時に、行ってみたんだ。僕は君みたいな巡礼をするつもりは今は無いけど、ちょっと確かめたいことがあったから」

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39.d.
2015 / 01 / 23 ( Fri )
 思い起こされるのは聖女レティカの告白。彼女は己には準備や力が足りないと言っていた。性急過ぎた旅立ちにつれ、エンリオとレイが犠牲になったのだと。
 なら自分はどうだろうか。
 どこからどこまでが早急で、どこからなら用意周到と言えるのか。旅を成功させる為にはどんな強さが必要なのか、はっきりと正解が決まっているわけでもない。もしも決まっていたとしたら、とっくに聖獣は飛び立っているはずだし、必要な情報も修行の内に教えられていたはずである。

 四百年前に聖獣が蘇った際にも、もしかしたら大勢の犠牲があったのかもしれない。それでも当時の聖人聖女たちは前に進んだ。
 ミスリアは今一度、片膝立ちの姿勢でいる青年を直視した――幾度となく危機や絶望から引き上げてくれた手を。彼の前では意気阻喪といった概念は形を保てないようだった。

(私は貴方の強さに甘えてるのでしょうね)
 とは口には出さなかった。袖で目元を拭い、誤魔化すように微笑む。

「お姉さまの大願を代わりに実現したい、その為に発ちました。それが一番の理由です。だから決して、世界を救う為だなんて言えません。私は敷かれた大義に沿っているのであって……その上で自ら生きているのではないのだと思います」

 聖女を名乗り教団の意志を纏う者がこんな心意気では不足だと、自覚はあった。度々痛感する覚悟の足りなさもきっとここに起因している。姉のカタリアをはじめとした多くの人間が偉業を果たそうと、果たせると信じて目指しているのに。

 ミスリアには果たせる自信が無いし、どんなに己を騙そうとしても、結局は別の誰かの願いだ。
 幼い頃受けた影響が育ちすぎてしまった。今更いくら考えても自分のみから生まれるオリジナルの夢なんて何処にも見つからない。
 ふと思い出すと、どうしようもなく恐ろしくなる。

 ――本当は前に進むのも、戻って別の道を探すのも、怖い――。
 自分が実はとても空っぽな人間なのではないかと疑う。
 そしてこんな情けない「聖女」に世界の最果てまで付いて行くことを余儀なくされたゲズゥ・スディルは、

「理解した」
 と応じて立ち上がった。
「え? そ、そうですか?」
 やけにあっさりした返答に戸惑う。

「……存外、お前も、未来に何も望んでいなかったんだな」
 続く無表情での一言。ミスリアは唇を凍らせた。
「だからどれだけ人に囲まれても、孤独だ」
「――――」
 返す言葉を持たないまま、耳に付くほどの浅い呼吸を繰り返す。

「その一点に於いておそらく俺たちは……」
 黒い瞳に映る感情は同情のようで、しかしまた別の何かが含まれているようでもある――
 突如、空気が搾り出される鈍い音が響いた。空腹を訴えかける音だ。呼応するようにミスリアの胃の辺りもきゅっと切なくなる。

「そういえば昨晩から何も食べてませんね」
 清い身で年明けを迎えるべし、というヴィールヴ=ハイス教団から伝わった慣わしだ。ギリギリまで断食し、新年の到来を報せる鐘が鳴り響いた直後は、近しい者と杯を酌み交わして年初の食事を摂る。




>>驚きの発見<< これまでの「聖女ミスリア」に「希望」の二文字を検索かけてみたら、なんと三回しか使われていなかった!

この会話は連載が始まる前から書きたいと決めていた場面の一つです。場所や台詞など、イメージからは大分かけ離れてしまいました。主にげっさんのキャラが原案ではもっと熱かったせいなんですが(ワロス) 今ではもうきゅうりよりも冷めてしまってます。

当初の予定よりも結構ミスリアは「自分を見失っている系ヒロイン」になってしまいました。小心者だけど必要あらば思い切りがよく、しかして「私は弱いんだわ、ヨヨヨ」と思い込んでいる節のある感じ。家庭もアレなんですが、それはまた別の機会に。

目指せ、脱・思い込み!


拍手返信@みかん様:
炊飯器が無いということは……釜飯派ですか!?

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03:52:19 | 小説 | コメント(0) | page top↑
39.c.
2015 / 01 / 17 ( Sat )
 そう言われてしまっては言葉に詰まる。他の誰でなくても、彼には知る権利があるのだから。
 真っ直ぐな視線の重圧に耐えきれなくなり、ミスリアは床へと見つめる先を移した。

「聖女となって失踪したんだろう」
「はい。けれど…………教団に問い合わせても、自分なりに調べてみても、結局それ以上のことはわかりませんでした」
「ならお前は、どっちだと思う」

 急に声が近付いた。視界の中に動きがあった。何が起きたのかと気になって床から目を離すと、すぐ近くに青年の整った顔があった。目線を合わせる為にか、床に片膝をついている。この人を見下ろすのは、非常に珍しい体験だった。

 何故だか胸の内がざわついた。

「根拠は全く無いのですが、私は……」
 諦めにも似た心持ちで語り始めた。目を伏せると、睫毛に潤いが付いた。
「お姉さまはきっと亡くなったのだろうと、そう感じています」
 ミスリアは一息に言い切った。が、そのまま黙り込むこともできずに早口に続けた。

「変、ですよね。貴方とリーデンさんみたいな特殊な繋がりがあるわけでもないのに、なんとなくそう……感じたんです。その程度の気持ちで生存を諦めるのは愚かかもしれませんけど」
「いや」
 ゲズゥの言葉は心なしか柔らかかった。驚き、再び目を合わせた。

「消息の知れない親族がきっと生きていると根拠もなく言い張る輩は、存在しない希望に縋りついているだけだ。だが逆は違う。しかも兄弟姉妹は親子よりも近い血縁じゃないのか」
「確かに、私もそう聞いています」

「なら、お前の姉は死んだと考えて間違いない。妹のお前がそう感じたからな」
 見つめ返す眼差しには濁りが無い。気休めのような易い慰めではなく本心からそう言っているのだと思うと、涙が勝手に流れ落ちた。こんな後ろ暗い仮説を長い間心に秘めていたことを、許されたような気がした。

 ――両親に話した時さえもくだらないと一蹴されたのに……。
 彼らこそが根拠の無い希望に縋っているのだろう。
 今なら、話せる。決意が固まり、ミスリアは息を吸い込んでは吐いた。

「本当に人類や世界の未来を想っていたのは、お姉さまの方です。私はあの人の夢を毎夜のように聞かされる内に、あたかも自分の夢でもあるように感化され――あの願いの眩さに触れて、同じ未来を追いたいとさえ思いました。元々私はお姉さまを取り巻く全てに憧れていました。今になって思えば、私自身、聖女になれて良かったと思ったことがあるのかは……わかりません」

 別れた最後の日を除けば、姉はいつも誇らしげだった。当時は島でたった一人、初めて聖職者の道に進んだ彼女は誰もに祝福された。

(私の場合は事情が違った……)
 口を挟まず、ただ意外そうにゲズゥは眉を動かした。
 一度蓋を開けてしまえば段々と気持ちが楽になっていった。想いが次々形になって舌を滑ってゆく。

「それでも、慰問や魔物の浄化に明け暮れるだけでも十分に意義のある生き方だと思います。もしもお姉さまが志半ばに消えたのでなければ、私は今頃はひっそりと故郷や周辺地域に仕えるだけの日々を送っていたかもしれません」

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08:42:52 | 小説 | コメント(0) | page top↑
39.b.
2015 / 01 / 15 ( Thu )
 その「食い違い」が何を指しているのかは、しばらくしてわかった。
 深い闇を包み込む静かすぎる夜。安寧とした時間が保たれる最たる原因は、都全体を覆う結界にほかならない。

 帝都の内にて行われる死者を弔う儀式……真に慰めを必要としている者らはルフナマーリの結界の外に居るというのに、一般都民は魔物が亡者の魂によって構築されている事実を知らないから、自分たちの行いの滑稽さに気付けない。
 だからこそ一層深く、ミスリアは魂の安らぎを願って黙祷した。

(私はどうなのかしら。追慕の念に、今も捉われてる?)
 己の内へと問いを向けて、ミスリアの心中は複雑になった。大陸や教団の魔物対策に対する憂いだけではない。

 ――或いは、生者の方が死者と共に在りたいのかもしれないね。人間は死というありふれた現象に恐怖や嫌悪を感じ、時には畏怖や憧憬すら感じる。歩み寄ろうとするのは自然な流れだと思う。

 イマリナ=タユスで魔物の腕(かいな)に飛び込んでいった少年について話していた時、カイルはそのように呟いたのだった。
 カイルはミスリアたちと別れた後、魔物の認識について調査していた。驚くべきことに、教団が思っている以上に人々は魔物の正体に気付いているという。皆独自に答えを追い求め、なんとかして突き止めていたのだ。

 去った者への想いを生活に深く結びつけるのは執着だろうか、非生産的だろうか。
 おそらくそれぞれに事情が異なる問題で、結び付きが生者の未来にとってプラスかマイナスかに働くのかも大きな決め手であるのだろう。

 魔に魅入られて消滅する人間は、或いは最期まで幸せなのかもしれない。
 なのにどうしても自分は、その選択を「正しい」と感じられない。きっとこれから先もずっとそうだろう。
 ぎゅっと両手を強く握り合わせると、ちょうど広場からは喚声が上がっていた。

(それでも私に、従兄との約束や一族の復讐の為に非道に進んだゲズゥを糾弾する権利なんてない)
 窓がオレンジ色に染まる。広場では再度輪になった人々が中心に向けて蝋燭を放っている。一つ一つが弱々しい火も、重なり合わさればいずれ轟く炎と化す。

「ミスリア」
 ふいに物思いに割り込む声があった。
「はい。何でしょう」

「お前の姉は、つまり生きてるのか、それとも死んだのか」
 一瞬、目の前が真っ暗になった。
 すぐに次の一瞬にはまた両目に赤が入り込んだ。窓の向こうで燃え盛る儀式の火によって意識が引き戻される。

「どう、して……突然、そんなことを、訊くんですか」
 手首より先が小刻みに震え出している。堪えようとして両手を擦りあわせた。
「知って、どうするんですか」
「別にどうもしない」

 ミスリアは素早く振り返った。常に無表情の青年は、黒曜石の右目に何の意図も映さない。それに対してミスリアは無意識に表情を歪ませ、戸惑いを訴えかけた。
 ゲズゥは二度瞬いてから唇を動かした。

「知りたいだけだ」
「だからどうして――」
「……世界の為でないなら、お前が何の為に命をかけるのか」

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13:00:38 | 小説 | コメント(0) | page top↑
39.a.
2015 / 01 / 02 ( Fri )
 光の竜が大地を下っている。それは急がぬ速さで、暗闇を泳ぐように進む。
 風の弱い夜だった。

 竜は数多くの光の集大成であり、さながら歴史書に載っている、夜襲を仕掛ける大軍のようでもある。だがかつての兵士たちが持っていたであろう松明の激しさに対し、目下の行進は蝋燭の火によって形成されており、心もとない揺らめきのみを放っていた。今だけは他の、都内の本来点いているはずのあらゆる照明という照明が消されている。

 これはディーナジャーヤ帝国の慣習に従い、毎年最後の夜に執り行われる行事。一年の間に命の灯火を失った人間を弔う儀式だった。

 蝋燭の数は、死んだ人間の数を正確に表してはいない。亡くなった知人が居れば誰しも蝋燭を手に取れるからだ――例えば亡くなった一人の人間に十人の友人や親類が居たとすれば、少なくとも死した人数の十倍の歩行者が参加することになる。

『……死は本当はとても身近なのに、どうして生きてると忘れるんだろうね』
 ミスリア・ノイラートはかつて友人が口走った言葉を思い出していた。その彼、カイルサィート・デューセ本人はおそらく今、大通りを突き進む光の竜の尾辺りに参列している。
 行進はやがて広場に着き、列を崩して輪を形作った。

「綺麗ですね」
 なんとなく呟くと、目の前にじわっと白い円が浮かび上がった。温かい吐息がガラスを曇らせたのだ。自分がいつの間にか二インチと無い距離まで窓ガラスに接近していたことを知って、ミスリアはカーテンを握る右手から力を抜いた。

 この教会の尖塔の窓からは帝都がよく見渡せる。どうしてこんな場所を選んだのかというと――眺めが格別に良いしちょうど教会の人が出回って無人になるから絶好の機会だよ、とカイルサィートが勧めたからだ。

(寒い中人混みに揉まれるよりはずっといいし、上から見下ろす方が綺麗。ありがとうカイル)
 そう思いながらミスリアは斜め後ろに退いた。
 背後に立つ青年にも外が見えるようにしたくて動いたのだけれども、改めて考えれば彼はミスリアなどよりもずっと目線が高い。わざわざ退いてあげなくても十分に見えていたのかもしれない。

「死者への執着を引きずるのは非生産的だ。こうやって大々的に弔って、未練を昇華させるのか」
 青年、ゲズゥ・スディルは窓に一歩近付き、低く響く声でそう言った。
「……はい」
 彼がそういう風に言えるようになったのは良い傾向だろう。

(十二年前に亡くなった従兄さんとの恐ろしい約束を手放して、前向きに生き始めてる証……だといいな)
 広場の中では蝋燭の火が再び動き出していた。聖歌隊に導かれ、輪はもう一度変形していく。
 聖歌が静かな夜を神秘的な音色に染める中、光はミスリアにとって馴染み深い形になった。

 全体を見通せば十字のようでもあり、しかしよく見ると横棒の形が棒ではなく短い渦を巻いているとわかる。ミスリアやカイルが属するアルシュント大陸唯一無二の宗教集団、ヴィールヴ=ハイス教団と聖獣信仰を表す象徴である。

 象徴が完成し、聖歌も数分後には終わった。
 直後に五分ほどの黙祷の時間が設けられる。ミスリアは両手を祈るように結び合わせ、瞑目した。
 ふと、先程話した際のカイルの言葉を思い返した。

 ――この儀式は一部の人間しか気付けない、ある「食い違い」を含んでいる――
 悲しげに笑って、彼はそう言ったのだった。

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07:50:57 | 小説 | コメント(0) | page top↑
38.g.
2014 / 11 / 26 ( Wed )
 最寄りの教会の寄宿舎の空き部屋の内に、四人部屋があった。何と都合の良いことに、ミスリア・ノイラート一行はちょうど四人だった。
(ちょっと狭いけど、ベッドの間に小さい暖炉もあるし、こんなもんかな。居心地は悪くないね)
 狭いだけに炎の熱がよく行き渡るのが喜ばしい。それと部屋の中に香り袋が揃えられているのがわかる。微かな花の香りが心も身体も落ち着かせる。

 リーデンは下段ベッドの上に腰を掛け、組んだ脚の上に頬杖ついてくつろいでいた。暖炉のすぐ傍では、イマリナが雪に濡れた服を広げて乾かすのに忙しい。
 向かいの下段ベッドでは病人のミスリアが横になっている。額の汗を聖人カイルサィート・デューセがタオルで拭いてあげている。

「君もやる?」
 タオルを絞って水分を盥に落とした後、聖人は二段ベッドの梯子に背を預けるゲズゥ・スディルを見上げた。
「任せる。お前の方が手際が良い」
「そう? まあ聖気の効き目もあったし、もう大丈夫そうだよ。今は眠ってるだけだから」

 そのまま聖人は片付けを始める。屋内に入った後に彼は着込んでいた白装束を脱ぎ去り、普通の立て襟のシャツ姿になった。ミスリアと同じで、聖人聖女だからと言って常に礼服を着るわけではないらしい。
 片付けを終え、カイルサィートは部屋に残ろうか去ろうか逡巡しているようだった。

(お友達が心配だけど、長時間居座るには他の僕らは他人過ぎるって感じかなー)
 当然の心遣いだ。ミスリアとは積もる話もあろうだろうけれど、ゲズゥの方は雑談を楽しむ性格ではない。引き留める者がいない限りは立ち去るのが無難である。

 ここで話題を提供し、彼を引き留められるのは自分しかいない。
 そしてリーデンにはその気があった。理由はといえば、ただ単に面白そうだからである。

「ねえ聖人さん、伴性劣性遺伝(はんせいれっせいいでん)って知ってる?」
 本日初対面の人間に突如投げつけられた質問に、カイルサィートは面食らったように目を見開く。数秒の間を挟んでから、答えた。

「隔世遺伝の一種から、男性にのみ発現する特徴のことだね。特徴を持たない親同士から世代を飛ばして男児のみに現れ、女性がその遺伝子を持っているはずでも何も発現しないゆえに、伴性劣性という新カテゴリの遺伝の仮定が立てられたって話」
 すらすらと正解が綴られる。

「……うん、本当に知ってるとは思わなかった」
 今度はリーデンが面食らう番だった。 
「君こそ、どうしてそれを?」
 問われて、リーデンはカラーコンタクトを左目から外してみせた。ありのままの瞳を聖人に向ける。

「僕はコレがそうなんじゃないかなー、って前々から思ってたんだよね」
 得意げにリーデンは「呪いの眼」を指差した。聖人は驚かずにただ頷いた。
「なるほどね。ところで……役職名じゃなくて、カイルって名前で呼んでくれてもいいんだけど」

「ん~、さっきもそんなことを言ってたね。ゴメン、特に呼ぶ気は無いから」
 呆気にとられた顔のあと、カイルサィートはぶふっと噴き出した。
「あはは! 確かに、兄弟だね」
 聖人の一言に、兄の眉がぴくっと動くのが見えた。どうやら何か心当たりがあるらしい。その辺りの逸話を是非聞きたい、そう思って口を開きかけ――

「はんせい……れっせい……?」
 ――眠そうな少女の声で、皆の注目が一斉にベッドの上に集まった。
「あれ、起こしちゃったかな。気分はどう?」
 屈み込み、聖人が柔らかい微笑みを添えて声をかける。刹那、ミスリアの元々大きい茶色の瞳が、これ以上無いくらいに更に大きくなった。

「……え。ええっ? 何で、そんな!? 夢?」
「夢じゃないよ。久しぶりだね」
「――――カイル!」

 ミスリアはがばっと起き上がって再会したばかりの友人にきつく抱き付いた。病み上がりであるとは微塵も感じさせない勢いだ。
 聖人が「ふぐぇっ」みたいな奇声を漏らしてよろめいたが、すぐに体勢を立て直してミスリアを抱きしめ返した。二人は再会を喜ぶ挨拶を幾つか交わした。

「そうだ、色々と訊きたいことはあるだろうけど、まず僕から一ついい?」
 カイルサィートはミスリアをそっと引き剥がした。
「勿論です。何でもどうぞ」
「帝都には当然、聖地巡礼の為に来たんだよね。急いでるのかな」
「え、いえ、急いでるってほどではありません、多分」

「じゃあせっかくだし、巡礼や典礼やら行事の参加はほどほどにして、正月が過ぎるまでのんびり過ごしてなよ。ルフナマーリの新年祭は一週間続くし、パレードも面白いよ」
「それは物凄く興味があるね!」
 思わずリーデンは口を挟んだ。

「いいですね! 楽しみにしています」
「うん。今の内に一杯休んで、来週は一杯遊ぼう」
「ただでさえごちゃっとした大通りが人でぎゅうぎゅう詰めになるのかぁ。超面白いだろうね」
 想像しただけで、リーデンは口元がにやにやするのを止められない。

(なんかここ最近の新年って商談とかで忙しかった気がする)
 兄の方にチラッと視線をやると、相変わらず周りの会話などどうでも良さそうに腕を組んで目を閉じている。
(やっぱり、ついてきてよかった)
 まだ見ぬこの旅の先行きを想って、リーデンは期待に胸を膨らませた。

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23:59:23 | 小説 | コメント(1) | page top↑
38.f.
2014 / 11 / 25 ( Tue )
 文官に促されて聖人は何かの書類に署名し、それから先は手続きがトントン拍子に進んでいった。扉を通り、そこでやっと監視の目から解放される。

 聖人が先導するままに歩いた。門を通ってもまだ道は坂を上るが、左右の視界はもう町の風景に埋め尽くされている。門の外の静けさが嘘みたいに騒々しい。
 けれど、前を行く青年が何者であるかが気がかりで、リーデンは周囲の景色を観察するのも忘れた。

「宿を探してるんだよね。教会の寄宿舎でもいい?」
「ああ」
「ディーナジャーヤに向かうって聞いてたけど、まさかこんなに早く、こんな所で会うとはね。縁かな。元気そうで安心したよ」
「そっちこそ」
 青年の振る話に兄は短いながらもしっかりと返事を返した。全く警戒心を抱いていない様子に、リーデンは少なからず驚いた。

「知り合い?」
 問いは兄に対してだったが、当人にも聴こえるような音量で訊ねた。
「ミスリアの友人」
「んん? 聖女さんの――……あ! もしかして、『カイル』?」
 旅をし始めた頃に二人が世話になったという聖人の話は聞いている。なるほど、まさに聞いた通りの人物だ。

 比較的人通りの少ない小道に入ってから、聖人は立ち止まった。
 くるりと前後反転し、袖を押さえるようにしてお辞儀をした。

「初めまして、カイルサィート・デューセです」
「あ、これはどーも。僕はリーデン・ユラス、こっちの物静かな女性はイマリナって名前だよ」
 つられてリーデンも一礼した。イマリナもロバの手綱を握ったまま頭を下げた。

「リーデン?」名に覚えがあったのか、カイルサィートは何かを思い出すように目線をさ迷わせた。「すると君が手紙にあった、『絶世の美青年』かな。凄いね、実物は想像以上だ」
「聖女さんってば、そんな表現を使ったの? お茶目だなぁ」
 リーデンは軽やかに笑った。

「彼女は正直だからね」
 カイルサィートも頬を緩ませる。爽やか好青年といった風貌だが、果たしてそこに全くの裏は無いのか、つい思いを馳せずにはいられない。

 あるとすればミスリアたちが懐かないはずだ。特にゲズゥは人の悪意を嗅ぎ出すのが得意だ。そう考えると何やら楽しくなってきて、リーデンは握手を求めた。聖人カイルサィートは快く応じた。強すぎず弱すぎない、程よい握力――身体能力はそれほど高くなさそうだが、常ならざる局面でも頼りにできそうな雰囲気があった。

(ふうん。世の中いろんな人が居るもんだね)
 都に入って数分も経たないのに、早速リーデンは人間観察を楽しんでいた。
「行こうか。まず一番近い教会を当たってみよう」
 カイルサィートに続いて、皆は再び歩き出した。

 建物に挟まれた小道を抜け出した先には、うねる坂道が幾つも展開されていた。高地の至る面を喰らい尽くすように並ぶ建築物。何処に何があるのか、どうやって辿り付けるのか、一度見ただけではわかりようがない。

 唯一つ。帝王が座す城だけは、最も高い中心地に最も華々しく陣取っている――決して侵せない高嶺の花のように、刺々しそうな常緑樹に囲まれて。

(何回来ても、ごちゃごちゃした印象は変わらないなぁ)
 色使いや形にまるで統一性の無い建築物。それが中心から離れれば離れるほど、即ち高度が低ければ低いほど、何故か建物の密度は薄い。城壁近くの端の方にもなると、無遠慮に生い茂る常緑樹の割合の方が勝る。

(人が高い場所ばかりに居座りたがる心理は一度じっくり分析してみたいねー)
 純粋な遊び心か、或いは権力欲か。色々と可能性を考えながら、一人ほくそ笑む。

「言い忘れてたけど」
 うねる道を一つ選び、踏み込む寸前の所で、ふと聖人が肩から振り返った。
 ちょうどその頬に、粉雪がつくのが見える。

「帝都ルフナマーリへようこそ。よく来たね」
 再び現れた青年の爽やかな笑顔に、リーデンは条件反射で笑みを返した。

_______

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23:01:05 | 小説 | コメント(0) | page top↑
38.e.
2014 / 11 / 24 ( Mon )
「現在教団の元を離れて旅している聖人聖女がたの名簿には確かに、ミスリア・ノイラートの名がある。だが本人であるかは、『奇跡の力』を見なければ判別できない」
 兵ではなく文官のような出で立ちの男がガサゴソと巻物を開いて確認している。

「見た目の記述くらい持ってないの? 聖女ミスリアと護衛その一はかなり見た目が独特だから間違いようが無いはずだけど」
 盗み見るように身を乗り出すリーデン。文官は慌てて巻物を背に隠した。

「そんな物は無い。我々が顔を知る者は楽に通せるが、それ以外は力で証明してもらわねばならない」
 文官も衛兵も頑なだった。仕方なくリーデンは引き下がった。
「どうしよっか、兄さん。まさか叩き起こして聖気を出させるわけには――」

 ゲズゥの決断を仰ごうと思って振り返る。兄はこちらのことに意識を向けておらず、隣の列をじっと見ていた。実際には列と呼んでいいのかわからない。並んでいる人間は二人しかいないからだ。

 一人目の学者風情の男は衛兵と短い会話を交わしただけであっさり扉を通った。二人目は裾の長い白装束を着込んでいた。衛兵の前に立って、フードを下ろすのが見えた。

「頻繁に出入りする者は向こうの扉から通れるのだ。顔が知れているから検査も短縮される」
 巻物を持った文官の補足する声で、リーデンは再び前を向いた。
「とにかく! その少女が貴様らの言う聖女ミスリアかどうか判断がつかない以上、身元を証明できる人間を呼ぶしかない。或いは、その子の調子が戻るまでだ。それまでは拘置所に入ってもらう」

「拘置所ねぇ。女の子が熱出してるのにかわいそうだと思わないの?」
 リーデンは背負われたままのミスリアに歩み寄り、額に手の甲を当てた。汗を吸った栗色の髪をそっと指先でどける。苦しそうな表情を見ていると、無意識にリーデンの眉根が寄った。

「ちゃんと安全で暖かい場所で休ませたいんだよね」
「ならさっさと身許を証明してくれる人間が現れるよう、祈っていろ」
 兵の面頬越しに、人を馬鹿にした顔が見えた。流石にカチンとくる。
 しかしここで強硬手段に出たら後々まずい。どうしたものかと思い悩みながら兄を一瞥すると、未だに彼は隣の列に視線を注いでいた。

(何をそんなに見て……)
 とりあえず自分も視線を向けてみた。真っ白な服装の細面の青年が、驚ききった顔でゲズゥを見つめ返している。
 二十歳くらいだろう。短く切り揃えられた優しげな亜麻色の髪と、琥珀色の瞳が特徴的だ。
 ふいに、青年が微笑んだ。秋に吹く風のような爽やかさを含んだ笑顔だった。

「あの、突然すみません」
 あろうことか青年が近付いて来た。
「いつもお疲れ様です。騒がしくしてすみません」
 文官が腰を低くして丁寧に礼をする。

「構いませんよ。それより、たった今聴こえた会話が気になりまして」
「はい?」
 不思議そうな衛兵らの前を通り過ぎ、青年はミスリアのすぐ傍まで来た。少女の額に右手をかざし、何かを呟いた。淡い黄金色の光を見て、ようやくリーデンは合点がいった。そうか、この男も聖職者か――。

「彼女は間違いなく聖女ミスリア・ノイラートですし、彼は護衛のゲズゥ・スディルに相違ありません。僕が保証します。この帝都に害をなしたりしないでしょう」
 聖気を閉じ、青年は衛兵らに笑いかけた。
「は、はい! 聖人様がそう仰るなら」

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01:10:44 | 小説 | コメント(0) | page top↑
38.d.
2014 / 11 / 22 ( Sat )
 子供はどうしてか好きになれない。よって、なるべく関わり合いになりたくない。
 未だに騒ぎ続ける連中から目を逸らして、リーデンは周囲を見回した。雲の量からして雪は当分続きそうに思えた。兄たちは何事もなく戻って来れるだろうか――などとやんわり心配していた、そんな時。
 件の人物の気配が近付いてくるのを感じた。あまりに意外だったため、思わず通信を送った。

 ――早くない? 思ってたより近場だった?
 三分ほどして、返事があった。

 ――途中で引き返しただけだ。先に町に入る。
 ――うん? じゃあ、支度して待ってるよ。
 事情は会ってから説明してもらえればいいと考え、リーデンは携帯式絨毯から腰を上げた。イマリナもそれに倣う。

 「片付けようね」、『わかった』、の短いやり取りを交わし、己の髪に付着していた雪を落として上着のフードを被り直した。下ろしていた荷物を残らず集めて肩にかけ、眠そうにしていたロバの手綱を取る。その間、イマリナがロバの毛についていた雪を払った。

 それから更に五分もすると、新雪を横切る真っ黒な兄の姿が森の中から現れた。行きの時と違って今度は聖女ミスリアを背負っている。
 合流し、全員は縦一列を組んで坂道を上り出した。

「どうしちゃったの、聖女さん?」
 僅かに振り返りながらリーデンは問いかけた。対象の顔はフードに隠れていて見えないが、大体の察しはついた。

「熱を出した」
「あらら。しょうがないね、急いで宿を探そう」
「……ああ」
 とは決めたものの、宿まで急ごうにもそれまでの道のりに様々な障害物が残っていた。南門までできるだけ足早に進み、そこで人の列の最後尾に並んだ。都に入るには身許調査やら持ち物検査やらを乗り越えなければならないからである。

(天気が天気だからかな、出入りをする人が少なめで助かったよ)
 幸い、自分たちの前には十人も並んでいなかった。
 順番が回ってくると、リーデンは四人を代表して受け答えをした。

 何処から来て何をしに来た、荷の中身は何か、都内に知り合いはいるのか、などの幾つもの質問に淀みなく答えた。衛兵らがロバや荷物を確かめるのにも快諾した。だが、何故かなかなか通してもらえない。
 あらかじめ用意していた、封蝋が施された身分証明書――自分とイマリナのは正規のルートから入手した物ではないが――までをも見せたにも関わらず、衛兵たちの視線は訝しげだった。

 挙句の果てにはミスリアの首回りをまさぐってペンダントを取り出して見せたが、それでも胡乱げな視線は消えない。

「貴方がたの言い分は理解した。が、聖女様ご本人から話を伺いたい」
 背の高い衛兵が一人、鎧をガシャッと鳴らして前に出た。同じく長身のゲズゥを睨み、要求するようにミスリアを指差した。
「聖女さんは今は体調を崩しているから無理ですよー」
 微動だにしないゲズゥに代わってリーデンが答えた。

「随分と都合の良い状況だな」背が低い割には体格が無駄に良い、別の衛兵が兜の面頬(ヴァイザー)を開けた。「言わせてもらおう。貴様らは年端も行かない少女を誘拐し、聖女に仕立てて儲かりたいと企む……ただの不審者にしか見えん。そもそもそのペンダントは本物なのか?」

 衛兵の言い分こそが正論に聴こえたリーデンは、ぽんっと両手を打ち合わせた。

「なるほどー。これは論破できないや。間違いなく本物なのに、どうやって証明すればいいのかすら僕にはわからない。嵌め込まれた水晶が何の水晶なのかもわからないしね。能力で示さないと、それらしく見えるだけじゃダメってことかー」

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