40.b.
2015 / 02 / 09 ( Mon ) 視線を固定したまま、男は己に寄りかかって咳をしている少女をそっと離して背後に押しやった。 誰何のやり取りも無しに奴は無言で呼吸をするだけだ。正面から眺めると、意外に若いことがわかる。硬直がとけ、第一に抱いた警戒心を思い出し、彼女は身構えた。 この場合、自分と同等以上の警戒心を相手が見せるのは当然だった。それゆえ責めるのは場違いだとわかっている。わかってはいても、掠って裂けた衣服を見下ろすと怒りが募った。 (い、きなり何するのよ……!) 怒鳴り散らしたい衝動を抑え込んだ。いくら心が望んでいようと、その行為は体力を消耗するだけで得策ではない。息を整え、もう一度状況を見直した。 (それにしても、どういう関係かしら。兄妹にしては似てないわね) 少女の髪は柔らかな栗色だった。肌も白く滑らかそうで、一緒に居る男とは何一つ似ていない。 どう声をかけようか、と迷っていた時間はそう長くなかった―― ふと気が付くと視界から黒い男が消えていた。 刹那の悪寒。 視覚で脅威を確かめるより先に、左斜めに仰け反った。今度は短剣は掠るまでもなく通り過ぎた。 (受けられるよりも避けられる方が体勢を立て直すのに時間がかかる!) その隙を使って攻勢に出よう――左の膝を落として重心を安定させ、右脚で中段蹴りを繰り出した。 思ったほどの隙は開かなかった。渾身の一撃はいなされる結果となった。 男は左足を踏み出して体の向きを九十度時計回りに変えたと同時に、左肘を張って防御をしたのである。 (こう見えても長靴の爪先に鉄仕込んでるんですけど!?) 視界の左側に、陽光を反射した短剣が目に入った。 すぐさま奴は空いた手で突く動きに転じたのだ。 剣の切っ先を、彼女は素早いサイドステップで避けた。 (痛がれとは言わないけど、少しくらい動きが鈍ってもいいのに……。これ以上後手に回ってたまりますかっ) 伸ばされたままの腕を挟むようにして封じ、折りにかかる―― 途端、顔前に拳が迫った。咄嗟に腕を離して身を屈めた。 「なっ――あったまきた……! 乙女の顔殴るのにちょっとくらいは、躊躇、してよ!?」 彼女は持ち前の脚力で斜め前に跳び上がった。その勢いで男の腹に頭突きを入れようとするも、空振りした。 男が身を引いて距離を取ったのだ。 「逃がさない!」 瞬発力で競り負けるのは初めてだ。何かが引っかかる。が、そんなことは今はどうでもいい。とにかく攻め込むのだ―― 風切り音と共に、何かが飛んできた。彼女は反射的にそれを蹴り落とした。草に刺さった凶器の輪を見て、新手の登場を知った。戦輪が飛んできた方向をキッと睨む。 そして思わず呆気に取られた。大嫌いな「男」がもう一人現れたのだ。それは間違いないのに、黒い男とは別な異様さを放つ容姿だった。 女性顔負けの繊細な美貌。彼女が苦手とする種の男らしさとは最もかけ離れていながらも、中性的とも呼べない、明瞭な凛々しさ。挙句、新手の男からは爽やかな森の香りがした。 魅了と嫌悪の狭間で眩暈がする。一体何なのだ、今日は。 「…………二人とも、やめ……ください。その方は、きっと、しんせつで、ちかづ――」 その時、小さな少女が咳の合間に言葉を紡ぎ出した。清らかで可愛らしい声だ。 しかしその一声で男たちの動きがぴたりと止まったのと、歳に似合わず発音や言葉遣いが丁寧なのが、どうにも気になった。 |
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