57.h.
2016 / 05 / 31 ( Tue )
カタリアの過去が鬱いのは予定通りですが、一応読む前にこころの準備をされるように推奨します。

それと、できれば最後まで、信じてあげてください。




 かつてそれを考え付いた狂者が居た。サエドラの町に隣接する森の住民の始祖その人だ。
 始祖は異形の存在を作り出して、調教する方法論を編み出し、実現した。

「その作り方ってのが案外単純でな。実体化している魔物を」続きを語るまでに、何度か咳払いをした。口の中に、あの忘れがたくおぞましい味が広がった気がしたのだ。「魔物の『肉』を切り取って、生きた人間に喰わせるだけだ」
 うっ、とミスリアが口元を手で覆った。すっかり青ざめてしまった彼女の代わりに、地に寝転がって話を聞いていた銀髪の青年が問うた。

「まさかあの燻製がそうだったとか言うんじゃないよね」
「あれはただの熊の肉だ」
「へえ、熊はペットじゃなかったんだ」
「俺の知る限りじゃ、口笛の連中は熊を使役してない。食料として取り扱ってはいるが、奴らの下僕は魔物……この場合は、魔獣とでも呼んで通常の魔物と区別するか。あの狼みたいな魔獣だけだ」

 奴らは始祖の代からずっと、狩猟の供として使う為だけに魔獣を生産し続けた。目的はそれ以上でもそれ以下でもなく。これほどまでに長い間、教団や対犯罪組織に見つからずに居たのは、手を広げようとしなかったからかもしれない。
 悪行が知れ渡らない理由はもう一つあった。サエドラとの協力関係だ。

「奴らが魔獣を使って狩る、熊をはじめとするさまざまな動物……サエドラの民が森の住民を容認するのは、森から得られる肉が欲しいからだ」
 代償として町民は異邦人や老人などを定期的に森の民に差し出す。
「わからないなぁ。自我も知性も無い化け物をどうやって従わせてるの?」
「言ってしまえばそれも単純だ。魔物が有する唯一絶対的な習性を利用する」

「……人への飢えですか」
 聖女ミスリアが口元から手を放し、胡乱な目で言った。
「そうだ。人間を喰らうことへの猛烈な飢えを『誕生』直後に満たしてやれば、魔獣は御しやすくなる」

 ――刷り込みと餌付け。
 職業柄、エザレイは魔物と長らく関わってきたが、人に餌付けされた魔物に出遭ったのはサエドラでの一件が初めてだった。魔物狩り師連合の記録によれば似たようなことを試みた者は他にも居たらしいが――ともすれば、鍵は刷り込みであろう。
 異形を生み出してから調教したのではなく、調教できるようにわざわざ生み出したのだ。

 こうして論を並べ立てるのは容易だ。行程を詳細に語るところが、真の苦難であった。吐き気を催さずに話し切れるかどうか。
 決心が鈍らない内に、せかせかと話を進めた。
 町民の謀略にかかって森の民に明け渡されたこと。運送途中に逃げ出せたはいいが手傷を負わされ、聖地に立てこもったこと。

 森の民は聖地を嫌って、軽々しく踏み込もうとしない。或いはもっと時間が稼げたかもしれないのに、その日は事情が違った。疎んじていた聖地を穢す千載一遇の機会だからと、奴らはこぞって攻め込んできたのである。
 荒々しく押さえつけられた。殴られた。噛み合わせた歯の間をこじ開けられた。青白く光る肉塊を口内に押し込まれた。

 あれは、およそエザレイの持ち合わせる語彙では形容できない次元の不味さだった。拒絶して吐き出そうにも、口を押さえられていてできなかった。抗えば抗ったほど、喉の筋肉は飲み込んで楽になろうとした。
 瘴気は唾液と絡まり、通る道を残らず焦土と化さんとする勢いで胃腸に至った。

「内蔵が破裂するのかと思ったよ。それで苦痛にのたうち回ってしばらく泣き叫んでたら、数分ほどで治まって……」
 嬉し涙が流れかけた頃合いに、次なる試練が始まった。
 飢餓だ。
「奴らの狙い目はそこだ。魔物を喰らった人間が、まだ生きた人間であるままに、同族の肉を激しく求める段階――」
 あらかじめ用意された餌を口にすることにより「刷り込み」は完成するわけだが、連中の残虐さに限度など無かった。

 ――ふいに、静かに話す声が、自分のものでないように感じられた。
 この美しくも哀しい窪地の狂った過去を。我ながら、なんて淡々と語るのだろう。
(そうでもないな)
 いつの間にか両膝を立てて、貧乏ゆすりをしていた。
 他の面々はしばらく口を挟んでいない。

「先にその段階に達したのは、ハリド兄妹だった」
 次にエザレイ、最後に聖女カタリア。聖職の者であるカタリアは体内に聖気を蓄積していたためか、連中の予想以上に魔性への変容に時間がかかった。
「カタリアが長時間耐えられることに気付いた連中は、趣向を変えた。先に堕ちそうになった俺らに、あいつを喰えと命じた」
 朦朧とした意識はその命令に簡単に揺るがされそうになった。

「嘘です! 嘘ですよね!? そんな、そんなことってないです……!」
 ミスリアが突然飛びついて来た。懇願する大きな瞳は、涙の膜に覆われている。
 エザレイの膝頭に食い込む指先は、小刻みに震えている。かなり痛いが、放してくれと言う気にはなれない。
 やがて黒い青年が助けてくれた。ミスリアを後ろから抱き上げ、強引に引き剥がす。少女は恨めしそうに青年を振り返り、行き場を失った手を彼の腰に巻き付けた。顔を埋めてしゃくり上げている。

(嘘だったらどんなによかったか)
 落ち着くまで待ってやろうとも考えたが、どうやら続きはその体勢で聞く気らしいのか、ミスリアは微動だにしない。青年の方が宥めるように少女の肩をそっと抱いたところで、エザレイは再び口火を切った。

「ディアクラとイリュサは鋼の精神で耐え抜いて、飢餓に悶えて弱りながらも死んでいった。俺は――……まあ察しただろ。屈したんだよ」
 衣服に付いた白い抜け毛を払いつつ、自嘲気味に笑う。

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