53.b.
2016 / 02 / 10 ( Wed )
「いつもじゃねぇって。行水もする」
「大して変わらないでしょう」
 ディアクラはため息混じりにこめかみに指を当てた。そんな風に呟かれても譲れないものは譲れないのである。
「寒中水泳って、気持ちいいですか」
 カタリアが無邪気に訊ねた。
「……俺にどう言えってんだ」

 青年はハリド兄妹の微妙な視線を受けつつ、世間知らずの聖女に向けて引きつった笑みを向けた。屋外での寒中水泳も行水も、最初の衝撃には確かに一種のカタルシスを得られる。しかしその快感は命の危険と引き離すことのできない類のものだ。気を抜けば、クソ寒いだけである。
 結局「勧められない」と簡潔に答えると、彼女はあっさり「そうですか」と言って引き下がった。

「それで」
「今度はなんだ」
「どうして、火が嫌いなんですか」
 カタリアの表情に茶化す様子はまるで無く、ただ歩み寄ろうとする者の真剣さがあった。目に見える距離は二十歩も開いているのに、妙に近くに存在を感じる。
 青年はたじろいだ。隠すような話ではない。それでも口が重くなってしまうのは、心の折り合いをつけていない証かもしれない。

「――――奪うからだ」
 やっとの思いで搾り出せた声は、震えていた。
 瞬けば、遠い日の光景がまなうらに蘇りそうで怖い。青年は無意識に首の後ろに手を触れていた――思い出すだけでいちいち古傷が疼く。

「わかりました。これで暖を取ってください」
 ざく、と乾いた枝葉の上を渡る足音。視界の中であっという間に聖女の姿が大きくなる。抗議をする間もなく、毛皮のマントが背中に回された。
 突如として覆い被さってきた女特有の甘い残り香と温もりに、青年は一瞬硬直した。目を大きく見開いて、今一度状況を確認する。目の前で背伸びをする少女が小さく震えた――

「あんたが風邪引いたらどうすんだ。返す」
 青年は即座にマントを脱いでカタリアの肩に戻した。
「私は大丈夫ですよ」
「んなわけあるか。早く炎の傍に戻れ、でないと俺がアイツらにどやされる」
 カタリアの向こうでは、ハリド兄妹が殺意と同等の凄みをもって青年を睥睨している。

「心配してくださるんですか。お優しいんですね」
「違う。そっちが非常識なんだ」
 青年はうんざりしたように答えたが、この陽だまりみたいな笑顔を前にして、本気で怒れるわけがなかった。

「ふふ、では煮上がったら貴方の分を持ってきます」
「おー。あんま気ぃ遣わなくていいぜ」
 ひらひらと追い払うように手を振ると、カタリアは何故か楽しそうに走り去った。

_______

 ある黄期日の午後、ミスリア・ノイラートは市立図書館の中庭で大理石のベンチに座していた。
 ここはウフレ=ザンダという国の首都である。記憶障害者の男性、シュエギと出会った町もウフレ=ザンダの領土内に位置しているが、今ではもうその地点より北北西に十五マイルほど進んだ場所に居る。

 書物を片手に、ミスリアは自らの護衛の一人である眉目秀麗の青年、リーデン・ユラスと他愛の無い話をしていた。


最近! 仕事! いそがしす!!

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