50.c.
2015 / 11 / 07 ( Sat )
 斜め上に走らせた目線の先で、何かが煌いた。こんな夜の闇で小石が煌くなど、奇妙なことである。
 目を凝らしてみると、硬貨のような平らな形をした物が野草と岩の間に挟まっていた。それは透き通っているようで、同時に淡い燐光を放っていた。

 聖女ミスリア・ノイラートにとっては馴染み深い黄金色の光。聖気の輝きだ。聖獣の身から剥がれて水晶化した鱗――!
 頭が急激に冴え渡った。
 左手の力が尽きる前に、アレを手にしなければならない。

(届いて!)
 何度か小さく空振りした。
(爪先だけでも触れればいいから!)
 左肩の関節が軋んだ、ような気がした。背後からは混じり物の嘶きが聴こえる。
 決して振り返ってはならない。心が挫けてしまうから――

 震える右手の中指の爪が、ツッ、と小さな音を立てて水晶に当たった。あまり深く挟まっては居なかったのか、たったそれだけの衝撃で外れた。
 鱗はひらりとミスリアの頬に落ちた。驚くほどに温かい。

 ふいに、左腕から全ての力が抜けた。
 今度こそ落ちる。
 両手は天に向かって空しく伸びる。衣服の裾がはためく音がひたすらに恐ろしい。崖上から静かな眼差しで見下ろす山羊と、目が合った。

 月が遠ざかる。
 瞬く間の絶望に包まれた――が、頬にくっついた微かな温もりが消えていないことを知って、ミスリアは直ちに行動に移した。
 懐の中のアミュレット、水晶、そして新たに手に入れたもう一個の水晶。それらの器に呼びかける。

「女神サルサラナ、そして聖獣よ、どうか力を貸して下さい……!」
 刹那、そこに眩い光が生まれた。四方八方どこを向いても、光には果てが無かった。混じり物の気配も、すっかり消えている。
(すごい……こんなの初めて!)
 だがこれで満足してはだめだ。ミスリアは聖気を凝縮するイメージを描きながら、なんとか視界を取り戻した。落下が進む間にも身をよじって洞窟へと繋がる窓を探す。

(あった!)
 両手で光の柱を抱き、渦巻かせた。
 そうやって、言うなればあの穴に聖気の竜巻を落とした。音はしなかった。
(これでいい……これできっと……)
 聖なる力が風となって浄化の恵みをばら撒くはずだ。それが何もかもをうまく行かせる一手となれなくても、自分はもうやれるだけのことをやった。

 後はもう落ちることしかミスリアには残されていなかった。
 無事で済むかは正直全くわからない。けれども一つの大仕事をやり遂げた達成感の所為か、恐怖という感情は留守になっていた。
 そんな心持ちで、美しい月をうっとりと見上げる。

 ――ドン!
 激しい衝撃に見舞われた。
 ところが、想像していたほどの痛みがしない。それに意識も奪われていない。

(あ。これ、知ってる)
 流石にこういうことが何度かあったとなっては、敷き物の正体にもすぐに気付けるものである。ミスリアはくるりと裏返り、恩人を間近で見下ろす形となった。

「また、助けられましたね。大丈夫ですか?」
「……あの高さから落ちた物を受け止めて骨折一つで済んだのなら、上出来だな」
「う、すみません。すぐ治します」
「軽くてよかった」

 護衛の青年――ゲズゥ・スディルは、心拍数などは上がっていたものの、相変わらずの何事にも動じなさそうな表情で、小さく息を吐いた。

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