30.d.
2014 / 03 / 17 ( Mon )
*注意:残酷というか、書きながら私もぞわぞわしたような歪んだ話があります。


「兄さんは僕を背負って走った。村から遠く遠く離れ、それからは二人で町を転々と移ろいながらゴミ山を漁り、拾い食いをし、時には盗みもして食いつないで……。意地汚い生き方と言っても、幼い僕には多分、家族が一緒ってだけで結構満たされていたんじゃないかな。不思議と、思い出はいつも温かい」

「なるほど、そんなことが……」
 今回のお茶は苦いなぁ、と思いながらミスリアは話に聞き入っていた。お茶以上に、リーデンの語る過去は苦い。
 しかしゲズゥの幼少時代を想像してみるのはどこか新鮮な感じがした。

「そんな生活も長続きせず、やがて子宝に恵まれなかった老夫婦の目に留まって、引き取られることになったんだ」
 リーデンが次に語った予期せぬ展開に、ミスリアは瞬きを返す。

(よかった、ずっと子供二人で生きていたんじゃなくて)
 そして僅かな安堵を覚えた。

「その方たちは今はどうされてるんですか?」
「ん? もう大分前に死んだよ」
「す、すみません。お気の毒でしたね」
「別に謝ることないよ。僕が殺したんだし」

「――やめて下さい! なんて冗談を」
 無意識にミスリアは席を立ち上がっていた。膝がコーヒーテーブルに当たり、突然の揺れでティーカップが落ちそうになる。それをリーデンが素早く手を出して防いだ。

「ん~、事実だけど」
 テーブルの上に身を伸ばした姿勢のまま、彼が上目遣いで告げる。
「その二人も、数年にかけて愛してはくれたと思うんだけど…………なんて言うか、ある日鈍器で殴っちゃったよ」

 突然窓が開けられた時みたいに部屋の気温が下がったような気がした。だがここは地下の一室であって窓は一つとて無く、空気の流れもほぼ皆無である。
 気のせいに違いない。にも関わらず、ミスリアは全身が小刻みに震え出すのを止められずにいた。

「なに、を言って……」
 膝が痛みにじんじん痺れるのにも構わず、声を絞り出した。
「そいつらの所為で僕ら兄弟は引き離されたんだ。当然の報いでしょ」
 ――悪びれず朗らかに笑っている。

(本気で言っているのだとしたらとんでもない道徳観だわ)
 今聞いた出来事が実際に起きたという確証は無いし、事件そのものの情報が絶対的に足りない。だが真実がどうであれ、目の前の美青年は「何かがおかしい」と、ミスリアは確信した。

「物心ついたのかついてないのかどっちとも言えない年頃の子供がやったことだよ。育てた人間の失敗が導いた結果と考えるのが妥当で、僕の咎だと誰が責められる?」
 ミスリアは答えられなかった。

 ある意味ではうなずけるが、同時にそれは責任転嫁とも取れる見解だ。
 心底リーデンは、自分のしたことが何一つ間違っていないと思っているのだろうか。当時はともかく、アルシュント大陸での一般男性の成人年齢である十五歳を過ぎた今でも、省みる所は何も無いのだろうか。

(この人の精神構造はどうなっているの)
 今ばかりは、弟の狂気と比べて兄の罪は些事に思えてしまう。
 罪の数ではなく感覚の問題だ。ゲズゥは人としてまだ戻れる場所がありそうなものだが、この青年は――血の繋がりはさておいて、親殺しという紛れも無い大罪を犯している。

 彼の主張通り、注がれた愛情の方に問題があったのか? それともリーデンの言い訳に過ぎないのか?
 わからない。わかろうはずも無い。吐き気がする――

「あー、そういえば聖女さん」
 相変わらずの澄んだ美声が思考を横切って、ミスリアは身構えた。
「な、何でしょう」
「たった今、兄さんが建物から出ちゃったけど。どうするの? 追いかけるの?」
 リーデンは地下室の天井を見上げて訊いた。

「それは困ります! すぐに追いますので、お話の続きはまた後ほどお願いしますね、すみません。失礼しますっ」
 場を逃げ出す口実が出来たことにとてつもなくほっとしたのも束の間、次の瞬間にはもう走り出していた。
 背後から聴こえる高らかな笑い声が夢にまで響きそうである。ミスリアはこみ上げそうな涙をぐっと堪えた。

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