(昨夜から姿を見ないと思ったら……樹の上で寝たのね……)
今更呆れるまでもなく、ミスリアはただ納得した。
(相変わらずな人)
内心くすりと笑って、気を緩めた。
祭壇の前で泣き崩れる所を見られた所為で気まずいかも、と心のどこかで心配していたけれど、おそらくゲズゥは気に留めていない。だったら、一方的に気にしても仕方のない問題だった。
「それで一言『かわる』と言って斧を取られました。おかげで休憩できましたよ」
「そうだったんですか」
ミスリアは黙々と薪を割り続けるゲズゥ・スディルを観察した。薪の山はどんどん積み上がっている。彼の手際がいいせいだろうか、あっという間に終わりそうである。勿論、顔には疲れの色など微塵も浮かんでいなかった。
(いつもと同じ無表情なのに。どうしてかな、ちょっと楽しそう)
手作業に没頭するという状況を楽しみたかったのか、それとも単に身体を動かしたいだけだったのか。正解は、本人にしかわからない。
「さて。そろそろまた僕がやりますよ。あと少しですね」
五個目のスコーンを飲み込んだラノグが立ち上がった。彼はズボンをはたいて食べカスを払い、近くに置いてあった手ぬぐいで指を拭いてから、袖をまくりあげた。
ゲズゥはラノグの顔を直視せずに斧を手渡した。そうして今度は彼が切り株に腰をかけた。
(あ、コップ一つしか持って来てないわ)
手元のトレイにはラノグの飲みかけのガラスコップが置いてある。同じのを使うのはゲズゥは嫌がるだろうか、と首を傾げていたら、横から褐色の手が伸びた。
ゲズゥはコップではなく水差しを片手に取った。それを頭よりも高い位置に持ち上げ、上向きに首を傾け、開いた口にとくとくと水を注ぎ込んだ。注ぎ口に触れることなく。
「き、器用な飲み方ですね」
などと感想を述べても、返事は無い。うっかり漏れたりしないかなー、とハラハラして見守った。
「………………町に」
ようやく水差しを下ろしたゲズゥが呟いた。前髪に隠れていない黒曜石に似た右目が、何かを問うようにミスリアを見つめている。
「町に?」
話が掴めなくて思わず復唱する。
「そいつが町の鍛冶屋で働いていると」
水差しをトレイに戻して、ゲズゥが答えた。「そいつ」とはラノグのことを指しているのだろうか。
「鍛冶屋ですか」
「そこから武器屋も近いらしい。俺は見に行きたいが、お前はどうする」
ゲズゥが立ち上がった。黒い瞳が返答を待ちながら見下ろしてくる。
「私は……」
武器屋に行きたいけどミスリアと離れては護衛の役割を果たせないから、一緒に来るかと誘っているのだとわかった。こちらとしては教会に残っていてもやることが無いし、ついていくのが妥当だろう。
「行きます。ラノグさんも、是非、ご案内お願いします」
ラノグを向き直り、ミスリアはきっちりとお辞儀した。
「勿論いいですよ!」
額の汗を布で拭いつつ、彼は気持ちのいい笑顔を返した。
数十分後には割り終えた薪を纏めて教会の中に持ち込み、三人は町に出る為に正面玄関に向かった。
ところが扉に手をかけた瞬間、階下から上がって来る人間に呼び止められた。
「どこ行くの?」
振り返ると、長い蜂蜜色の髪を一本の三つ編みに纏めた女性が階段の手すりに片手を添えて立っていた。この教会の女性の普段着である灰色のワンピースを着ている。確か彼女はイトゥ=エンキの生き別れた姉で、名をヨンフェ=ジーディと言った。
「やあ、ヨンフェ。少し早いけど、鍛冶屋の方に行くよ。聖女様方も行きたいそうだし」
明るい声でラノグが応じた。
彼女は一言、あらそう、と意外と身の入らない応答をした。
そして気難しい顔で手すりを睨んでから、また顔を上げた。
「ねえ。イトゥ=エンキを見なかった? あの子、昨日はどこ泊まったのかしら……晩餐にも来なかったわ」
「君の弟だという彼? 僕は見ていないな。聖女様は?」
そう言ってラノグはミスリアたちとも顔を見合わせた。
「いいえ、私も昨晩からは……」
自身に欠ける声でミスリアが答える。
昨晩、イトゥ=エンキが「町に消える」や「晩御飯を適当にどこかで食べる」と言っていたことは伝えるべきだろうかと迷う。本人は、あまり追われたく無さそうだった。
「朝は一瞬だけ聖堂に居たって司祭様の証言があるのだけれど。逃げられている気がするのはどうしてかしら」
「そこまで心配しなくてもそのうち戻ってくるんじゃないか」
「わからないわ」
ヨンフェ=ジーディは足早に残りの階段を上り切り、三つ編みを揺らしながらミスリアに近付いた。
「聖女様、お願いです。昨日は訊けなかったけど、教えて欲しいことがあります。イトゥ=エンキとはどうやって出会ったんですか? どうして一緒に旅をしてたんですか? あの子は今までどこで何をして――」
こちらに返答を挟む隙も与えず、彼女は次々と質問を並び立てた。
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