23.a.
2013 / 05 / 21 ( Tue )
 時計塔の鐘が鳴り終わるまで、ミスリア・ノイラートは灰銀色の屋根の塔を見上げて待った。
 十回鳴った後で音が止まる。
 その余韻がまだ耳朶に残っている内に、ミスリアは目を瞑って一呼吸した。

 日差しが心地良い。どこからか風に乗って伝わってくる焼き立てのパンの匂いが香ばしい。足元で、鳩が食べ物を求めてレンガの道を突く音がする。
 通りを行き交う人々の声に、雑踏に、活気が溢れていた。こうしていればその活気を分けてもらえる気がした。

(よし。私も一日頑張ろう)
 両手で頬を軽く叩いて、ミスリアは目を開いた。

「おはようございます、聖女様」
 開いた目に入ってきたのは黒い服と銀のアミュレット。真正面に、いつの間にか誰かが立っていた。聖女の制服を着ていないのにそう呼ばれたからには、知り合いなのだろう。
 ミスリアは目線を上げて、茶色の巻き毛と垂れた耳たぶが特徴の、昨日出会ったばかりの中年男性を認めた。

「おはようございます、神父さま」
「まだ寝ているものかと思っていました。疲れていらっしゃるでしょう」
 神父は元々細い目を更に細めて、のほほんと笑った。
「いいえ、そんな訳には」
 ミスリアは頭を振った。

 この町の朝は早く、既に一日が始まってから数時間経っている。旅の疲れがあったものの、周りより起きるのが遅かったことに対してミスリアは何故か申し訳ない気持ちになっていた。

「そういえば神父さま、聖地へご案内していただけませんか?」
 思い出したようにそう訊ねると神父の笑顔が揺れた。
「聖女ミスリア、それはいけません。週の始めの赤期日と言えば聖職に携わる者にとっての正式な休日。今日は、のんびりと何もしなくて良いのですよ」

「で、でも……。ではせめて何かお手伝いします」
 何もしなくていいと言われると余計に戸惑う。
 教会に住んでいる人間は休日を利用して家事やら買い物やらに忙しいのに、自分だけ何もしないのは気分が落ち着かなかった。

「それも、いけません。貴女様は大切なお客様です。お手を煩わせるなど」
 口元をむっと引き結んで、神父は取り合わなかった。
「私が望んでいても……ですか」

「困った言い方をしますね。では、そうですね。庭の方で薪割りをしていらっしゃるラノグさんに飲物を持って行って下さいませんか」
「勿論構いません」
 ミスリアは笑顔で請け負った。

 そうして、水差しとコップとスコーンの乗ったトレイを持って裏庭に向かうことになった。
 庭は広く、ずっと先まで見渡せばやがて庭から野原に変わり、そして緑が途絶える。あそこが聖地たる崖なのだろう。いずれゆっくりと見て回る必要があった。

 右へ進み、斧が木を打つ小気味良い音を辿って、ミスリアは探し人を見つけ出した。
 しかし彼は木の株に腰を下ろしていた。ミスリアに気付いて顔を上げ、明るく手を振って来る。

「聖女様! おはようございます。いいお天気ですね」
「おはようございますラノグさん。休憩中なら調度良かったです、お水とお菓子をどうぞ」
 ミスリアは薪割りを続行するもう一人の人物の姿に驚きながらも、まずは挨拶した。
 差し出されたトレイをラノグが受け取ると、ミスリアは水差しからコップへと透明の水を注いだ。

「有り難いです。いただきます」
 ラノグは夢中になってスコーンの山を一個ずつ崩し始めた。その間も、すぐ隣で薪が割られる音は続いた。
 しばらくしてミスリアは薪割りに没頭する長身の青年を振り返った。

 脱いだシャツを腰に巻いて、青年は傷跡だらけの褐色肌の上半身を日に晒していた。どれくらい作業をしていたのだろうか、黒髪から汗の粒が滴っている。
 苦笑しながら、ミスリアはラノグに小声で問うた。

「……ところで、どのように誘って彼の協力を得たのですか?」
「僕から誘ったワケでは無いですよ。ここで薪を割ってたら降ってきたんです。えーと、ちょうどあの辺りの樹の上から」
 ラノグは近くの大樹を指差して答えた。

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