21.d.
2013 / 03 / 13 ( Wed )
 聞き間違いだろうな、と考えてミスリアは首を傾げた。
 何せ、山の中で出会った日から今までを顧みても、彼は健康そうだった。足の速さや体力や腕っぷしの強さまで、むしろ並の人間より優れて見えた。

「そこ、クサヘビ」
「おお? ホントだ」
 ゲズゥの短い忠告を受けて、イトゥ=エンキは斜め後ろへ跳んだ。この身のこなしでは、なかなか幼少の頃に病弱だったと想像が付かない。

「嬢ちゃん、その顔は信じてねーな? 医者に何度も診断されたかんな。内臓が弱くてさ、成長期を乗り越えられたら健康な大人になれる可能性は充分あるって言われてたけど、それまでは一人じゃ生活できなかった」
 と、彼は陽気に続ける。

「そんな……」
「でもまぁ、楽しそうに世話してくれる家族がずっと居たし。不幸自慢はココじゃないぜ」
「ふ、不幸自慢?」
 一瞬調子を落としかけたミスリアの声音が、今度は語尾に向けて跳ね上がった。

「そ。そいつに負けないくらい悲惨な人生送ってきたから」
 イトゥ=エンキはわざとらしくウィンクを送った。
 それまで無口無表情を保っていたゲズゥが、応じるように横を振り向いた。二人は、数秒ほど無言で目を合わせる。

「……なるほど。笑い話にして、そうやって乗り越えていくのか、お前は」
 ゲズゥの声には感心に似た響きが混じっていた。
「さー?」
 意味深な笑みを残して、イトゥ=エンキは更に速度を上げて先を走った。 

 ミスリアたちは、それからは言葉を交わさなかった。

_______

(禍々しい……)
 巨大な松の木が乱れ入る光景に呆気に取られていたミスリアは、やがてその感想にたどり着いた。
 流石は曰くつきの樹海と形容されるだけあって、これまで通ってきた森とは何かが本質的に違う。そう思うのは五感で感じ取れる情報を通してではなく、霊的な直感からだ。心なしか寒気もする。

(本来、松ってもっと離れて生えているものじゃなかったかしら)
 目の前の木々は、互いに寄り添い合うように幹が傾いでいる物や、枝同士が絡まっている箇所が多い。

「イトゥ=エンキさん、よくこの中に入ろうと思えましたね……」
 苦笑交じりにそう言った。
「オレもそう思うぜ。山上から見えるけど、ここだけ瘴気に侵されてるみたいに色が濃いんだ。長い間眺めてるとなんか背筋がぞわっとする」
 彼は肩をすくめて見せた。

「……山脈を越えた先の町に、聖地とやらがあると言っていたな。この向こうか」
 ミスリアを下ろしながら、ゲズゥが訊ねた。彼の両目は樹海の先を見通そうとしているかのように細められていた。

「はい、よく覚えていますね。『岩壁の上の教会』の絵画では岩壁と川と教会だけが描かれているのがほとんどで、崖の上には教会しかないようにイメージされる方も多いそうですが、実際はすぐ近くに町があるはずです」

 自分の足で立つのが数日ぶりだからか、ミスリアは足元がふらついた。咄嗟にゲズゥの腕を掴んで支えにし、嫌がられるだろうかとすぐに不安を覚えた。しかしゲズゥを見上げても、彼は見守るだけで手を貸そうとも振りほどこうともしない。

(なら、別にいいのかな)
 少しずつバランス感覚を取り戻してから、ミスリアはゆっくり手を離した。

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