21.a.
2013 / 02 / 20 ( Wed ) 高い崖だった。 崖下には深くて流れの速い川が沿い、水は不思議と澄んでいた。 崖上は、まったく人の手が加わっていない伸び放題の草に覆われ――そのどこまでも広がる緑の中に、白い野花が混じっている。 野原の端に一人の女性が佇んでいた。胸の辺りまでもある長い草に包まれ、安らかに微笑んでいる。 彼女が野草の上に止まった大きなキリギリスに手を伸ばすと、虫は遠くへ逃げた。 一瞬残念そうな顔をしてから、女性はくすりと笑った。蜂蜜色の長い髪が風になびいた。それを押さえるように右手を髪に絡める。 「ヨンフェ=ジーディ! いるー?」 ふいに、誰か別の女性の呼ぶ声がした。 「私はここよ。どうしたの?」 蜂蜜色の髪の女性は振り返り、返事をした。 (……え?) 認識が急に広がった。 その瞬間に――ミスリア・ノイラートは、自分がまるで鳥の体に入っているかのように、大地を見下ろし一人の女性を眺めていた事を知った。 (どうして? これは夢……?) だとしても益々鮮明になっていく。野原の香りも、風に草が揺れる音も、二人の話し声も、妙に近く感じられた。 「もう! またここにいた」 後から来た女性が長い草をかき分けながら、ヨンフェ=ジーディに走り寄る。 「ごめん。だって落ち着くの」 遠くて顔がよく見えないのに、彼女の空気が憂いを帯びたのが何故かよくわかった。 「……まだ悩んでるの? 一人になりたかったのね」 「うん、でも気にしないで。元より『聖地』はあんまり近づいちゃいけないんだし、そろそろ戻るわ。何か用事あったんでしょ?」 「そう! そうなのよ、司祭さまが呼んでるわ。準備手伝って欲しいって――」 女性たちの話は尚も続いたが、ミスリアはそれ以上聞かなかった。 (もしかして、私……あの女の人じゃなくてこの場所に同調した……? 聖地だから?) もう一度よく周囲を見回そうとしたけれど、視界がぼやけ出して、できなかった。 (でも確かに崖の上だわ。司祭さまって言ったし、もしかすると後ろに教会があるんじゃ――) しかしそこで思考が途切れ、夢も解けた。 _______ 「ふーん、片手抱きにしたか。てか、お前左利きだったっけ?」 「逆だ。荷物は左に集中的に持って、利き手は空けておきたい」 「確かに利き手の方が何かあった時に咄嗟に使いやすいな」 二人の男性の会話が聴こえる。多分、イトゥ=エンキとゲズゥだ。 ミスリアの両目はまだ形を映さず、下手な絵画みたいに色がたくさん混ざり合って見える。 「ところでさー。お前、天下の大罪人とか言われてっけど。実際会ってみて――ああ、噂が一人歩きした奴の典型かなって思った」 「ある程度は、その通りだろうな」 「オレとしては一番気になるのは、どうやって二回も脱獄したんだってトコだけど」 ミスリアは二人の会話にただ耳を傾けた。身体が異様にだるくて動けない。 何だか揺れている感覚がする、まるで、誰かに運ばれているような。 「お前を捕まえたのってあの国際的な対犯罪組織だろ? 凶悪犯罪者の為だけに、鋼でできた鉄格子の牢獄を開発したって聞いたぜ。お前もそういうの入ったんだろ」 「機を見て看守から鍵を奪った。左目を使って」 「呪いの眼って、使えるモンだったんか」 「滅多に使わん」 「ちょっと羨ましいぜ、オレの紋様にも何か力があったらなー、ってたまに思う。どうやって使うんだ? 何で滅多に使わないんだ?」 「……そこまで説明する気は無い」 「ふむ。まあいっか」 声でしか判断できないけれど、二人はいつの間にか随分打ち解けているようだった。 |
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