20.b.
2013 / 01 / 19 ( Sat ) 自分が組み敷いている巨漢がいつ目覚めても問題ないように、ゲズゥはずっと身構えていた。 だが、砂利に血だまりが広がるだけで、奴はついに起き上がらなかった。 「……にじゅうろく! 勝者決定――」 その後にエンが何かを言ったとしても、それは誰の耳にも届かなかっただろう。 闘技場全体が熱気を帯び、ブーイングと歓声が嵐のように降ってきた。どっちの声がより多いのかは、正直わからない。 ゲズゥはとりあえず馬乗りの姿勢を解いて地面に座した。視線を落とせば、腹からの出血が増えていた。動いたのだから当然だ。シャツの袖を破いて、斧が深く刺さっている患部回りを押さえるように巻いた。 そこへ、ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべるエンがやってきた。その顔は一瞬で険しくなった。 「傷、なかなかヤバそうだな。医療に詳しい奴呼んでやろうか? 来客の中にも何人か居るだろうし」 エンは自分の背後のスタンドの方を親指で指した。 「いや、いい」 慣れない足取りで手すりを飛び越える小さな人影を目の端で捉え、ゲズゥは頭を振った。「それには及ばない」 「そうか? 何か当てがあるんか」 そんなようなものだ、とゲズゥは心の中で答えた。人影が何とか無事に着地し、こちらへ向かって走って来るのが見えた。 ――そうだ、ミスリアの身分が聖女であることをこの男に明かすべきか、まだ隠して置くべきか……。 ゲズゥは無意識に頭を押さえた。どうにも考えがまとまらない。出血が多すぎたのだ、まるで脳味噌が溶けているみたいな感覚だ。実際に頭を殴られたわけだが、多分、倒れた時にもう一度打っている。 「おい、ホントに大丈夫か?」 「……お前は自分たちの頭領の心配はしないのか」 「別にこんくらいじゃあ死なねーだろ。知ってたか? 頭はもう十年以上負け知らずだったんだよ。お前やっぱスゲーな」 けろっと答え、また、エンはどうしようもなく嬉しそうな表情に戻りかけている。子供っぽい無邪気な笑顔の裏に、個人的な恨みのようなものが見え隠れした。 「ネックレスか。開始時に身に着けていたものなら何でも武器にしていい、ってルールにぴったりな決着だったな」 エンは頭を少し傾け、頭領の目に刺さっている小物に視線をやった。十字に似た形の銀細工のペンダントと、それについている細いチェーンを。 その時、何か返事をしようと口を開いたゲズゥの顔に、温かいものが衝突してきた。次いで視界の右半分が緑色になり、残った視界の中で、エンが目を丸くしたのが見えた。 何が起きたのかわからずに、呆気に取られた。 「よ、かった……!」 息も切れ切れに、少女の声と熱い吐息が頭に降りかかった。 驚きで忘れかけていた痛みが戻ると、ゲズゥは自分がミスリアに抱き着かれたのだと理解した。 「ひっく……死んだ、かと……思っ……」 加えて、しゃくり上げるような声が聴こえる気がする。 「…………確かに、俺も死んだとは思ったが」 どこか気の抜けた言葉が、口をついて転げ出た。 そこでミスリアは手を放し、半歩下がった。ゲズゥは新たな驚きを覚えることになった。 少女のくしゃくしゃに歪んだ顔に幾筋もの涙の跡があった。多分、鼻水の跡も。 しかし不思議とそれは醜く感じられず、むしろ美しい――? というより、嬉しい? ような、奇妙な感想が沸いた。 そういえば以前、攫われた聖人を助けに行った時も、ミスリアは無事に再会できたあの男に泣いて抱き着いていたが、まさかそれが自分にも向けられる日が来るとは思わなかった。 そうだ、誰かが心配して涙してくれることが、嬉しい。 何年も前に置き忘れていた感情の欠片を、ふいに取り戻した気がした。 「……助かった。礼を言う」 この少女には既に幾度となく救われているため、どこか今更な気もしたが、ゲズゥは感謝の言葉を述べた。 ミスリアは頷いてゲズゥの肩にそっと片手を置いた。温かい、と思った次の瞬間、体中を駆け巡る感覚に気付いた。 誰にもわからないように聖気を流し込まれている。晴天であるのも好都合で、太陽光に紛れてミスリアの発する金色の光は目立たなかった。 ついでに、ゲズゥは腹に刺さったままの異物を慎重に抜いた。 |
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