18.h.
2012 / 12 / 10 ( Mon )
 最後に会った四年前と比べてゲズゥ・スディルが強くなっているのは想像が付く。そして近い未来にあの人と衝突するのも目に見えている。
 くすりと笑いが漏れた。何事かと隣の巨漢がこちらを見遣るも、ヴィーナはただ微笑んで誤魔化した。

(細マッチョと正統派マッチョの対決、ね。見ものだわ)
 ヴィーナにこれといった筋肉愛好の趣向は無いが、男は強いに越したことは無い。権力者に寄り添うことが、彼女の何よりの楽しみだった。
 雄というのは競い合っていないと落ち着かない生き物。ならば雌は、頂点に立つ者を選ぶことに意義がある――。

(さて、あの子は何をするつもりなのかしら?)
 わくわくと心が躍る。ヴィーナは赤ワインを飲み干した。
 もう一人、揺れ動く人影を目の端に捉えた。ゲズゥほどではないにしろ背が高くて程よい筋肉体質。山賊団の中で実力も器も並み以上でありながら、なるべく目立ちたがらない稀有な男。

(イトゥ=エンキ……あの人と何かただならぬ因縁がありそうだけど、上手に隠しているものね)
 親子のような関係だと他の団員は言っていたが、果たしてそんな単純な話で済むのか、ヴィーナは密かに疑問を抱き続けている。
(きっともっと泥臭くて血生臭いんでしょう)
 ここで彼が何をするつもりなのか、それもまた興味深い。

 その時、鞭を持つ手がまたもや振り上げられた。それに釣られて観衆が歓声を上げる。
 ヒュン、と空が切られる音。
 しかしそれに続いたのは鞭が人の肌を打つ小気味いい音ではなく、何かを弾き飛ばしたような、奇妙な音だった。時を同じくして、拷問を受ける男の前に誰かが立ち塞がっている。

 弾かれたのはおそらくゲズゥが手にしていた煙管。
 的を外して空振った鞭が力なく垂れている。それを持っている男は頭が弱いのだろう、状況が飲み込めていなくて口を開けて呆けている。
 虚ろな目の貴族の五男坊は、数瞬遅れて事態を飲み込めた。何もかもに諦めていたように項垂れていただけの彼が、身をよじり出した。両手両足を縛られているのでミミズが這うようだ。

「た、すけてくださ、い」
「……何だ! 邪魔すんな!」
 我に返り激昂する執行役の男を、ゲズゥは無言で蹴倒した。

「たすけ、たすけてくれるんですか」
 被害者はこの上なく見苦しくゲズゥの膝裏に頬を擦り付けて縋り付いている。ワインが不味くなりそうな気がして、ヴィーナはグラスを置いた。
「…………」
 答えないことが、彼の答え。

 早速面白くなってきた。ヴィーナは長い髪を首の後ろに払い、周りの反応を待った。
 こんな大勢の見てる前で大胆に「余興」に邪魔立てするからにはあの人も黙っちゃいないだろう。

「ほ、う。いい度胸だ」
 案の定だ。巨体が、怒気を漂わせながら仁王立ちになる。
「客だからって付け上がるのは許せねぇな。てめぇらの命なんざ儂の手のひらの上だ」
 磨かれた戦斧がギラリと光った。

「だが一応理由は聞いてやろう」
「……が、そう望んだから」
 問われて彼は淡々と答えた。主語が抜けていてもこの場合は関係なかった。

(その感情に形など無くても、特別なのは確かなのね)
 右手に頬杖付いて、ヴィーナは離れた位置に居るはずの少女の姿を探した。怯えて隠れているのかと思ったが、その予想は外れていた。

 派手なひらひらドレスに身を纏ったまま、彼女は真っ直ぐ姿勢を正して、笑っていた。優しく、優雅に、余裕を含んだ笑みが、実に興味を惹くものであった。
 他にも振り返っては驚き、唖然とする人間が多く居る。

(聖女様はただの役職名だけではないということね)
 つまりはカリスマ性のようなものを発揮できるのかもしれない。
 現に、他の団員はまだ彼女の正体に気付いていないだけに当惑気味だ。魅了されていると言ってもいい。

「ほほう、従順でカワイイな」
 ゲズゥはそれに対して声に出して何も言わなかったが、彼を知るヴィーナにはその心の声が聴こえた気がした。
 ――そう見えるなら、そうなんだろう。

 ゲズゥ・スディルにとって他人の評価など何の意味も持たない物。他人の顔色を窺いながら生きるのが愚かだと思っているから――。

 斧が回転しながら宙を舞った。
 中距離からの投擲だとゲズゥなら避けるのは容易い。ただし人の密集しているこの広場では、彼が避ければ他の人に当たるのは必然だ。

(どうするかしら)

 長い一瞬が過ぎ去った。
 そして彼が素早く動いたかと思えば、次いで大きな衝撃音が響いた。

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