11.c.
2012 / 04 / 04 ( Wed )
(あの人……!)
 見覚えがある上に、カイルが「気をつけたほうがいい」と警告したばかりである。
 
「しかし今はラサヴァの件が先です。彼らに構っている余裕はありません」
 神父アーヴォスが低く言うと、女騎士シューリマ・セェレテは高笑いをした。何故か耳障りな音だった。
「貴様に言われるまでもない。もう夜だ、行くぞ」
 それに対する神父アーヴォスの返事は、木の葉のさざめきによってかき消された。
 
 二人は大股で歩み去っていった。その後姿が見えなくなった頃にようやく、口元が解放された。
 背中に当たる硬い胸板も大変気になるけど、今離れようなどと暴れたら確実に落下する。すぐ後ろの彼と違って、ミスリアにこの高さから落ちて無傷で着地するほどの運動能力は備わっていない。
 
(ラサヴァって確か、湖を囲った町の名前……)
 疫病が流行り出したと懸念されている町。それの改善のために神父アーヴォスたちが向かっているのだろうか?
 どうしても、しっくり来ない。たった今交わされた会話からは、もっと邪(よこしま)な気を感じたからである。
 
 ため息をついた次の瞬間、視界がまた流れた。悲鳴を上げる暇もない。
 ゲズゥはミスリアを抱えて難なく地に足を着けた。
 
「やめておけ」
 彼はミスリアを地に下ろした。
「何をですか?」 
 息を整えてから、ミスリアは訊き返した。
 
「心身が限界の時に思考は働かない。今やるべきは、食って寝ることだけだ」
 ゲズゥはズボンについた葉っぱなどを払い、踵を返した。
「……その通りですね」
 はっきりとそう言われれば、合意せざるを得ない。
 
 心身の疲れを言うならむしろゲズゥの方が今日はヒドイ目に遭っている。当然、顔に出さないだけで、内心がどう乱れているのかは他人にはわからない。
 それでも相変わらず理詰めの言葉には、どこまでも合理的な性格が表れている。こんな人間が居ることにいっそ感心する。自分も、しっかりしなければ。
 
「お夕飯は何か食べたいものありますか?」
 二人は教会に入る。
「リス」
「そ、そんな食材無かったと思います」
「狩ってくる」
 
「また今度そうしてください。今日は別の何かにしましょう……」
 ミスリアは逃亡していた道中をも思い返し、食物のほとんどを自ら育てるのが主流である昨今で、もしかしたら彼は狩りに慣れた側の人間なのかもしれないと思った。
 
_______
 
 二日過ぎても、カイルが帰って来なかった。
 神父アーヴォスは別として、買出しに行っただけのはずのカイルがこうも音沙汰ないのは異常である。
 気を紛らわせようとして、ミスリアは朝早くに庭の花に水を撒いていた。
 
(胸騒ぎがする。ラサヴァで一体、何が起きているというの?)
 関与しないほうがいいとわかっていながらも、友人の身が危険にさらされているなら、放ってはおけない。お世話になりっぱなしで、恩の一つも返せていない。
 
 カラン。
 鉄ジョウロがレンガの上に落ちた。知らず震えていた手から、滑ったらしい。
 拾おうとしてかがんだら、背後に佇むゲズゥの姿を見つけた。この頃よく身に着けている水色のシャツと灰色のズボンという質素な格好で、壁に寄りかかっている。櫛もまだ通されていないであろう黒髪には、寝癖らしきあともある。
 
 ミスリアはジョウロを手にして立ち上がった。ゲズゥの視線を感じたので、目を合わせた。
 
「どうすればいいんでしょうか? 隣町に行くべきですか? 忘れて先へ進むべきですか?」
 答えを求めてではなく、気持ちを整理するために彼女は問いを口にした。
 ゲズゥは二度、瞬いた。黒い右目と、白地に金色の斑点のついた左目が、じっと見つめ返してくる。
 
「――お前が決めろ。それに従う」
 返ってきたのは問いの解答ではなく、気持ちの整理を更に促す言葉だった。
 俯き、唇を強く引き結んで、ミスリアは再び顔を上げた。
 
「カイルを探しに行きます」
 それが答えだった。ゲズゥは腕を組み、頷いた。
 
「策は」
「え? あ、ありませんけど……」
「あの聖人なら、先回りして手がかりを残すくらいしたんじゃないか」
「先回り……自分の身に危険が及ぶと予測して、ですか?」
 彼ならありえそうな話ではある。

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