11.a.
2012 / 03 / 29 ( Thu )
 ナイトテーブルの時計を見上げたら意外に遅い時刻であることを知った。読みかけの本にしおりを挟み、分厚いその本をベッドスタンドの引き出しの中へとしまう。蝋燭の火を吹き消し、少年が毛布の中へ潜り込んだ、ちょうどその時。
 
 寝室の戸がノックされた。
 どうぞ、と返事を返す前に、戸がキィっと音を立てて開けられた。この家の中でそんな真似をする人物は限られている。
 
「お兄ちゃん、起きてる?」
 戸の後ろから十歳の少女が姿を現した。
「今寝るとこだったよ。どうしたの、リィラ」
 部屋の窓は大きな縦長の長方形であり、満月の夜だからか部屋の中は明るい。月光に照らされ、自分にどことなく似た妹の顔がよく見える。琥珀色の双眸が潤んでいた。
 
「あのね、そっち行ってもいい?」
 大きな枕と兎のぬいぐるみを両腕に抱き、リィラはしおらしい様子で訊ねる。何を言わんとしているのか、兄にはすぐにわかった。
「いいけど、もしかしてまた一緒に寝ようって言うの」
 呆れつつも、彼は優しい声で請け負った。
 
「だって」
 妹は頭を何度か横に振った。おかっぱ頭に切り揃えられた蜂蜜色の髪が、サラサラと揺れる。
「パパとママもいなくて、怖いの」
 
 まだ誰かに甘えていなければならない年頃の少女は、不安そうに抗議した。それに対して、少年は手を差し伸べた。おいで、と小さく声をかける。
 妹は小走りで駆け寄ってきた。桃色の子供用ナイトガウンがふわふわ翻る。
 
「大丈夫だよ。僕がいるし、父上も母上もお仕事が忙しいから、あんまり帰って来れないけど。僕らのこといつも心配してくれているよ」
 毛布の中に潜り込んだ妹をそっと抱き寄せ、安心させるように彼は言った。
 
「ほんと?」
「ほんと。リィラの一番怖いモノと戦う、大事なお仕事だからね」
「うん。そうだね。ありがと、お兄ちゃん」
 リィラは、自分と兄との間に挟まれていた兎のぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。
 
(まったく甘えん坊だな……もうすぐ僕は教団に入るってのに、こんなんで大丈夫かな……)
 そうなれば母は今よりももっと家に居てくれる予定なので、まぁ大丈夫だろう、と少年は自分で自分に言い聞かせた。
 
「ねぇお兄ちゃん、いつか魔物のいない世界になるかなぁ」
「……魔物の居ない世界ね……今はわからないけど、きっといつかはね」
 それを手に入れるのがどれほど大変なことなのか、まだ修道士になってもいない少年には把握できない。根拠の無い話だとしても、リィラのためなら気休めを言っても構わなかった。
 
 その後、妹はものの数秒で眠りについた。
 
_______
 
 あれから幾月も過ぎた頃。
 ヴィールヴ=ハイス教団付属の修道院の一角の回廊にて、同期の修道士見習いたちと談笑していた時に、少年はその報を聞いた。それは、嫌味なくらいに晴れ渡った日のことだった。
 
「大変だ! とにかく大変なんだよ!」
 別の同期生が、青ざめながらバタバタとけたたましく近づいてくる。他の誰でもなく少年の前で足を止め、膝に手をついて息を整えている。
 何事かと思って少年は言葉を待った。が、同期の口が語ったのは少年の想像を絶する恐ろしい訃報だった。
 
「君のお母さんと妹さんが、先日魔物に――」
 
 殺された。
 
 あまりに残酷な単語の組み合わせを耳にして、当時の少年は全身を固まらせ長い間身動き一つ取らなかったと、大分後になってから誰かから伝え聞くことになる。
 
_______
 
 ――ぴちょん。
 まるきりの暗闇の中で目を覚ました。懐かしい夢を見たのが、斬新に残っている。
 
 ――ぴちょん。ぴちょん。
 何処かから水音がする。同時に、夢の余韻が消えうせる。頭や感覚が段々はっきりしてきた。
 さるぐつわを口に押し込まれ、両手両足首を拘束され、青年は椅子に座した姿勢のまま縛りつけられている。いつからこうなのかはわからないが、とにかく全身が軋みをあげているので決して短い間ではないだろう。他にも何かされているとしても、暗くて見えないのでわからない。
 
 此処が何処であるかはまだ判然としない。
 青年はそういった現実的な思考よりも、夢の中で視た記憶を思い起こすことを選んだ。もう一度夢の世界に降り立とうと試しに目を閉じたが、急な痛みによって意識が冴えた。どうやら、至る所を殴られたり蹴られたりしていたようである。
 
(リィラ……君の望んだ魔物の居ない世界は……まだ……)
 痛みに耐えながら、彼は記憶の中の亡き妹に呼びかけた。

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