四 - c.
2017 / 04 / 12 ( Wed )
 リスをのせた掌が、幼児の顔に寄せられた。
 アダレムは一瞬の逡巡を見せたが、すぐに毛並への欲求に屈して手を伸ばした。おそるおそる、頭から撫でている。彼が「ふわあ! ほんとにもふもふです!」などと感心している間、セリカは小声で問う。

「何をしたらそんなに仲良くなれたの」
「別に何もしていない。数日前だったか、私がベンチに横になって昼寝をしている間に、そいつに足蹴に……景色の一部と認識したかはわからんが、乗っかられた。驚かさないように動かないでやったんだが、その日以来、慣れられた」

「へえ」
 セリカは詳細にその時の光景を思い描いてみた。人気のない庭園で無造作にベンチの上に横たわる若き公子。昼寝を邪魔する小さな生き物。
 せっかくの仮眠を邪魔されていながらも、青年は黙って微動だにせず、小動物の為に我慢する。
 するとセリカは自分の想像を通してあることを発見する。それは、現在の状況と合致するように思われた。

(あら……優しい、のね)
 つい昨夜、魔物から救われた顛末を思えば、驚くほどのことでもないはずだ。驚きはしないが、ではこの感情が何なのかと訊かれても、答えを持ち合わせていない。
「あっ! おひめのおねえさまも、さわってみますか!」
 と、濃い茶色の双眸をキラキラさせるアダレム公子。そうね、とセリカは手を伸ばす。

 当たり前ながら、かくして指先が触れたものの手触りは毛皮製品と似て非なるものだった。血の通った生き物を覆う毛は――暖かい。
 こちらが何やら得した気分になってしまっている間、当のリスは頬袋を落花生で一杯にする。つぶらな瞳がチラチラと見上げてきた。破壊的な可愛さである。

「そうだわ、エラン。朝食まだなら一緒に食べる?」
 微笑ましい光景に目線を落としたまま、なんとなくセリカはそう切り出していた。
「せっかく誘ってもらっておいて悪いが。先約がある」
「あ、そうなの。ならいいわ」
 間を置かずに戻ってきた返事に更に返事をする。一拍後、意識せず落胆が声に滲み出ていたことに気付いた。
 気まずさを覚えて、そっと目を伏せる。こんな思いをするくらいなら訊かなければよかった――

「昼も予定がある。夕食でよければ、空けておくが」
「へ? あ、うん。夕食ね、わかったわ」
 断られた後の続きがあるなんて思ってもいなかったので、面食らう。とりあえず目を合わせずに承諾した。
(……あれ、あたしってば今、わざわざ何の約束を取り付けたの)

 しかしその時、庭園にまたしても新しい来訪者が現れたため、思考は遮られた。リスが今度こそどこぞへと逃げ去ったが、代わりに文官らしき男性が歩み寄ってくる。
 セリカは反射的に一礼して顔を伏せた。それを受けて、文官は短い挨拶を口にした後、エラン公子に話しかけた。どうやら用はそちらにあるらしい。

「エランディーク公子、お時間よろしいでしょうか。所領について幾つかお聞きしたい事柄がございます」
「ああ、歩きながらでいいか。待ち合わせに遅れるとアレがうるさい」
「承知いたしました」
 二人分の足音が響く。その間、顔を上げずに大人しく待った、が。

「セリカ」
 急に呼ばれて、心臓がドキリと大きく跳ねる。
「はい」
 動揺を押し隠して応答した。
「また後で」
「……はい」

 足音が完全に遠ざかるのを待ってから、止めていた息を吐き出す。
 ――むずがゆい。
 別になんてことはないのに。誰かと食事をするのも、その約束を前もってするのも、当たり前の日常だ。なのに、この奇妙な高鳴りは一体なんだと言うのか。
 考えるのが段々と面倒になり、セリカは別のことに強引に意識を向けた。

「アダレム公子は、エランが苦手なの?」
 傍らの男児に微笑みかける。ところが「苦手」の意味がわからないのか、アダレムは目をぱちくりさせるだけで答えない。
「えっと。怖い、のかしら」
 言い換えると、アダレムはびくりと身じろぎをした。

「こわい……です」
「そうだったのね。具体的には、じゃない、エランのなにが怖いのかしら」
「なにが? なに?」
 幼児が頭を抱えて深刻そうに唸る。数分経っても、思い当たる節がないようだった。
 これはもしかしたら、理由なんて無いのかしれない。

 ――お前は初対面の人間に叫ばれたことがあるか。顔を見せただけで子供に泣かれたことは?

(まさかね)
 こちらの邪推をよそに、幼児はしばらくして顔を上げる。
「えらんあにうえは、いつもとおくを、みています。いっしょじゃない……かんじが、こわい、です」
 たどたどしい口調で彼はそう答えた。

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