17.c.
2012 / 10 / 25 ( Thu ) 魔物を前にした彼女は恐怖心を制御し、むしろ闘志を沸き起こしたり、魔物へ憐憫の情を見せたりしていた。逆に人間の敵が相手だと、途方に暮れていたように思える。
――また一つ、この少女について発見をしたかもしれない。 「この通り、ペンダントは諦めた方が良さそうだな。まあ、後始末はちゃんとしとけよ。そんでとりあえずオレらは出ようぜ」 模様の男は最初の言葉はベッドの上の男女に向け、最後はゲズゥたちに向けて言った。手首を振り、「ついて来い」と示している。 断る理由も無いのでゲズゥは言われたままに部屋を出た。数秒後、俯き加減なミスリアも出てきた。首にペンダントを付け直している。 模様の男が振り返った。 「手伝ってもらって悪いな。……で、お前は何で裸なんだ」 苦笑いを浮かべて、男はゲズゥに訊ねた。 言われて、ゲズゥは己を見下ろした。 先ほどかぶった魔物の血を除けば、身を隠している物が何一つ無い。だからと言って自分では何とも思わないが、今更気付いたのか、隣のミスリアがあからさまに目を逸らした。 「慌てて飛び出すからよ」 通路の奥から声がした。それに応じて模様の男が壁に寄り、背後から現れたアズリを通す。 「服、持ってきたんだけど。先に体洗った方がいいんじゃない?」 ゲズゥはただ差し出された衣類を受け取った。尤もな提案だが、いい加減に眠い時間なので風呂は遠慮する。服が汚れるのも構わずに着直した。 すぐ傍で、袖の長い、半透明の薄いガウンだけを纏った姿のアズリが昔と変わらない笑顔を浮かべている。 「姐さん、流石に遊びが過ぎませんか」 模様の男は不快そうに顔を歪めた。アズリがゲズゥの服を持っていた点と、二人が発する微かな酒の匂いから何かしら察したのだろう。 「イトゥ=エンキ、あの人は私のすることにいちいち口出したりしないわよ」 「どーでしょーかね。頭はああ見えて嫉妬深いでしょ」 「以後、気を付けるわ」 模様の男の指摘に、アズリは曖昧に笑った。下ろしたままの髪を指先で弄んでいる。 「魔物退治、お疲れさま」 じゃあおやすみ、と言ってアズリはくるりと踵を返した。 残り香が鼻孔をくすぐる。 ――この女の上辺だけに騙される男が一体如何ほど居るのだろう、とたまに思いを馳せることがある。 アズリの気遣いは総て形だけで、深みが無い。人を立てる言葉や行動を重ねていても、実際は何もかも己の為にやっていることだ。 或いは男はその事実に気付いても、女の色香を求め、それに酔いたいのか。かつての自分を思い返して、ゲズゥは複雑な心持になった。 模様の男が、短くため息を付いた。こいつもこいつで複雑そうである。 「ったく、しょうがねーヒトだな……」 同感であるが、ゲズゥは相槌を打たなかった。 「空いた部屋まで案内するぜ」 そう言って歩き出した男に、ゲズゥとミスリアは無言でついて行った。 しばらくの間、誰も何も言わないまま、入り組んだ通路を曲がり曲がった。不自然な程に誰ともすれ違わないのは、この男の計らいだろうか。 「なあ」 ふいに、先を歩く模様の男が、決して大きくない声を出した。 「そのペンダントの形……ヴィールヴ=ハイス教団と、聖獣信仰の象徴だろ。嬢ちゃん実は聖職者か?」 男は立ち止まった。ポケットに両手を突っ込んだ状態で、振り返る。 自ら答える気は無いのか、ミスリアはサッとゲズゥの背後に隠れた。 仕方なく、背に隠れた少女に代わって、ゲズゥが男と睨み合った。濃い紫色の瞳だった。 「別に変な真似はしねーよ。ただ訊きたい事があるだけだ。交換条件とでも思えばいいだろ」 模様の男の表情は真剣そのものだった。 「……どういう意味だ」 ミスリアは未だにゲズゥの後ろから出て来ない。 「オレは見てたんだよ。さっき嬢ちゃんがペンダントを取り返して、途端に体が光って、そのすぐ後に魔物が現れたんだ」 男は声を低くした。 その言葉に、ゲズゥは目を細めた。ミスリアの体が光るのは別段珍しくも何とも無い話だが、そうした直後に魔物が現れると言う現象は、知らない。 「こう、矢みたいにまっすぐな光が上に伸びて。どういう魔術だかしんねーけど、嬢ちゃんが魔物を呼んだんじゃねーの」 模様の男は人差し指を立て、天井へ向けて垂直に伸ばした。 |
また忘れた_orz
2012 / 10 / 24 ( Wed ) |
拍手御礼ログ 06~10
2012 / 10 / 22 ( Mon ) はやいところもう11月もすぐそこですね。
ドウイウコトナノ/(^O^)\ あれ? もうすぐこのブログも一周年じゃね? 一周年になる時期が私の仕事の契約が終わるのと同時期ですねぇ。 何か用意できるかしら。いや、何を? <毎度のことだが 2000HIT記念達成からしばらく経っていますがー ちゃんと何かするよ…多分…! 続きから拍手御礼ログ。 |
17.b.
2012 / 10 / 19 ( Fri ) 一人取り残されたアズリは髪をかき上げながら笑った。
寝台の上で脚を組み替える。 「女を焦らすなんてひどいわね。でも、今のアンタの方が昔よりもずっと、ずっと面白いわ」 悪戯を企む子供のように、彼女は唇の両端を吊り上げた。 _______ 自覚が無かった訳ではない。 己の内に芽生えつつある望みを認めたくないだけで、だからこそいつもそれを頭の片隅に追いやっているのだ。 大蛇の姿をした魔物の上顎と下顎を素手で掴んで引き裂きながら、ゲズゥはそんなことを思った。 瞬間、何故か大量の血液が噴き出したため顔を逸らしたが、遅かった。髪から足の指まで、全身にたっぷりと紫黒色の液体がかかる。泥っぽいぬるま湯をかぶっているような不快感を覚えた。 ゲズゥは瞼の回りを擦った。 一度腹から息を吐いて、雑念を振り払う。 右に一匹、前方にもう二匹――二体? 左前には人間が居るようだが、気を配ってやる義理は無いので放置している。 前方の魔物たちは生き物というよりただのでこぼことした塊でしかない。素手ではやりづらい予感がするので、ゲズゥは右の芋虫に似た個体を先に片付けることにした。 壁を伝い走って勢いを付け、頭に該当するであろう部分を思いっきり蹴り飛ばした。芋虫が倒れる間に、壁にかかっていた松明を手に取った。 蠢く巨体に松明の火をつけると、次第に芋虫は燃え上がった。腐った肉が焼き上がるような臭いに、ゲズゥは鼻を手の甲で覆った。 「うわあ!」 塊に襲われているらしい一組の男女が隅に縮こまっていた。そういえば此処は誰かの寝室に当たるらしい。 ゲズゥの視線は二人と二体の上を通り過ぎ、手前に座り込んでいる少女の横顔に止まった。 「ミスリア」 特に何も考えずに少女の名を呼んでみる。 肩を震わせ、呼ばれたミスリアはゆっくりとこちらを向いた。 少女の大きな茶色い瞳は先ずは驚きと怯えに見開かれ、次には安堵の色を映し出していた。 おそらくは、この血塗れの姿に驚いていたのだろう。 しかしゲズゥは、確かに見たのだった。 振り向く直前のミスリアは恐怖を表情に浮かべ、今の今までゲズゥの存在に気付かない程に恐怖の対象を見つめていた。 視線の先に居たのは、魔物ではなく、あの二人の人間だ。 どう見ても恐れるに足る人間には見えないが、ゲズゥが到着する以前に何かがあったかもしれないので、一概には言えない。 ――さて残された魔物をどうしようか――と考えていたら、誰かが後ろから飛び出し、直刀で塊たちを素早く切り刻んだ。 ぼとっ、ぼとっ、と小さくなった黒い塊が散り散りになる。案外、呆気ないものだ。 急に現れたその人物に誰もが驚愕する中、ゲズゥは一人感心していた。 何故ならその男はいきなり現れたのではなく、巧みに気配を消して影の中に立っていたからだ。 「アニキ! すいませんっ」 すかさず男の方が立ち上がり、謝罪した。 「別にいいぜ」 遅れて現れた男はけろりと謝罪を流し、刀を収めた。すぐに助けに入らなかったことに微塵も後ろめたさを表していない。 ゲズゥにもそれが誰なのかすぐにわかった。勿論、名前は覚えていないが。 左頬に黒い墨で描いたような複雑な模様。頬骨から顎下まで続くそれは、パッと見た印象では文字が絡んでいるようで、同時に絵のようでもある。 顔の模様があまりに目立つためか、男の他の特徴はなかなか記憶に残らない。 「で、何か揉めてたん? 魔物云々の前にも騒いでんの聴こえたぜ」 模様の男はミスリアとベッドの上の下着姿の男女を見比べ、訊ねた。 「え、そこの小娘が盗んだ物返せーって」 「ふーん。何盗んだんだ」 「こいつが、風呂ん時に、水晶の付いた銀ペンダントを……」 男は自分に寄り添う女を指差して言った。 「な、何よ。客人だとか言ったってこれくらい、盗られる方が悪いでしょ!?」 「それは別に否定しないけどさ」 模様の男がやる気無さそうに頷いている。 「嬢ちゃん、大丈夫?」 同じやる気の無さそうな声色で、模様の男が問いかけた。一歩、ミスリアに歩み寄る。 「……っ」 ミスリアは体を強張らせ、両手を固く握り合わせた。その間に恐らくあの銀細工のペンダントがあるのだろう。 こちらが目を瞠るほどに怯えている。 確かにぬくぬくと安全な場所で育った人間ならば、賊を怖いと感じるのは当然かもしれない。しかしそれにしてもこの怯えようはおかしい。 思えばミスリアは最初から、魔物などよりも人間を怖がっていたのではないか――ふと、そんな考えが脳裏を過ぎった。 |
魔物特性メモ
2012 / 10 / 18 ( Thu )
多分そのうち用語集とか作ります(でもネタバレしない程度…)
言語を繰る能力を持たない。
太陽の光に触れると霧散するが夜になれば再構築される。 |
17.a.
2012 / 10 / 14 ( Sun ) **注意喚起?**
えーと、15…18禁? 線引きがよくわかりませんが。 なんかアレな感じなので心してお読みください/(^O^)\ _______ 暗闇の中で、蝋燭が一本だけ点されていた。ひんやりとした湿った空気の中、そこの周りだけ暖かく乾いている。 そして寝台の上の男女を取り巻く空気には、未だ冷めない熱が残っていた。 一糸纏わぬ女が伸びをすると、弾みで形のいい乳房が揺れた。 女は寝台の横に置いてあった杯に手を伸ばし、ラム酒を喉に流し込む。二口ほど飲み込んでから、自分の下敷きになっている若い男をじっくり眺めた。 「……何だ? アズリ」 怪訝そうに、青年は低い声で呟いた。彼もまた一糸纏わぬ姿である。この暗がりでも、その肌色の濃さがわかる。 アズリと呼ばれた女は微笑んだ。 今はヴィーナキラトラを名乗っているが、そのどちらも、彼女の生まれた時に与えられた名では無い。そんな物なら、とうの昔に失っている。 アズリは杯を置いてから青年の腹筋の上で頬杖ついた。彼女の下ろされた長い髪がくすぐったいのか、彼は僅かに身じろぎした。 「そうねぇ。色々と、訊きたいことはあるけどね。どれも純粋な好奇心からだから、答えたかったらでいいわよ」 「……」 青年――ゲズゥ・スディルは無表情のまま答えない。昔からそういう性格だったのはわかっているので、アズリは特に気にしない。 「たとえば……」 言いながら、アズリはゲズゥの右手首を引き寄せた。 「ココ、どうしたのよ」 手首の内側、そのすぐ下から肘へ向けて数インチを、白い指でなぞった。 「何が」 「それはとぼけてるの?」 くすりと笑って、アズリは自分の右手首を返して見せた。 そこには、一輪の淡く青い花の刺青が彫られている。 「アンタもあったでしょう、同じ場所に」 「…………削ぎ落とした」 当たり前のことのように彼は短く答えた。 「あら。わざわざ痛いことするのね」 アズリがそう言うと、ゲズゥは合わせていた目線を外した。 (何かに属している、所有されているみたいなカンジが嫌だったのかしら) 理由に思い至ったアズリは一人納得して頷いた。 ゲズゥの頬を片手で捉えて無理やり視線を絡み合わせ、アズリはシーツの下で腕を立てた。 「アンタがあんな子を連れ回してるなんて、意外だわ」 「どっちかと言うと、連れ回されてるのは俺の方だがな」 黒い右目と白地に金色の斑点のついた左目が、至近距離のアズリの顔を映している。正確には、左目の猫の目のような瞳孔と色素の薄い瞳では何も映し出せないが。 「余計にありえない。アンタは、間違っても人に従うタイプじゃなかったもの」 アズリの長い髪がするりと耳の後ろから滑り落ちて、ゲズゥの顔にかかる。 「命を助ける見返りに守って欲しいと、取引を持ちかけられたから乗っただけだ」 「本当にそれだけ? アンタがあの子にくっついてるのって、何かを『与えて』もらっているから……それとも何かに期待しているからでしょう。それが何なのか、興味あるわね」 こつん、と額を合わせたら、アズリよりも十近く年下の青年は、眉をひそめた。 (そういう拗ねた顔、懐かしいわ) 十五歳の少年だった彼の記憶が蘇る。半年に一度くらいしか笑わなそうなゲズゥでも、不機嫌な表情なら良く見せたものだった。 「自覚ナシだった? ねぇ、あんな女の子に何を期待してるの」 「煩い」 そう言ってゲズゥは起き上がり、体勢を入れ替えた。組み敷かれたアズリはくすくすと笑う。 「ところでアンタ、公開処刑にかけられたってね。大陸は広くても人の噂は繋がっているから、それが取りやめられた理由も聞いているわ」 逞しい肩に腕を回しながら、アズリはお喋りを続けた。 「あんな子が例の聖女だったのね。幼くて驚いたわ」 無表情に戻ったゲズゥは返事をせず、無言でアズリの太ももに手をかけ、その細い腰を抱き寄せた。 「……ん」 再び重なり合う熱の感触。思わず声が漏れる。 「ああ――」 突き上げる快楽に、何の話をしていたのかも忘れかけた。 もうすぐ絶頂に昇りつめるという時に、何の前触れも無く。 女の悲鳴が遠くから響いた。 洞窟であるだけに、よくこだまする。 「魔物でも出たかしら、珍しい」 アズリはそのように囁いた。 二度目の悲鳴は、最初のよりも音量は小さく、短かった。 その音に、今度はゲズゥが動きを止めた。 「どうしたの? 魔物くらい、他の人に任せれば大丈夫よ」 「――今の声」 彼はどうやら聞く耳を持つ気が無いらしい。寝台に起き上がり、何かを探すように辺りを見回している。 目当ての物が見つからなかったのか、一度舌打ちをしてから、ゲズゥは立ち上がった。 アズリが他に何か声をかけるよりも早く、彼は駆け出していた。 |
16 あとがき
2012 / 10 / 13 ( Sat ) はい。
微妙に唐突ではありますが、ここで16終わりです。 何ともまとまりの無い回でしたねー 次回からもっと洞窟とか山とか 山! 山! の迫力を表現できないか考えていますが、もしかしたらヒューマンドラマがどろっどろになるかもしれませんので保証はできませなんだ。 では続きは読み終わった人からどうぞー |
16.g.
2012 / 10 / 12 ( Fri ) (そんなこと、私が知りたい)
ミスリアは壁際のゲズゥを見た。相変わらず彼はどこへともなく視線を宙にさまよわせている。 おそらく自分たちの生死のかかった問題だと言うのに、ゲズゥはまるで気にしている素振りを見せない。 (何か対策を練っているならいいけど……いいえ、他力本願ではダメ。私も考えないと) 考えあぐねて弱気になりそうな自分を心の中で叱咤する。 「お前ら、東から来たんだろ」 ふいに声をかけられて、ミスリアは顔を上げた。 「そうですけど」 特に躊躇せずに答えた。 最初に会った時と比べ、刺青の男に対する恐怖心は大分薄れている。隙あらばこちらを威嚇してきた他の男たちと違い、まとめ役たる彼は必要以上に関わってこなかった。ゲズゥを殴ったあの一回を除けば、暴力も振るわない。 彼の言葉の発音が割とはっきりしているのもポイントである。 (それにしてもこの人は、いきなり何を確認しているのかしら) 互いに遭遇した地点を思えば、ミスリアたちが東から山脈を進んでいたのは明白だったはずである。 「じゃあ知らないか……」 「何をです?」 「あー、気にすんな」 訊き返しても、彼は返事を濁しただけだった。最初からこんな話が無かったかのように煙管に夢中になっている。 しばしの静寂が訪れた。 今のやり取りにどういう意味があるのか考える気力が無いので、言われたとおり気にしないことにする。 ミスリアはゲズゥの傍へ近寄り、隣良いですか、と訊いた。彼は何も言わずに目配せを返した。 「なあ、呪いの眼って色々邪推されちゃいるが……実際は何の特殊機能も無いんじゃないのか」 煙管を口元から離して、刺青の男は訊ねた。 問われたゲズゥはすっと目を細めた。左目は黒い前髪の後ろに隠れていて見えない。この反応では肯定しているのか否定しているのか、推測できない。 またしばらく、静寂が続いた。 やがて奥の通路から誰かが出てきて、刺青の男を呼んだ。南の共通語ではなく、彼らの独特の言語で話し合っている。 「んじゃ、呼ばれたんで行くぜ。ああそうそう、オレはイトゥ=エンキ。気が向いたら覚えてくれよ」 さっさと歩き去る彼の背中に向けて、ミスリアは「はい」と答えた。 そして数秒経つと、自分たち以外には見張りの人しか居なくなった。 ミスリアは小さめの声で、ゲズゥに話しかけた。 「昔のお友達とお会いできて、良かったですね」 もっと根掘り葉掘り訊いてみたい衝動を抑えてそれだけ言った。何となく、両手を組み合わせる。 「…………別に」 ゲズゥは、ほう、と煙たい息を吐いた。やはり変な臭いの煙である。 「嬉しくないんですか?」 「アズリのおかげで客扱いに格上げされたのは好都合だったが、別に俺は、再会してもしなくてもどっちでも良かった」 「仲良そうでしたのに」 「……お前にはそう見えるのか」 「はい?」 それは仲良さそうに見えて、実は違うという意味だろうか。訳がわからずにゲズゥを見上げると、彼は何かに気付いたように片眉を上げた。 「お前、首」 ゲズゥは自分の首回りをぐるりと指さしている。 「首?」 「いつも付けてるヤツが無い」 「いつも付けてるヤツって――あ! アミュレット!」 首回りに触れてみると、確かにいつも身に付けているそれがなくなっているとわかった。体中を見回しても、何処にも見当たらない。お風呂の後に着替えた寝巻き兼用のこのワンピースにはポケットが付いていなかった。 脱いだ衣類と一緒に置いたのかもしれないけれど、半ば脱がされたようなものなので記憶に無い。他の貴重品はバッグに入れて手に持っている。その中を見ても、やはり無い。 来た道を戻ろうとミスリアは歩き出した。 「どうやって探す気だ」 「それは……多分大丈夫です」 振り返らずに答えた。 あのアミュレットとは強い縁で繋がれているので探すだけなら簡単である。 走り出したら、柔らかいものとぶつかった。 「あら」 自分よりも高い位置にある、サファイヤ色の双眸と目が合った。 「ヴィーナさん」 「急いじゃって、どうしたの」 おっとりとした口調で、彼女が問いかける。 「ちょっと忘れ物を」 「高価な物と思われて、既に盗まれてそうだな」 「高価ではありますけど! それだけじゃなくて、大事な物なんですっ」 「ふーん? そう、頑張ってね」 ヴィーナがミスリアの失くし物を取り戻す手伝いを申し出ると期待した訳ではなかったけれども、それにしても、まったくどうでも良さそうに笑っている。 ならば、ゲズゥに一緒に来てくれと頼もうか検討する。 「ゲズゥ、ちょうど良かったわ。久しぶりに一杯どうかしら」 「…………ああ」 「とっておきのラム酒があるのよ。好きでしょう――」 そんな会話が交わされている横で、ミスリアは諦めた。 (自力で取り戻すしか無いのね) 億劫な気持ちになるも、あれが無いと聖女としての力をほとんど発揮できない。 ミスリアは二人に背を向け、再び走り出した。 |
16.f.
2012 / 10 / 09 ( Tue ) ようやくヴィーナが離れると、二人の唇の間に糸のようなものが引いていた。
微笑む彼女に対してゲズゥはいつもの無表情に戻っている。 (何なの……?) またしても頬が紅潮する。 「彼は私の友人だわ。あの人が帰るまでは客としてもてなしましょう。そちらの可愛いお嬢さんも、ね」 美女の有無を言わせない微笑に気圧されてミスリアは首を縦に振った。展開の速さにもう頭が付いてきていない。 「姐さんがそう言うなら構いませんよー」 不満そうな表情を浮かべる他の男たちと違って、刺青の男だけはにっこり笑って同意した。 彼は短刀を懐から取り出し、ミスリアたちの縄を切った。 「最終的に二人をどうするかはあの人が決めるけどね。お嬢さん、名前を教えてくれないかしら」 「……ミスリア、です」 「ミスリアちゃんね。ユリャンへようこそ。迷路みたいな洞窟だから迷子にならないように気をつけてね?」 ヴィーナはミスリアへ向き直り、手を取って引いた。 彼女の柔らかい手が暖かい。 「はい……」 誰かと手を繋ぐなんて子供の頃以来で、反応に困る。 「アナタたちの事情はあとでゆっくり聞きましょう。ねえ、お風呂入るわよね? お湯沸かさせるから」 しどろもどろと答えるミスリアをよそに、ヴィーナはどんどん話を進めていった。 ――気が付けば、ミスリアは数人の女性に背中を流してもらっていた。 冷たい石の床を足の裏に感じながら、熱いお湯が全身を火照らせている。 お湯が流れる内に、床も次第に暖まった。ミスリアは足の指を動かしたり伸ばしたりした。 (何でこんなことに) 最初は抵抗しようとしたものの、数分で諦めた。女性たちの笑顔と、蓄積された疲れに屈したのである。旅とは疲れるものなのだと、実感した。 道中のさまざまなエピソードを抜きにしても連日の移動は辛く、特に山を登るのは初めて経験する苦行であった。 (こんなんで本当に巡礼地に着くかしら……) そう考えながら、少しうとうとしてきた。 またしても気が付けば着替えさせられていて、髪の毛もタオルで乾かされている。 お風呂に入ったのにちゃんと休めた心地がしないのは、始終他人にまとわり付かれていたからだろうか。 「はーい、キレイになったねー」 「ありがとうございます」 ミスリアがお礼を言っても、女性たちはくすくす笑うだけで直接返事をしなかった。 その後、洞窟の中の複数の道が交差する場所に連れて行かれた。壁にいくつか灯りがともされている。 交差点には見張り役の体格の良い男性が居て、その向かい側に刺青の男とゲズゥがくつろいでいる。二人は離れて立ってはいるけれどそれぞれ背中を壁に預け、手に何か煙管のような筒を持っている。 意外な組み合わせなのにその絵自体には不思議と違和感を抱かなかった。 「お疲れ」 改めて聴くと、刺青の男の声がハスキーボイスに分類されるものだとわかった。 男が手を振ると、女性たちは笑いながら姿を消した。 残されたミスリアはとりあえず会釈をしてみた。すると刺青の彼は、面白がるような表情を浮かべて小さく会釈を返した。 「二人で話をしていたのですか?」 「や、別に話はしてねーよ。並んで吸ってただけ」 「はあ……」 何を、と訊いていいものか迷う。臭いからして煙草以外の麻薬かと思うけれども、煙草すら吸ったことが無いので自信は無い。ミスリアにとって煙草は、そういえば父親が吸っていた、と言った程度の認識である。 「頭はお前らをどうすんだろなー」 煙を吐きながら、男はひとりごちた。 |
うき
2012 / 10 / 08 ( Mon ) 雨季になると大雨が降って素敵な音とかにおいとかしますよね。
雨が降ると涼しいというか寒くなって大歓迎です。 でもホテルのインターネットが大概ダメになるのは困ります^p^ えーと、次回更新は大方書きあがってますが仕上げとか推敲が残ってますので数時間後か明日になるかしら? |
16.e.
2012 / 10 / 03 ( Wed ) 優雅な佇まいだ。
ヴィーナと呼ばれた女性は、腕を組んで微笑んでいた。第一印象では、妖艶さと包容力を併せ持った微笑みに思えた。 二十代かもっと上なのか、年齢が推測しにくい容姿だ。 彼女の形のいい眉毛と長い睫毛の下には、輝くサファイヤ色の瞳があった。 鮮やかな口紅や、目の周りの薄紫をベースとした派手な化粧が良く似合っていた。 銀みがかかった紺色の長い髪は複雑に編んで頭の左側にまとめ、宝石の付いた簪を挿している。右に垂らした一房の髪は丁寧に巻かれている。 「こっちが収穫? 私はヴィーナ、よろしくね」 女性はミスリアに接近してきた。 花と果実を思わせる甘い香りがふわっと広がり、眩暈がする。 (すごい格好……) 全体を通して、凹凸のはっきりとした、女性的な線を強調した服装である。 ヴィーナは短い袖の、パステルグリーン色のドレスを着ていた。ぴったりとした腹部の布は薄いピンクで半透明、そのため白い肌が透けている。フリルの付いた裾が斜めになっていて、一番短い部分では膝が露になっている。 綺麗な鎖骨だな、と思いつつ、大きく開いた胸元に目が止まった。 ミスリアは頬が紅潮するのを止められなかった。 「こんなに幼いんじゃあ私たちには使い道無さそうね」 考え込むように人差し指を唇に押し当て、ヴィーナは「んー」と唸った。 彼女が話すと、ふくよかな唇の動きを目で追いたくなるので不思議だ。白い歯の間に見え隠れする赤い舌も艶かしい。 「競売に出せば良い値が付くかもしれないけど。アナタ、生娘?」 「な、何を――」 あまりに唐突過ぎる問いにミスリアは慌てふためいて、うまく答えられなかった。 「生娘なら高額で売れるのよ。その反応からして間違いないのかしら? で、こっちの男は肉体労働か闘技場に向いてそうね――って、あら?」 ゲズゥに視線を移し、彼の顔を見上げて、ヴィーナは首を傾げた。 「アンタもしかして、ゲズゥじゃないの」 「アズリ」 ゲズゥの声には、信じられないものを見るような驚きの色があった。 (え? また知り合い?) それも今度はすぐに名前を思い出している辺り、前に遭遇したオルトファキテ王子よりも親しい関係だったのではないか。 「今はヴィーナキラトラを名乗っているわ。でもアンタには覚えられないでしょうから、アズリでいいわよ」 彼女は首を傾げたまま、にっこり笑った。 「随分と図体が大きくなっちゃって。四年前も十分大きかったのに、成長期の男の子は違うのね」 「お前はいつの間にこんなところに」 ゲズゥは心底驚いたような顔をしていた。 「一年前からかしら。アンタ、『天下の大罪人』とか呼ばれてるんだって? しばらく会わなかった内に、出世したわねぇ」 「『天下の大罪人』!? マジ、本物?」 「スゲェ! 噂通り若いんだな」 ヴィーナの言葉に、周りの男たちがざわざわと反応した。 「ああ、道理で……」 刺青の男が、顎に手を当てて一人納得した風に頷いている。 (それって出世って呼ぶようなものなの?) ミスリアは疑問に思った。 周囲の感嘆の声からして、どうやらこの人たちの価値観でいえばそういうことになるらしい。 「まぁ、生きてまた会えたのは素直に嬉しいわ」 彼女はゲズゥの頬を両手で包んだ。 背伸びをするヴィーナに合わせるように、ゲズゥが身を屈め―― ――二人の唇が重なった。 (え……?) 何が起きたのかわからず、ミスリアはただ何度も何度も瞬いた。 「えええぇええ!? 姐さん!?」 露骨に動揺を表した男たちを、ヴィーナは無視していた。 この類のことにまったく免疫の無いミスリアは、自分が何を見ているのかすらいまいちわからなかった。 何かがくっついては離れるような音が、卑猥なモノに聴こえて、背筋がぞわぞわする。 よくわからないけど、濃厚な接吻なのは間違いなかった。 |
らくがき天国2
2012 / 10 / 02 ( Tue ) 私もたまには落書きします。単に彼女のヴィジュアルが決まらないと完全には登場させられないというw あと、えびに説明しやすいように。 ↑は最新話で登場した女の人です。 服装と髪型でめっさ試行錯誤しましたけど、おそらく彼女は髪を下ろしてもキャバ嬢みたいにゴージャスな感じになるかと。しかし天パではない。天然ではまっすぐだけど熱した鉄棒(ヘアーアイロン)で巻いてもらってます。 或いはよく編み込んでるから下ろすとそのクセがのこってて巻き毛みたいになる。 服は一応↑に落ち着いてますけど彼女は多分しょっちゅう着替えますw なので衣装他にも考えなきゃ… こっちはえびが描いたセーラー服みっすん。 夏っぽさというかやっぱセーラージュピターっぽい^p^ |
16.d.
2012 / 09 / 30 ( Sun ) 間もなくして姿を現したのは、十人もの男だった。多勢に無勢とはよく言ったものである。輪の形で、ミスリアたちは完全に囲まれていた。
十人くらいならゲズゥには倒せるのではないか、と考えたりもするけれど、素人の考えは当てにならない。それに、目の前の敵を全員倒せたところでまた遭遇しないとも限らない。ここはやはり、山賊団の規模を把握した方が良いのだろう。 「うっひょー、久々のカモだぁ。連れ帰ったら姐さん褒めてくれっかな」 「何で姐さんがお前を褒めンだよ。南を見て来ようって提案したのオレだかんな」 「どうでもいいけど何だこの組み合わせ。珍しくね? 駆け落ち? 兄妹で家出?」 「普通、お嬢ちゃんはこんな危ねートコ居ないよなー」 男たちは余裕綽々と互いにお喋りを始めた。各々、手に何かしら武器を持っていて、隙が無さそうなのは素人の目にもわかる。 彼らは全員、その気になれば簡単に背景に溶け込めそうな濃い緑や紺色の服を身に纏っていた。 先刻言われた通りにミスリアは始終黙っていた。けれども無意識にゲズゥの背に隠れ、彼の灰色のシャツの裾を握った。 「金目の物持ってなさそーだけど」 ミスリアの視界の右端に居る男が、じろじろと嘗め回すようにこちらを眺めている。 「何だっていいだろ。山に入った人間をどうするかは頭が決めるこった」 中心の、十人の内のまとめ役らしい男が前へ出た。多分二十代後半くらいの歳だろう。ゲズゥ程ではないけど背が高く、同じく細身の筋肉質といった体型である。 彼の、顔の左半分の凝ったデザインの刺青が何よりも目に付いた。 刺青の男は直刀をスラッと抜き、その先をゲズゥの顎に当てた。 「お前結構デキるみたいだけど、変な真似しないでくれよ。大人しく付いてきてくれたらヤサシクするぜ。余計な傷も付けないでやるから、どうよ」 「…………」 瞬きの一つすら、ゲズゥは微動だにしない。 「無言は肯定と受け取るぜ。お前ら、コイツの武器一応没収しとけ。んで、二人とも適当に縛っとけ」 刺青の男は武器を鞘にしまうと、顎で仲間に合図した。 「うーい」 近くに居た男二人が手際よく、ゲズゥの腰の短剣と背中の大剣を引き剥がした。 「にしてもデケー剣だなぁおい。こんな形初めて見たぜ」 「重っ……。こんなん振り回せんの?」 男たちはブツブツと呟き合った。 「お嬢ちゃん、そんな怯えなくてもいいぜ。別に殺しやしねーさ。すぐにはな」 背後からそんな言葉をかけられ、ミスリアは震えが増した。縄をかけながら触れてくる手の感触が、気持ち悪い。 ゲズゥを見上げると、彼は気付いて目だけ動かした。何の感情も映し出さない、黒曜石のような右目と一瞬だけ目が合うと、不思議とミスリアの不安も和らいだ。 「アニキ……オレ、この野郎の方、どっかで見た気がするんだけど……」 若い男の一人が難しい顔をして呟いた。 「んー? ムカつく顔だよなあ。オレもどっかで見たことあるような気はするけどな――」 刺青の男は振り返り様に、ゲズゥを殴り飛ばした。悲鳴を上げそうになるのを堪えて、ミスリアは息を飲むだけに留めた。 「ま、その内思い出せばいいってこった」 男は興味をなくしたようにさっさと先を歩いてしまった。 ゲズゥは血の混じった唾を吐いた。 彼はミスリアに向かって、声を出さずに唇だけを動かした。その意図を受け取って、ミスリアは小さく頷いた。 ――「治すな」――それは、聖女だと知られたら面倒が増えると言う旨のことだった。 _______ 二日二晩、連れ回された。 道中、何度か魔物に襲われたりもしたけれど、そこは流石は組織である。十人の山賊は巧みな連携を用いて、あっという間に敵を倒した。いっそ感心を誘う手並だった。 彼らの存在が山中の動物に知れ渡っているのか、熊や山猫に至っては近付いてすら来なかった。ミスリアは洗練された集団の凄さを見せ付けられた気分になった。 そうしている内に、件の洞窟の入口の一つに、一同は着いた。 時刻は既に深夜である。疲弊しきっているのに眠くないのは、それに勝る緊張感からだろう。 林道が途切れるまで山肌を回り、崖を降った所の、岩と岩の間に隠されたような場所に入口はあった。そこにあるとあらかじめ知っていなければ絶対に見つけられないような位置である。 洞窟の中を歩くと、三十分後に広い場所に出た。 冷たく湿った空気が微かな風にかき乱されている。 天井がどこか開いているのか、月明かりが広場の中心を明るく照らしていた。 「ただいまー。ヴィーナ姐さん、いるー?」 刺青の男は見張りの男に手を振った。 「いるわよ」 奥の暗闇の中から女性の声がした。 「お帰り。あの人ならまだ戻ってないわ」 おっとりとした、急がない話し方だった。 シャラン、と宝石やアクセサリー類特有の音を立てて、女性は影から踏み出した。 月明かりに照らされたのは目を疑うほどの絶世の美女だった。 |
16.c.
2012 / 09 / 29 ( Sat ) 吹き抜ける突風に、心臓が縮み上がった気がした。
汗の雫が額から頬を伝った。 時折聴こえる鷹の鳴き声が、やけに大きく鼓膜に響く。 (た、高い――) 後ろを振り返っては駄目だと、ミスリアは何度も自分に言い聞かせた。 (何でこんな、落ちたら気絶も即死も出来ないような微妙な高さなの) きっと内出血でじわじわ死ぬか、獣か魔物に喰われて死ぬか――どの道、まともな最期を迎えられるとは到底思えない。 三日前に決めた通り、ゲズゥとミスリアは山肌に沿って踏み進んでいた―― 「情報によると教団の人間は大体北へ迂回して遠回りするそうです。私はできれば時間がかからない方を望みます。ゲズゥは何かご存知ではありませんか?」 「……確かユリャンの中央辺りに洞窟がある。そこを通れば一週間程度で楽に山脈を抜けられるが」 「が?」 「賊が張っているはずだ。無茶苦茶な通行料を要求されるらしい」 「大金ですか」 「もっと悪趣味だ。前に話していた知り合いが、旅の連れの一人を売られて、もう一人は腕一本失くしたと言っていた」 「そ、それは、困ります」 「山から下りずに南から回れば余分に二週間はかかるだろうが、山賊を完全に退けられるかもしれない」 「ではその行き方で――」 「……そこは、熊か大山猫が出ると聞く」 「熊!? 他に選択肢は無いんですか!?」 「無い」 「そんな……」 ――結果、南へ進むことになった。 道と呼べるような道はほとんど無かった。二人は腰まで来る長い野草を踏み分け、時には岩を登り、山肌を覆う森を突き進んだ。 幸い、これといった野獣や魔物には遭遇していない。その点を不審に思うべきかどうかはまだわからない。 ふと、ミスリアが足を踏み外した。 何か掴める物を求めて両手を振り回したが、運悪く何も無かった。 (落ちる――!) 最悪の事態を恐れて目を閉じるものの、体は宙に浮かなかった。代わりに、手首が強い力で掴まれた。 目を開くと、ゲズゥの左右非対称の目と視線が絡み合った。 「ありがとうございます」 思わずお礼を伝えた。 ゲズゥは片手でミスリアを引っ張り上げ、次いで両手で抱え上げた。足首を器用に樹の根に引っ掛けて体重を支えている。 ミスリアを腕に抱えたまま、彼はまた歩き出した。慌ててゲズゥの首に腕を回すと、汗が手に付いた。お互い動き回っているせいで体温が上昇している。 (今更だけど、やっぱりこれは恥ずかしいわ) 勿論、その為の供でもある。ミスリア一人だったら目的地へ着く見込みが全く無かったであろう旅だ。 (軽々と運ぶんだもの。子供を抱き抱えるのに慣れてるのかしら?) そう考えると納得できそうなものだけれど、どこかイメージが合わない。 草や藪や樹の入り混じった森を進んでく内に、大分標高も高くなっている。 それまで枝を手や短剣で押し退けていたゲズゥが、手を止めた。途端に、道が開いたのだ。 ゲズゥは眉間に皺を寄せて近くの枝を調べるように手に取った。 「どうしました?」 「切り口が新しい。奴らの縄張りは思ってたより広いらしいな」 枝には切られたような痕があった。それは野獣や魔物ではなく、道具を使う人間が、この道を通ったことを物語っている。 「では、熊や魔物が出なかったのも……」 山賊が原因なのだろうか。 「黙っていろ」 ゲズゥはミスリアを下ろし、耳元で囁いた。 耳に熱い息がかかって、ミスリアは反射的に小さく震えた。 「抵抗するな。捕まった方がかえって好都合になり得る。組織の規模や状況がわからないことには始まらない。どの道、今は逃げるのは不可能だ」 低い声が、鼓膜を打った。 「……わかりました。私にはどうしようもできませんから、貴方の判断を信じます」 ミスリアは素直に深く頷いた。 「あまり他人を信じると、いつか身を滅ぼす」 彼はミスリアから離れて、鼻で笑った。 「ゲズゥは私にとって『他人』ですか?」 どうしてそんなことを訊いたのか、自分でもよくわからない。利害が一致するだけの関係だと昨夜言われたのを、気にしてのことだろうか。 一瞬、彼が自分を捨てて山賊の仲間入りを選ぶのではないかと頭を過ぎった。しかしそうなっても、詰る資格が自分にある訳が無い。 ゲズゥは眉を吊り上げるだけで、何も答えなかった。 そして彼がミスリアに背を向けたその時、周囲が一気にざわついた。 |
16.b.
2012 / 09 / 28 ( Fri ) 「魔物に怯えなくていい世界ってさ、どうすれば実現できると思う?」
「怯えなくていい世界……ですか? カイルサィートさん」 「そう。本当は魔物の居ない世界が理想なんだけど、それは人類の歴史とこの世の仕組みを見る限りは不可能そうだから。あと、カイルでいいって前から言ってるんだけどな。敬称も要らないよ」 「すみません」 謝るミスリアに対して、カイルサィート・デューセは爽やかに笑いかけた。 初めて実践訓練で彼と同じ班になった時のことだ。対象の魔物を無事に倒し、浄化も終わったばかりで、全員が帰路に着いた。最後尾で二人並んで歩いていたら、話しかけられた。 同期の中でも幼かったミスリアは、当時十二歳。もともとあまり社交的と言えないミスリアは六つ年上の異性とは話が合うはずも無いと考え、それまで必要以上に口をきかなかったのだけれど。 「ミスリア、君はどう思う?」 カイルの琥珀色の瞳の後ろには理知的な光があった。 容姿や性格が特別目立たない彼は、聖気の扱いに秀でているか戦闘術に長けているということも無く、全ての聖典を網羅している風でもない。ゆえに他の同期生からは注目を浴びない。ところが実践訓練で一緒に組んでみてわかったが、彼はバランス良く何でもできるタイプだ。しかもどうやらかなり頭が良いらしい。 「そうですね。純粋に魔物の居ない世界が不可能だとすると……。『怯え』がポイントなら、『安心』できる世界を造れば良いと思います。いつどこに魔物が現れてもすぐに対応できるように結界や戦力が揃っていれば、人々は守られていることに安心するはずです」 「その考えには賛成。ただ問題は、教団が万年人手不足で魔物狩り師もあまり数が多くないことかな」 「確かに厳しいですね……」 「とりあえずは満たすべき条件を考えてみたんだけど、聞く?」 「はい」 「一つ目は、当然だけど、聖獣の復活。世界から完全に魔物を根絶やしにすることは不可能でも、数を大幅に減らす必要はある。 二つ目は、魔物がよく出現する場所と出現しそうな場所を常に把握すること。といっても出現しそうな場所なんて『瘴気が濃い』と『死人の魂が多く浮遊してる』場所以上に絞りようが無いけどね。それでもう一つ条件があるんだけど……これが可能かどうか、或いは正しいのかすら、僕にはわからない」 「何ですか?」 いつの間にか真剣にカイルの話に耳を傾けていた。 「それは――……」 _______ 回想から戻って、ミスリアは目の前の少年をもう一度まじまじと見つめた。 どうして忘れていたのだろう。カイルが語っていたのは彼自身の仮説でしかなかっただろうけど、現実的で明白な手段だった。去り際に口にしていた「思うところ」も、これに関連していたのかもしれない。 「私には何とも言えませんけれど……トリスティオさん、貴方が求める答えを、知っていそうな人になら心当たりがあります」 今のカイルなら、あれからもっと具体的な対策に辿り着いていたとしても何ら不思議は無い。 「いつか集落を離れる時があれば、聖人カイルサィート・デューセに会ってみてください」 「聖人……?」 訝しげに訊き返すトリスティオに、ミスリアは頷いた。 「わかり、ました……覚えて置くっす」 複雑そうな表情を浮かべている。昨日の今日で、無理も無い。 トリスティオはいつの間にか隣に来ていたゲズゥの姿を見上げ、深々と頭を下げた。 「気を付けて下さい。特に山奥に入ると山賊の縄張りっすから」 「注意します。お世話になりました」 無言の姿勢を貫くゲズゥの代わりに、ミスリアが礼を返した。 「や、こちらこそ」 もう一度互いに礼をして、そうしてあっさりと別れは済んだ。 去り行く少年の後姿を見届けてから、ミスリアは地面に膝を付いた。 失われた命の為に追悼の祈りを捧げ、皆の魂の安息を願った。 それが終わると、今度は自分の願いを心の内に唱えた。 (どうか、私に先へ進む勇気を下さい) ミスリアは聖獣か神々か、それとも亡くなった人間に願いかけていたのかもしれない。自分でもはっきりとはわからない。 隣を見やると、不安や恐怖とは無縁そうな青年が無表情に遠くを見ていた。 「行きましょうか」 ミスリアがぽそっと呟く。 返事の代わりに、ゲズゥは歩き出した。 |