37.h.
2014 / 10 / 30 ( Thu ) 「罪人であっても罪を償うことはできます!」
少女は声を荒げて反論した。 「いいや、無駄だ。一度道を踏み外した人間は二度と元には戻れない。他人が何をしても、本人がどれだけ努力してもだ。私の父だって――……その話は今は関係ないが」 女の瞳がゲズゥへと焦点を移した。 「それにしても! 本当に憶えてないのか。貴様が殺した、私の以前のパートナーは私の師でもあった。任務には常に師匠と二人で当たった。私を憶えていて、師匠を忘れたのはどういう了見だ……!?」 ゲズゥは二度瞬いた。それは自分でも気になり、考えあぐねていた問題だ。憎悪をほとばしらせる女の顔から目を逸らし、武器の山を瞥見した。昨日は女の武器を見た時に思い出したはずだ。 刹那、左の上腕が痺れるような感覚を訴えた。 唐突にわかってしまう。 「……憶えていたのはお前自身じゃなく、鉄球だ。不意打ちで砕かれた骨の痛みを、俺は記憶していた」 ゲズゥは、拷問されたエピソードとやらを本当に全く思い出せない。それが女の妄言だったとすれば謎は解ける。 が、あのスパイクの生えた鉄球は違う。攻撃を喰らったのは一度きりだったが、それだけで醜い傷跡が残った。肉は裂かれ、骨は砕かれた。利き手でなかったのが良かったが、完治までに幾月もかかったのをよく憶えている。 あの怪我を引きずった状態で脱獄にも臨んだのだった。自由の身になり、腕を動かせるようになっても、激痛はなかなか引かなかった――。 「ならばその痛み、もう一度味わえ!」 女がモーニングスターの棒部分めがけて前に出た。伸ばされた腕がフォルトへに掴まれるのを認め、ゲズゥは特に動こうともしなかったが―― 視界の下の方に、ぼやけが生じた。ちょうど胸の前に栗色が散る。 「やめて下さい! 彼に手出しはさせません!」 少女の澄んだ怒鳴り声で、ぼやけの実体が明らかになる。 息が詰まるほどの激情が、一瞬でゲズゥの内側を焼いた。 正体はわからなかった。苛立ちか、焦りか、それとも別の感情か。 頭の中が真っ白になり―― 手足が勝手に動き出していた。 少女の華奢な肩を後ろからしかと抱き寄せた。ぎょっとした顔が振り返る。 「お前は、いちいち、俺の前に、飛び出すな」 一句一言が伝わるように区切って発音し、更には間違いなく鼓膜に響くよう、屈んで耳打ちした。 「ひっ!? ご、ごめんなさいっ」 脳を揺さぶられる程度には伝わっただろうか。ミスリアが腕の中で大きく震えて身じろぎしたので、ゲズゥは満足した。 「危なっかしい」 そう言ってゲズゥはミスリアを己の後ろに強引に押しやった。そうだ、何度目かはわからない。この聖女は何かと危険の方へ飛び出す節がある。 よく思い出してみればいずれも自分を護る為だったのではないか。そう気付くと、益々腹立たしさが胃の奥底から湧き上がる。 「うん、護衛対象が護衛役を庇ってたらいけないよね。僕らには君の怪我を治す力も無いんだし」 随分と楽しそうにリーデンが賛同した。もう一度、ごめんなさい、と謝るとミスリアは暑さにやられた花のように萎れた。それを観察する内に腹立たしさも治まった。 前方では、組織の成員二人が揉めている。 「せーんーぱーいー! ダメですって! 一晩中二人で語り明かして決めた結論を無視しないで下さいよぉ」 「語り明かしてなどいない。お前の我儘に私が合わせているだけだ」 「そういうことでいいですよ、はいはい。も~、だから、事態をややこしくしないでくださいってば」 はああああ、とフォルトへがやたら長いため息をついた。そして女から手を放し、懐を探ってハンカチを取り出した。「作戦通りに行きましょうよ、ね」 「もしかして」 ゲズゥの背からひょっこり顔を出したミスリアが、ハンカチを指差す。 「お嬢さんにいただいた素敵な一枚ですよ~。速攻で洗って焚火の傍で乾かしましたからね!」 「は、はあ……」 誇らしげなフォルトへに、苦笑するミスリア。 |
37.g.
2014 / 10 / 30 ( Thu ) 日の出と同時に出たのもあって、すれ違う相手は少ない。 ゲズゥは今朝の朝飯についてぼんやりと思いを馳せていた。粗びきオオムギだけではすぐに消化し終わって午後までにもたないだろう。来るべき空腹感を先延ばしにするには茶で誤魔化すか、それとも各自持たされている炒ったカボチャの種を少しずつ食べるか。後者にしようと決めたのと同時に、土手の一本道が急に下り坂に変わった。道の左右には針葉樹が生い茂る。坂下は死角であり、誰かを待ち伏せて奇襲をかけるには絶好の場所――そう評するのは自分だけでは無いはずだ。 早速、異変があった。すっかり先頭を歩くことに慣れてしまっている弟が、止まってロバの手綱を従者に引き渡すのが見える。 「一応ここは、おはようとでも言っておこうか?」 警戒心をうまい具合に表に出さずに、リーデンは右手の針葉樹に向けて言い放った。女たちは静かにロバに身を寄せている。ロバは何が何だかわからずに鳴き声をあげる。 「おはようございます~。今日は青空にほんのちょっとの曇り、いいお天気ですね~」 草を踏み分ける音がして、針葉樹の間から人影が滑り出た。ニット帽の男が、昨日と全く同じ人となりで姿を現した。 「一日ぶりですね。覚えてますか~? フォルトへ・ブリュガンドです」 「今日はお姉さんは一緒じゃないの?」 「一緒ですよ~。夜更けまで論争して、やっと話し合いで解決しようって結論に納得してくれました。貴方がたさえ良ければ、先輩の所まで連れて行きますケド」 フォルトへが緩く笑いながら誘う。 「私たちに危害を加えるつもりは無いと言うんですね、フォルトへさん」 「はい! そんなことは決してしません! 組織の応援を呼んだって絶対来ませんから、ご安心下さい~」 「ではそのお言葉、信じさせていただきますね」 ミスリアがそう判断した以上、全員は異を唱えずについて行った。 危険を感じなくもないが、心底では嫌な予感はしなかった。理由は多分このフォルトへにあるのだろう。ゲズゥが昨日の短い時間で分析できた限りでは、純粋な戦闘力は何故か上司よりも部下の方が上だったように感じられた。天性の才能か、五感の一つを制限されているゆえの結果かはわからない。 経験値と戦闘能力のアンバランスに加え、コンビとしても考え方がちぐはぐで、やる気に温度差がある――とすれば、連携が不完全になってしまうのも当然だ。 いざとなれば打ち負かせる自信があった。 やがて、木々が開ける場所に出た。消されてしばらく経つであろう焚火の残骸の前で、昨日の女が胡坐をかいていた。背後の樹に双頭のモーニングスターが立てられている。 「来たな」 「はーい、連れて来ましたよ~」 上司に軽く手を振ってから、フォルトへは振り返った。 「穏便に話し合いが済むように、武器を出して、皆が見える所に置きましょうね~。ほら、この通り」 焚火の残骸のすぐ隣に、奴は己の三日月刀を捨てた。勿論、鞘に収めたままで。「貴方がたもどうぞ~」と奴はゲズゥたちに笑顔で勧める。 舌打ちの後、女がモーニングスターを手に取って立ち上がった。 ――理に適っている。 同意してゲズゥは背中の大剣と腰の短剣を潔く放った。すると女の鋭い視線が、微かに和らいだ気がした。 モーニングスターを含めた武器の山が積み上げられていく。全身凶器のリーデンは袖の中のナイフを取り外し、ブーツまでもを脱いだ。 「腰周りもキラキラしてますよ~?」 「目がほとんど見えないらしいのに目ざといんだね」 指摘されて諦めたのか、リーデンはチャクラムが多数ぶら下がっている帯を外した。腕輪や耳輪も続く。 ようやく全員が身軽になり、輪になっての立ち話が始まった。 「罪人を連れ歩く、その行為も罪と同等だ。聖女、何故そんな真似をする?」 女が正面のミスリアを見下ろして本題に入った。 こうして間近で見ると全体的に幅が広めの、肉付きの良い女なのがよくわかる。顔のつくりも濃い方だ。目や髪の色が暗く、野性的に女らしい、と形容するのが最適かもしれない。身長も女にしては高い。隣のフォルトへより指一本の太さ分には上だ。 それゆえ、ミスリアとの対比が際立っている。 「彼が私に必要だからです」 服装からして村娘にしか見えない小柄な少女が、物怖じしない様子で応じた。 「生きる価値の無い、どん底のクズでもか」 女の冷徹な返しにミスリアは唇を噛む。 「価値ね。君に何がわかるっての」 怒りを隠しきれていない声でリーデンが口を挟んだ。銀髪が逆立ちそうな勢いだ。 「そういう貴様こそ、何だ? 報告には二人で逃亡したとしか書かれていなかったが……何故彼奴らと行動を共にしている?」 「…………」 答える必要は無いと思ったのか、リーデンはそのまま無口無表情になった。 話題の中心であるはずのゲズゥはただ一連の会話を無感動に傍観する。 |
37.f.
2014 / 10 / 30 ( Thu ) 下で待っていた尼僧に案内され、一同は書斎に入った。 多くても定員は十人と言ったところの、こじんまりとした書斎だ。部屋の中心には四角いコーヒーテーブル、それに一脚のソファが添えられている。四方の壁にはびっしりと本が詰められた、天井に届く高さの本棚が並んだ。入り口は暖炉から見て右端に位置している。その暖炉の前には椅子がまばらに置かれ、読書や談笑に向く空間となっていた。 暖炉の前に人影があった。リーデンの従者の女がしゃがんで火加減を確かめていた。普段三つ編みにまとめている紅褐色の髪を珍しく下ろしている。 部屋に人が増えた気配に感付き、女はパッと振り返って嬉しそうに駆け寄る。 「ただいまー。君は相変わらずよく働くね、感心感心」 よしよしと従者の頭を撫でるリーデン。 「ええ、とても助かりましたわ。お客様なのに、料理の手伝いから掃除まで。あまりにも手際が良いので甘えてしまいました」 尼僧も嬉々として褒める。 「あ、マリちゃんてば唇が乾燥してるよ。クリーム持ってる? 僕が塗ってあげよう」 頷き、女はスカートのポケットから掌に載る大きさの陶製の容器を取り出した。リーデンは容器を受け取って蓋を開いた。人差し指で中をまさぐり、掬い取ったクリームを、従者の女の僅かに開かれた唇にゆっくりと塗ってあげている。 そのやり取りを眺めるミスリアが気恥ずかしそうに「仲良いんですね」と呟くのが聴こえたが、リーデンの本質を知るゲズゥとしては、そんな甘ったるい関係には見えなかった。アレはきっと「依存」と結び付く、薄暗い利己的な感情に基づいている。 尼僧の方は笑みという仮面を被っていて心の内を明かさない。 「シスター、よろしいでしょうか。訊ねたいことがあります」 ミスリアが尼僧に声をかける。 「どうぞ」 自身も暖炉に近い席を選びつつ、尼僧は皆に椅子に腰を掛けるように促した。黒装束の裾がラグを擦る。 ゲズゥは座らずにミスリアの席のすぐ背後に立った。リーデンの従者の女も座らずに、また何かの家事に取り組む為に立ち去る。 間もなくしてミスリアは話し始めた――帝都に向かうこと、近くの聖地について知りたいことを。 「ええそうですわ、聖女ミスリア。東の城壁の塔、そして都のすぐ外にある沼地が、帝都周辺の二つの聖地で間違いありません」 「へえ? 沼地は聖獣が水を飲んだとかそういうのだとして、塔にはどんな逸話があるの?」 ミスリアの隣で頬杖ついたリーデンが、興味津々に訊く。 「かつて、大勢の魔物が塔を襲いました……結界は破れる、都が占領されると誰もが危惧し、絶体絶命を悟ったその時! 深夜の地平線から眩い光が踊り出て、魔物たちは次々と浄化されたというのです。裸眼では捉えられないほどに光溢れる聖獣の姿をしかと見たと、当時の衛兵が記述を残しています」 熱く語る尼僧を尻目に、光溢れる空飛ぶサンショウウオの姿だったのだろうか、などとゲズゥは考えた。 「思い出しました、そんなお話でしたね。行ってみるのが楽しみです」 「ええ、ええ。頑張って下さいまし」 聖女と尼僧の談笑は更に続いた。その間、暖炉の薪が弾く様を眺めることにした。 このまま何事もなく次の巡礼地に辿り着けたならいいが、果たしてそうすんなりは行くまい。ゲズゥは対犯罪組織の件を脳裏に浮かべた。 _______ 翌朝、尼僧の手回しでロバを一頭もらい、一行は出発した。 クシェイヌの古城は聖地で観光地である以外には、周りに注意を引く物は何もない。ずっと以前は近くに村や農地があったらしいが、城が機能しなくなってからは放置され、荒廃したという。 |
37.e.
2014 / 10 / 28 ( Tue ) ゲズゥらのすぐ前まで歩み寄ると、ミスリアは睫毛を伏せた。落ち着かなそうに、手袋を嵌めた両手を擦りあわせている。 言葉にし難い感情を持て余しているようだったが、それが何なのかまではわからない。「次に向かうべき場所が……はっきりとはわからなかったんです。映像が多くて、前回のような、これだ! って確信が持てるものがなくて」 「大体の方向は」 と、ゲズゥが問いかけた。 「多分、帝都に近い気がします……」 「帝都かあ、これまた広い場所を選ぶね」 リーデンが指で頭をかきつつ感想を述べる。 「わ、私が選んでいるわけではありません。その、城内の方にも問い合わせてみます。聖地に詳しいはずですから」 「気にするな。とりあえず行けばいい」 「ありがとうございます」 そこで「そろそろ中入ろうか」とリーデンが提案し、一同は螺旋階段を下り始めた。 二十段も下りた辺りでミスリアが口を開いた。 「私が覚えている限りでは、ディーナジャーヤの帝都周辺に聖地は二箇所あったはずです」 「じゃあ順に調べて行けばいいのかな?」 蝋燭台を持って先頭を歩くリーデンが、止まってミスリアを振り返った。 「はい。でも、私自身が訪れないといけないので、手分けして調べたりはできません」 「んん、そういえば聞いてなかったけど、君は聖地で実際は何を調べてるの」 リーデンがまた歩き出した。石の壁に囲まれた狭い階段の間であるため、たとえ顔を背けて喋っていても反響でよく聴こえる。 「それが……」 自信無さげな声が返る。続くであろう言葉に興味があるので、最後尾のゲズゥは階段を下りる足を速め、ミスリアとの距離をなるべく縮めて耳を澄ませた。 「……実は私にもよくわからなくて」 ミスリアが歩を止めて呟いた。 つられて前後の二人も立ち止まる。 「え? そんなんで良いの? 無駄足踏んじゃうんじゃない」 「心当たりぐらいはあるんだろう」 リーデンとゲズゥがそれぞれ言う。 壁についていた小さな右手が、ぴくっと震えた。 「呼ばれる、んです」 静かでありながらも激しさを含んだ囁きだった。 「いいえ。呼ばれるよりも、ひかれる、と言えばいいのでしょうか。声でもなく、言葉での呼びかけでもなく――うまく説明できないんですけど」 ミスリアは俯いて両手を握り合わせた。 「映像が、視る者を誘導する為に視えるものだとするのなら、聖地に残る過去の情報に触れているだけかもしれない……でもそうじゃなくて、『何か』が私個人に直接的に手がかりを『見せて』いるのだと思います」 それらの事実が何を意味するのかをゲズゥはしばし考え、思い至ったままに口を挟んだ。 「聖獣か」 己の放った声が壁に反響するのを聴いた。 返事が返るまでに間があった。 「安息の地に眠る聖獣が巡礼者と意識を……魂と縁を繋げて呼び寄せようとしている。有力な一説ですね」 どこか強張った声でミスリアは応じた。 それはつまり、聖獣は覚醒していない状態にあっても、遠い地に居る他者の意識に入り込む術を持っている、ということになるのだろうか。 「ふーん。なんかわかんないけど大変そうだね」 「そうですね。聖獣を蘇らせるというのはきっと、ただならない偉業なのでしょう」 ――何故そこまで他人事のように言うのか。 気になったものの――結局静寂を保ったまま、三人は階段を下りきった。 ミスリアの登場人物たちはよく階段を上下しながら会話してますけど、現実では話しにくい(+歩きにくい)のであまりしないほうがいいですね(笑) エレベーターばんざい! |
37.d.
2014 / 10 / 24 ( Fri ) 晴夜の満月を仰ぐ少女を包む淡い光が、月から降り注いでいるのか、それとも少女自身から発せられているのか、ゲズゥ・スディル・クレインカティには見分けが付かなかった。 深夜、無人となった屋上庭園の中心で、小さな聖女がパンジーに囲まれて佇むのを彼はただ見守っている。秋から冬にかけて咲く花であるだけに、パンジーたちの生命力と存在感は未だに揺るがない。身長が低く、遠くから見ると常緑種の影に覆われて印象が薄いが、近付いて眺めるとその色鮮やかさがいっそ煩いほどだった。 明るい黄色と黒、薄紫色と白、桃色、オレンジ色――しかし一際目に付いて回るのは渋い紫色の花と、インディゴ。中心の黄色い一点を囲む濃いインディゴ色の花びらが、透き通る青に縁取られている。 まるで色合いそのものが神秘を孕んでいるようで、異様に美しい。ゲズゥにはその美しさが普通の生き物の気配とかけ離れているように感じられた。かといって、魔物の類でもない気がする。 元より建物全体は結界に守られていて、魔物は近寄れない仕掛けとなっているらしい。 ――リィイイイイン―― ふいに耳鳴りがした。 最初は何かの虫だろうかと思って辺りを見渡した。何も見つからないので今度は数歩後ろに立つ弟と顔を見合わせた。リーデンは神妙な顔つきで顎をしゃくり上げる。弾みで、しゃりん、と大きな耳輪が襟巻に引っかかって音を立てた。 視線の先を辿ると、ちょうどミスリアが右手をゆっくりと天に差し伸べている所だった。その仕草はたとえるなら、初めて経験する雨の粒を掌で堪能する子供と似ていた。 十秒も経てば耳鳴りは消えた。 ミスリアは一度頭(こうべ)を垂れ、また顔を上げた。横顔は栗色の髪にほとんど隠れている。唯一見える鼻の頭は、ほんのり赤みを帯びていた。 「――――――――――」 ほっ、と白い息を零した後、少女の唇が耳慣れぬ言葉を綴った。 共通語ではなかった。或いはコイツならわかるだろうか、と思ってゲズゥはリーデンを一瞥した。 「ザンネンながら僕も知らない言語だったよ」 リーデンは小声で応じる。 「そうか」 ならば仕方がない。二人はそれからはしばらく無言でミスリアの行動を見守った。 当のミスリアは十分ほど微動だにせずに、ただ空を見上げたままその場に立留まっていた。 ――雪が降り出しても良いような静かな夜だ。 ゲズゥもなんとなしに空を見上げた。 去年の今頃は自分は何をしていたのか――思いを馳せるも、不思議とまるで思い出せなかった。やはり聖女ミスリア・ノイラートと出会う以前の人生が、遠い昔に感じられる。靄の中ででも生活していたのだろうか。 ふわり、緩やかな風が庭園を吹き抜けた。 鼻の奥をツンとさせる冷風は、微かな花の残り香をも運んでくる。時を同じくして、聖女ミスリアが踵を返す。 「お疲れ様ー」 リーデンがにこやかに声をかけた。 「はい、お待たせしました」 ミスリアも微笑みを返す。急に寒さを思い出したのか、上着のフードを被り直している。 今回は倒れたりしなかったな、とゲズゥは脳内に記録して置いた。 |
37.c.
2014 / 10 / 23 ( Thu ) 「取り乱すな、みっともない」
ユシュハのその一言に、フォルトへからの返事は無い。 彼はマントを翻して走っていた。あろうことかゲズゥから遠ざかり、屋根に向かっている。 (え? どういう流れ?) ミスリアは全員を順に眺めて回ったが、ゲズゥは目を細めるだけで追わない。リーデンは何故か笑っている。 「おいフォルトへ、何の真似だ」 上司が問い質しても部下は足を速めるだけだった。 「こういう真似ですよ」 彼はユシュハに向かって直行する。衝突する予感がしたのか、ユシュハは咄嗟に武器を構えている。だが彼女に体当たりする一歩手前で、フォルトへは方向転換した。ユシュハの肩に手を置いたかと思ったらサッと背後に回り、既に収めた三日月刀を鞘ごと振り上げた。 鞘の装飾が煌めいたかと思ったら、宝石の彩りは宙に弧を描いた。 短い呻き声を漏らした後、後ろ首を殴られたユシュハが前のめりに倒れる。その身体を、フォルトへは空いた右手で抱き抱えて支えた。そして軽々と肩に担いだ。 ミスリアはあっという間に過ぎた出来事を、口を開け放したまま見守っていた。 「いっやぁ、すみません。教団相手に面倒事はごめんです。これ以上この人が暴れない内に撤収させていただきますね~」 「君の独断?」 ニヤニヤ笑ってリーデンが問いかける。 「付き合いは短いんですけど、自分は先輩をよく知ってるつもりです。常に勝手な人なんですけど、ここまでじゃないハズ……表向きは普段通りでも、やっぱり何か違う感じがします。ちょっと冷静になるのを待ってくれません?」 「待ったら何かいいコトあるの?」 「う~ん、今思い浮かびませんので後でまた訊いて下さい。でも、先輩はともかく自分は貴女方を本気で捕えたいとは思ってませんから。付き合わされてるんですよ~」 フォルトへが頬を緩めて答えた。 「ふーん。聖女さん? 粘る、追う?」 ミスリアは頭を振る。フォルトへとユシュハの意見が食い違っているのは嘘ではないように思えた。 「私もクシェイヌ城にこれ以上の迷惑をかけるのは本意ではありません。お話でしたらまた後ほどお願いします……剣を収めてから」 「わかった。君がそう言うなら」 リーデンは屋根から飛び降り、ミスリアの居る場所まで連絡通路を戻り始めた。途中、意見を乞うように、ゲズゥの前で止まって眉を吊り上げた。 「俺はどっちでも構わない」 何事にも無頓着そうな声が返る。 「やった~。それじゃあ追ってご連絡します~」 場違いなほど明るい様子でフォルトへが手を振った。それから彼は顎に手を当て、ひとりごちる。 「勤務時間外だから自腹で出せって拒否されるかな……まあいいか」 彼は口元に手を沿え、屋上庭園の居る尼僧に言った。 「あの、修理代の請求は組織までどうぞ! お手柔らかにお願いします!」 尼僧は見慣れぬ暴力沙汰に怯えているようだった。女性を強く殴りつけたフォルトへに対し、青褪めた顔で何度も首肯している。 次にミスリアが屋根を見上げた時、「ジュリノイ」の成員たちの姿は忽然と消えていた。 ひとまず安堵のため息をつく。 やがて背後から人の気配が近付いた。 「さて、聖女さま。一から説明して下さいますわね」 「…………はい」 ミスリアは精一杯の愛想笑いを浮かべて、尼僧の方を向き直った。 _______ |
37.b.
2014 / 10 / 17 ( Fri ) ユシュハは更に何か言おうと唇を動かした。風になびく真っ直ぐなショートボブの髪が唇の端に引っかかる。 その髪の一房が、シュッと通り過ぎた鉄の輪に切られ、風に散った。続けざまに押し寄せるチャクラムの弾幕をモーニングスターが弾く。弾き切れなかった二個の内一個は彼女の右脇腹を切り、残る一個は肩口に食い込んで停止した。 しかし刺さった凶器を引き抜く暇も傷口を確かめる暇さえもリーデンは与えない――彼は舞うようにして間合いを詰め、右手から仕込みナイフを出した。 「面白い妄想話をどうもありがとう。お礼に君の綺麗な頬肉を細かく抉ってあげるよ」 「妄想ではない。実際の出来事だ」 笑顔で毒を吐く美青年に対し、心外そうにユシュハは首を傾げた。 黒い球のついた鎖が回転する。棒はうなりを上げ、複雑な軌道を描く。 「だとしたら当事者は覚えてそうなもんだけど?」 二つの鉄球を素早く避けるリーデン。 段々とペースの上がる二人の応酬に、ミスリアの目はついて行けなくなった。 今度はより手前のゲズゥとフォルトへの方に視線を移してみた。 湾曲した大剣と三日月刀が、衝突を繰り返している。 (気のせいかな) フォルトへの方が流れを制しているように見える。まるでゲズゥの次の行動、足が踏み込む次なる位置を、先んじて知っているのかと疑ってしまう。二人の距離に隙間が開く度に、電光石火が如く、有利な位置へと移動している。 「先輩は投獄された貴方に何度も会ったって言いましたよ。以前の仕事のパートナーを殺された恨みがあるそうで。ま、状況的には貴方にとっては自己防衛なんでしょうけど~。覚えてませんか?」 「…………記憶に無い。拷問も、そのパートナーとやらも」 ちょうど三日月刀を受け止めたゲズゥが否定した。そのままフォルトへの手首にとっては辛い角度に三日月刀を曲げさせ、身動き取れなくしている。 擦れ合う刃が軋みをあげる。 「ええ~? それじゃあイジメ甲斐ないです。なんかここまで手応えがないとなるとやる気失くしますねぇ」 フォルトへはガクッと肩を落とした。次いで体勢を低く落とし、回転してゲズゥの呪縛を逃れた。 「ターゲットが忘れっぽいのも考えものですね~。もう今日は帰りましょうよぉ、先輩。目立ち過ぎましたし、これ以上騒ぎになったら……」 ゲズゥの大剣の広い間合いから退いてから、彼は後ろの上司に呼びかけた。 「ダメだ!」厳しい声が返る。「諦めが早すぎる。何でお前はそうだらしないんだ、切り結んだ相手の動きを止めるまでは腕を休めるな!」 「え~。任務じゃないんだからそこまでする必要ないでしょう」 その反論を聞いた途端、ミスリアはハッとなって会話に参加した。 「どういう意味ですか? フォルトへさん」 「えーと、先刻言った通りです。休暇使ってますんで、この件は上に話通してませんよ~。むしろ、教団と摩擦が生じるからくれぐれも追うなって命令を受けました」 「へえ? 私怨を使命と取り違えてる系かな」 見上げれば、リーデンが屋根の上で側転していた。攻撃を避ける動作さえも優雅だ。 「取り違えていない。総ての犯罪者を裁くことが我々の存在意義だ。教団に邪魔はさせない」 獲物を逃した双頭のモーニングスターが瓦を叩いて割った。 「ましてや死刑廃止を説く、当代の腑抜けた教皇なんぞ聞くに堪えん」 「――腑抜け!? 猊下を侮辱しないで下さい!」 ミスリアは瞬時に憤怒の波が全身を駆け巡るのを感じた。 (あの人の強さを、聡明さを、懐の深さを! 何も知らないくせに!) なんて人だ。許せない、許さない。もっと怒鳴ってやらねば―― だがそんな気持ちは男性の絶叫によってあっさり霧散させられた。 「ちょっと待ってえええ! 先輩、さっきの音ってまさか!? まさかじゃないですけど何か壊してませんよねぇ!?」 「チッ。屋根の瓦が何枚か砕けただけだ」 「な、何してくれてんですかああああ! 聖地ですよ、重要文化財ですよ!? 請求書の山が誰の机に回ると思ってんですか!」 「お前の机だが」 「ああもうこの人は! だから別の場所で待ち伏せしようって言ったのに!」 |
生存報告系
2014 / 10 / 15 ( Wed ) 更新待ってる方々すみません~ 明日ぐらいまでお待ち下さい。
余談ですが会社が毎年この時期に無料提供するインフル予防注射と血液検査行ってきました。 問題数値がひとつもないよ! すごく健康だね! といわれて舞い上がってた私。個人記録に記入してみたら、なんと三月に比べてコレステロール値が多少変動、気に入らない方向に…… チッ これはいかん、食生活改善と運動量UPだ。 ここ二週間は特に運動サボりまくってたぜ…。先週は外食も控えめだったから食は悪くないと思うのだけど。やっぱキャベツより白菜行ってみようかな。 とか言っても、やはり平均的な国民よりずっと健康なんですけどねw この程度の数字なんて私くらいしかきにしないレベルw 数字を気にするのが私の性であり職なのです(断言) |
ちょいと脱線
2014 / 10 / 08 ( Wed ) |
37.a.
2014 / 10 / 03 ( Fri ) 旧き信仰とは、ラニヴィア・ハイス=マギンが「ヴィールヴ=ハイス教団」を立ち上げ、大陸中に聖獣信仰を浸透させる以前から存在していた宗派を指す。今でも各地にその残滓を残すも、総数は知れていない。 いわゆる神格階級(ヒエラルキー)の中では神々が総じて「主」であり聖獣がその「御使い」に該当する。 神々が既に地上を去ったと認識されている以上、神々そのものではなく御使いの方を崇めるべきだと人々の見方が変わったのだ。旧き神を信仰してもその加護を受けられるのか疑わしい、が現在の教団と大多数の民の考えである。 だが加護を受けられなくてもいいから旧き神に倣って生きたいと願う者は今も居る。 特にそれが顕著なのは対犯罪組織「ジュリノイ」だと言えよう。 彼らの主神たるジュリノク=ゾーラは裁きを象徴し、罪を犯す者には同等以上の罰を与えるべきと説いた―― (――はずよね、確か。座学の内容なんてあまり覚えてないけど) 聖女ミスリア・ノイラートはまだ急展開に頭がついていけず、思考の脱線は現実逃避でもあった。 現在地はディーナジャーヤ帝国領土内、ヴィールヴ=ハイス教団が保護する二十九の聖地が一つ、クシェイヌ古城の屋上。 そこで出会った、目が不自由な男性に頼まれて別棟に向かっていたはずが、彼とその連れは実はミスリアたちを捉えに来たと言う。そして戦闘が勃発し今に至る。 「一体何事ですの!?」 連絡通路での騒ぎに気付いた尼僧が早足に近付く。彼女の背後では、観光客たちが恐怖やら興味やら様々な反応を示している。 「説明は後でします! 念の為、皆さんを避難させて下さい!」 ミスリアは振り向きざまに叫んだ。それから水晶の嵌め込まれたアミュレットを取り出して身分を明かした。 「わ、わかりまし……こ、の場はお任せしてよろしいかしら、聖女さま」 尼僧は少したじろぎ、どもりながらも承った。 「はい」 事態がどう収まるのか正直イメージが沸かないけれど、とりあえず是と答えた。そして戦闘の方に注意を戻す。 ユシュハという女性が濃いパイングリーン色のマントを翻し、腰に提げていた武器を後ろ手に掴み上げているのが見えた。クロスボゥは右の前腕に装着したままだが、折り畳んで仕舞っている。 彼女の攻撃はリーデンの動きを制限できなかったようだ。銀髪の美青年は矢を巧みに避け、ユシュハに接近していた。いつの間にか柱を駆け登り、屋根に跳び上がっている。 リーデンは屋根に飛び乗ったのと同時に右手を光らせていた。 ――ギャン! 飛んできた円形の刃物を、ユシュハが手元の武器を回して防ぐ。 (何!? あの棒) 思わず戦慄した。ミスリアには見覚えの無い凶器だ――両手で構えた長い棍棒の先から二本の鎖が伸び、その鎖の先にはそれぞれ黒い球が付いている。スパイクを生やした、恐ろしき鉄の塊だ。 「女の人がフレイル、しかも双頭のモーニングスターを振り回すなんてね! 物騒なお姉さんだよ」 リーデンが冷めた笑いを響かせる。 その一言に、ゲズゥが反応した。ちょうど彼がフォルトへの三日月刀を弾き、横に跳んで距離を取った瞬間だった。 「双頭のモーニングスター…………ああ、そうか」 「思い出すの遅いですねぇ。貴方はもうちょっと先輩を恨んでても良いと思いますけど~」 フォルトへが軽い調子で口を挟む。 (どういう因縁なの……恨みって) ミスリアには見守る以外にどうすればいいのかわからなかった。 「俺を二度も牢に放り込んだ奴か」 とゲズゥが無機質に言うと、屋根の上の女性は肉付きの良い胸を張った。ここからだと表情までは見えない。 「――そうだ。それだけじゃない、貴様のふくらはぎの肉を細かく抉るぐらいはした」 はじまっちゃいました。「ミスリア」は可愛くない女ばっかり出る…何故……。 だ、大丈夫、ツェレネ(故)&マリちゃんがいる!! <主人公は別枠 |
無事帰還できましたけど
2014 / 09 / 29 ( Mon ) |
【イラスト】いただきもののん
2014 / 09 / 25 ( Thu ) そういえば明日から三日間潜伏(?)します。
去年も行った、例の大規模な現実逃避イベントです。今回は体力温存を図って動き過ぎないように気をつけます。つまらなくなったら速効で創作妄想する予定。 つまようじ様がまたやってくれましたのよ! これが世に残るショタリーデン……! 冗談はさておき、これで17歳と言われても私は納得できますけどね。 携帯のロックスクリーンにしたのは内緒です。 キレイな色合い、ジャラジャラキラキラした服……ホント敵いませんな。私の寂れたイメージじゃなくてちゃんとファンタジーしてますよ。 こちらは文字(と魚)入りバージョン。 |
36.f. + あとがき
2014 / 09 / 24 ( Wed ) 思い出せない。しかし意味するところは何であれ、己にとって不吉であろうことをゲズゥは潜在的に感じ取っていた。刺青のデザインの威圧感にただ当てられているだけかもしれないが。 「いやぁ、ホントありがとうございます。出会ったばかりの人に迷惑かけたくないもんですけど~、貴重な休暇中にこんなとこまで来たんで、立ち入り禁止でも諦めがつかなくて~」 「休暇……ですか?」 「はい! 去年辺りに転職したんですよぉ。縁あって助けた人に『お前素質ありそうだな』って勧誘されまして~」 先頭を歩くミスリアたちが連絡通路を渡り切るまで残り十歩ほどだった。そんな時、ゲズゥは別棟の屋根に人影が上るのを見た。顔はフードに隠れており、全体の輪郭からして女のように思えた。距離はまだ四十ヤード以上離れている。 飛び道具によっては十分に攻撃を仕掛けられる距離だ。ゲズゥは大剣などの装備が音を立てるのも気にせずに歩を速め、先を行く二人との幅を一気に縮めた。 一方、ミスリアは隣の男との会話に気を取られていて状況の変動に気付いていない。 「素質、ですか」 「素質です。でも何のことか未だにわからないんですよね~。実は適当に言ってたんじゃないかって思いますよ。あ、でも仕事は結構肌に合ってます」 「何のお仕事ですか?」 「どう説明するのが良いでしょうか……勧誘してくれた上司を見てくれた方が早いかもです~」 はにかみながらフォルトへが別棟の屋根を指差した。全員の視線が指された先に流れる。 フードの女の手が動く―― 反射的にゲズゥは跳んでいた。空中で一回転し、ミスリアを庇うようにして彼女の前に降り立った。 女がクロスボゥから発した矢が、ビュッと風を鳴らしてゲズゥの革靴をかする。最初から誰かに当てる気は無かったのだろう、照準は低い位置に定まっていた。 「君の上司はバイオレンスがお好きなのかな? その刺青どっかで見たことあると思ったら、もしかしてアレじゃないの、某対犯罪組織」 普段と変わらない調子でリーデンが楽しそうに訊く。ゲズゥは振り向かずに話だけに耳を傾けた。 「知ってるんですか、うれしいなぁ」 「うん、だからサッサとその子の手を放してくんない? どうせ君らは罪人以外は傷つけられないでしょ」 「そうなんですよ~。間違ってかすり傷一つでもつけたら、もう始末書地獄でして。ここで彼女を人質にしてあなた方を従わせても良いんですけど、人目につきますし、なーんかそれも始末書コースになりそうですね~」 一瞬、リーデンが左眼をリンクして映像を共有した。ミスリアがフォルトへから離れて連絡通路を後方に下がるのが視え、安堵する。 次の一瞬には、屋根の上の女が駆け出していた。ゲズゥは大剣を構えた。 走る勢いで女のフードがめくれて白い顔が露になった。 まただ。また見覚えがある。この女、何処で会った――? 「国際的対犯罪組織『ジュリノイ』に所属してます、自分はフォルトへ・ブリュガンド……あちらの物騒な感じのお姉さんは先輩で上司のユシュハ・ダーシェンさんです~」 奴が口上を連ねている間に、ゲズゥは通信を送った。 ――リーデン、お前は女の方! ――わかった! この判断は勘からだった。自分が飛び道具を相手にするのが面倒なのもある。弟は特に異論を唱えず、手すりに飛び乗って前に進み出た。 ゲズゥは前後反転してフォルトへに剣の切っ先を向けた。 「ずびばぜん」 いつの間にかまた鼻水を垂らしてたのか、奴はのんびりと袖で鼻を拭いていた。 「自分は、正直あなた方に恨みは無いんですよ。でも上司命令ですから、休暇使ってでも『天下の大罪人』追うって頑ななもんで、仕方なく付き合ってるんです~」 シャリリリ、と高らかな音がした。鉄と銅――剣と鞘が擦れる音だ。フォルトへは腰から三日月刀を抜き放っていた。目測二十インチの片刃の剣、それを胸の前で両手で垂直に構えた。そうしていると手の甲の刺青が正面に立つ者を睨んでいるようである。 「総ての悪事と嘘を見通し、正義を執行する神――ジュリノク=ゾーラ様の御名の下に、ゲズゥ・スディル及びその同行者をまとめて拘束・連行します。なお、既に抵抗の意思が見られるので、直ちに武力行使に移ります~」 垂れ目気味のどこか締まらない顔で奴は告げ終えた。 一秒後には互いの剣が衝突し、ゲズゥの顔前で火花の熱が飛び散った。 今回短かったんであとがきはこの下に入れます。続きは読み終わった人向けー |
36.e.
2014 / 09 / 22 ( Mon ) リーデンも同じ結論に至ったのだと目を見て理解した。 「重ねてずみまぜん。自分、寒がりなもんで」鼻をかむ合間にも男は喋り続けた。「このハンカチ、すっごく柔らかくて花みたいな素敵な香りがします~」 「そうでしょうか」苦笑交じりにミスリアは手を振った。「あの、失礼ながらそんなに目深に帽子を被っているから前が見えないのでは」 「被ってなくてもあんまり見えないんですよ~」 ミスリアの指摘に応じて、男はニット帽を右手の親指に引っ掛けて引っ張り上げた。 現れた双眸の内、右目は病で潰れたかのように濁った色をしていた。 「右目は子供の頃の病でこの通りです。左は一応使えるんですが極度の近眼でしてね~、伸ばした腕の先からはぼんやりとしか視認できないんですよぉ」 「そ、それでは一人で歩き回るのは危なそうですね」 明らかに困惑したミスリアが気遣わしげに言う。嫌なことを訊いたのかと気にしていたようだが、杞憂に終わりそうだった。 「はい~。連れがなんかいきなりどっか行っちゃいましてねぇ。戻ってくるまでは一人でうろうろしてようかと思って~」 対する男は能天気に笑う。どこか緊張感に欠ける態度が、かえってこちらの警戒心を煽る。ゲズゥは二人にそっと歩み寄った。 「実はこんなんでも得意の編み物で生計を立ててたんですよ~。親戚の雑貨屋に置いてもらったりして。編み物は手元が見えてればいいからむしろ近視で好都合なんです~」 男は一時も口を閉じずに勝手に身の上話を始める。 「凄いですね。その帽子もご自分で?」 とミスリアが愛想よく問えば、男はにこやかに頷く。やっと鼻水が尽きたのか、ハンカチを絞って丁寧に折り畳んでいる。 「あ、これ洗って返しますね~」 「よければ差し上げます」 「なんと! お嬢さんはお優しいですね~、まるで慈愛の女神イェルマ=ユリィみたいです」 ミスリアの返事に男が表情を明るくした。大げさですよ、と当人は否定する。 「親切にしていただいて図々しいですが、もう一つお願いしても良いですか~?」 「何でしょう」 「別棟に行ってみたいんでご一緒してもらえませんか? あそこに吹く風は格別に気持ち良くて香りも良いって噂なんですよ~」 別棟という単語にゲズゥの中の警告が反応した。男とはぐれた連れ、敵意を表している気配、それらを結び付けるのは自然といえよう。 ――めっちゃ罠のニオイがするねぇ。 頭の中に届いたリーデンの意見に同意せざるをえない。男の態度や話がまるごと演技で、目標を罠に追い込むのに一役買っているのかもしれない。 ――敢えて飛び込むのも一手だ。手っ取り早く敵の正体を知りたい。 ゲズゥはそのように答えた。罠に飛び込まない限りはずっと見えない相手を気にしていなければならないからだ。向こうが出て来ないのならこちらから行くしかない。 「別棟は一般人は立ち入り禁止だったはずでは」 「そんなに厳しくないと思いますよぉ。ご案内の人、今取り込み中みたいだし」男は右の指で耳をトントンと叩いた。確かに庭園の奥の方で、尼僧が騒がしい家族連れに囲まれて質問攻めにあっている。「誰かに見つかったら自分が猛烈に謝っときますから~」 そこでミスリアが訊ねるような視線を向けてきた。ゲズゥは黙ったまま点頭しておいた。 「わかりました、行きましょう」 「ありがとうございます! 自分、フォルトへって言います。手繋いでも良いですか~?」 「どうぞ。私はミスリアと申します」 フォルトへと名乗った男が求めるままに、ミスリアは右手の指を奴の左手に絡めた。二人は緩やかな足取りで連絡通路の方へ向かう。 もしもフォルトへがゲズゥやリーデンの存在に気付いているとしたら、そんな素振りを見せていない。 レンガを打つ足音をなるべく消しつつ、ゲズゥは二人の後についた。 何かが引っかかる。 今しがた目に入っている、フォルトへの左の手の甲に描かれた刺青だろうか。どうにも薄っすらと見覚えがあるような気がしていた。 両刃斧――通称ラブリュス――に圧(の)し掛かる目。何かの集団の徽章だったのか、或いは先程奴が口にした女神みたいな旧き神への信仰心を表す象徴だったか――。 |
36.d.
2014 / 09 / 20 ( Sat ) ゲズゥは目を瞬かせた。最初は違和感に耐えられなくて左目を頻繁に擦っていたが、コンタクトとやらに段々慣れてきたのか今は落ち着いている。 改めて見回せば庭園は濃い緑が大部分を占めていた。季節の移ろいに合わせて葉をつけては落とす種と共に、冬になっても枯れない常緑植物が植えられているからだ。「……――以上でわたくしからの案内は終了でございます。次のグループが来るまでの間、今から三十分は自由に庭園を回っていただいて結構です。見終わったら逆側の階段を下りて一階に戻って下さいまし。何か質問がありましたらいつでもどうぞ」 尼僧が愛想よく告げると、一同が軽く拍手をした。 観光客は早速四方に散る。屋上から望める丘陵を静かに眺めたり、スケッチブックを取り出してベンチに腰掛けたり、尼僧に質問を持ちかけたり、詩集にペンを走らせたり、庭園の植物を触ったり――楽しみ方はさまざまである。 そんな中、ミスリアは縁に立ち止まったまま庭園の中心を見ているだけだった。なので護衛についてきたゲズゥとリーデンも動かない。 「聖女さんは見て回らないの? さっき聞いた話が真実なら聖獣はこの庭園に降り立って城を浄化したんでしょ」 リーデンが何気なく訊ねた。 「はい、でもナキロスでの経験を思うと……聖地に踏み込んでいきなり倒れたりしても困るので、後で誰も居ない時間にこっそり入れてもらえるよう掛け合ってみます」 そう答えたミスリアの大きな茶色の瞳に、奇妙な煌きが宿った。そういえば城の前に着いた時も何故か恍惚とした表情を見せていた。これは気にかけるべき点なのだろうか、とゲズゥは一考した。 ――ねーねーねー。ちょっといい? 唐突に脳内にリーデンの声が響いたので思考を中断する。言われなくてもゲズゥには何の用件かわかっていた。全く動かずに返信する。 ――……別棟の屋根に一人。はっきりとした敵意を発してる。群れの中にも一人…… ――うん、変な気配が混じってるね。こっちは敵意っていうか好奇心っぽいけど。狙いは果たして君かな、僕かな、はたまた聖女さんだったりして―― 「わっ!?」 誰かの喚き声に続き、観光客の中からどよめきが上がった。何事かと騒ぎの方を向くと、同時に中年女の小さなグループが囁き合うのが聴こえる。「大の男が何も無いところで転ぶなんて……」「情けないですわね」などと、嘲るような言葉だ。 当然、誰もが避けるその一点へと少女が駆け寄った。 「大丈夫ですか?」 ミスリアは白い手袋に覆われた手で、地面に突っ伏した男の肩に触れる。その時点でもう周囲の他の人間の関心は遠ざかって行った。 「ずびばぜんー」 返ってきたのは鼻声だ。男は身を起こし、立ち上がる。中肉中背で灰色のニット帽と長いマントを身に着けた三十歳未満の男だった。木炭と同じ色の巻き毛がニット帽からはみ出ている。他には若干の猫背と広い顎が印象的だ。 「どうぞ使って下さい」 男が顎まで垂らしている鼻水を気にしてのことか、ミスリアはコートのポケットからハンカチを取り出して渡した。鼻水男は素直にそれを受け取った。 マントの下から伸ばされた腕に、籠手(ガントレット)が嵌められているのが見えた。主に民間人が訪れる場所に武装して来るようでは、人畜無害に日々の生活を送っていないのだと予想できる。 ただ者ではないと考えるのが妥当だろう。おそらくこれが、群れの中に感じた「変な気配」の正体だ。ゲズゥは無言で弟とアイコンタクトを取った。 |