十 - c.
2017 / 09 / 23 ( Sat )
「謝りませんよ」
 微笑。十二歳といえど、誰よりも宮中の悪意の波に揉まれてきた公子だ。容易に腹の内を探らせてはくれない。
「お前とアスト兄上のせいで多大な迷惑を被ったわけだが、それとお前を憎むのとは、違うと思っている」
「さすが寛大ですね」
 抑揚のない声が返る。エランは思わず頭をかいた。

 ――腹を立てているのは確かだが、怒りの矛先は、己が内に向けられているのだ。
 それをどうやって伝えるか、そもそも伝えるべきなのか、考えあぐねている。今は自分のことよりハティルだ。

「継承権がそんなに欲しいか」
「欲しくなんてありませんよ、そんなもの」
 少年は低い声で吐き捨てた。何やら聞き覚えのある台詞で、まるで自分と話しているような錯覚に陥る。
 ここに引っ掛かりを覚えたエランは、雨水を吸いつつあるターバンの布を耳にかけた。視界を開くためではなく――右目が使いものにならないのだからそんなことはできない――なんとなく相手に素顔を見せるべきだと感じたのである。

「欲しくないが、手にする必要があるんだな」
「…………」
「沈黙は肯定と同義。だが大公の座を望まないなら、こうまでする動機がわからない。 脚光をさらったアダレムへの腹いせか? アスト兄上と手を組んだなら最終目的は国土の拡大、或いは帝国への報復か」
 末子の名を聞いた時だけ、ハティルが僅かに身じろぎした。

「どうやらアダレムに絡んでいるのは間違いないようだな。お前は、先見の明と視野の広さを持っていると思ったが、こんなことをしでかすとは」
「知った風な口をきかないでください。年に何度と帰らないあなたに、何がわかりますか」
「わからないからこうして探っている」
「――今更何を!」
 突然ハティルが声を荒げた。見上げる双眸は鋭い。一瞬、気圧されたほどだ。

「周りに積極的に関わろうとしなかった非は確かに認める。だから改めて聞かせてくれ。ハティル、お前は何をそんなに追い詰められている?」
 問いの答えが出るまでに、しばしの間があった。薔薇の花びらを打つ雨の音がやけに大きく響いた。
 雨に濡れながら少年の唇が何度も開閉する。

「わかりますか。周囲の期待を一身に浴びて育つ幼き日を。後に生まれた赤子に夢を奪われる虚しさを。けれど何より、自分が当たり前のように受け入れ望んでいたものが――どこにも存在しないのだと知るのが、どれほど苦しいかわかりますか!」
「わかるか」突き放すような見下すような言い草に苛立ち、エランはつい嘲った。「お前は、不幸自慢がしたいだけか?」

 暗に「甘ったれるな」と言ってやった。
 不運のエピソードで競うのは筋違いだが、エランにもそれなりに引き出しがある。察しの良いハティルもそのことに思い至り、乾いた笑いを漏らした。
「……失礼、あなた相手にこんな話は不毛ですね。それに、公子は誰しも一度は『末子』だった……」
 違うんです、と彼は頭を振った。

「選択肢があるから人は迷い、争う」
「それには私も同意見だが。選択肢は自由そのものだ」
 雨音が大きくなっている。互いの言葉を伝え合うには、声を張り上げる必要があった。
「自由は大事です。でも僕はそれよりも、対立の無い世界であればいいと思ってます」
「お前の言う世界はこの国のみを指すのか。わかっているだろうが、アスト兄上を引き込んだからには――」

「大義名分が立つぶんだけいいじゃないですか! 内紛に裂かれるのだけはあってはならない。愚かで醜い、兄弟喧嘩が勃発するよりは! 帝国に挑んだ方がまだ美談になる!」
「美談……!? そんなものは世迷言だ!」
 話がかみ合わなくなった手応えを感じ、エランは拳を握る。
「僕ら兄弟はその危うさに見てみぬふりをしているだけです。いつでも殺し合うつもりで笑い合っている。そうでしょう、エラン兄上。ベネ兄上たちだって」
「…………」
 否定しようにも、できなかった。ハティルは尚もまくし立てる。

「母が同じなのに、同じ側に居るはずなのに、アダレムから遠く離れてしまった。僕は……期待されていると、思っていた。けれど褒める語句を並べながらも、有象無象が求めていた傀儡こそがアダレムだった。御しやすい、駒なんです。そうとわかった時、自分が信じて浸っていた『期待』が、巧妙な嘘だったと理解しました」
「奴らにしてみればお前の聡明さは邪魔だろうな。だがアダレムを幽閉したお前は、その有象無象とどう違う?」
 ちがいませんね、とハティルは額を押さえて笑った。泣いているようにも見えた。雨のせいで判然としない。

「あの無邪気な瞳を向けられる度に――僕はただ一人の弟を、汚(けが)れ潰れる前に救ってやりたいと想い、同時に首を絞めてやりたいと思いましたよ。人の気も知れずに、なんて能天気なんだろうって」
 ――痛々しい告白だった。
 細い両肩を掴んで目を覚ませと揺さぶってやりたかった。かろうじて、堪える。

「あの子は大公になってはいけない。けれど、僕らが表立って対立したら、諍いが長引いてどんな結果を生むか知れない。父上が悪いんですよ。ハッキリしないから」
「ハティル、私はお前が共謀者に何故アスト兄上を選んだのか、わかった気がする。明晰がゆえに慎重になりすぎるお前と違って、思い切りがいいからだ。しがらみをものともしない自由さがあるからだ」

「……どういう意味です」
「お前のそれは合理的な結論に聞こえるが、違う。逃げているだけだ。一丸となってうまくやっていけなくてもいい。共存する努力すらせず、最悪の結末に怯えていていいのか!」
「意外と理想主義なんですね! うまくやっていこうだなんて」
「理想を追い求めるあまり、極論に走っているのはお前の方だ!」
「そう、かもしれません」




頭が痛くなるような会話ばっかりでスミマセン((
作者はヌンディーク兄弟みんな気に入ってます。

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07:17:54 | 小説 | コメント(0) | page top↑
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