七 - h.
2017 / 07 / 24 ( Mon ) 野営地に戻った頃には姫君の機嫌もすっかり直っていた。 不機嫌が一過性ならば、原因を突き止める必要がないというのがエランディークの意見だ。要するに下手に蒸し返したくないのである。森で声をかけた際にセリカが垣間見せた攻撃性は何だったのか。言動が随所で尖っているのは元からだが、知り合って数日、これまでにも彼女が度々表してきた「拒絶」とは一線を画したものだった。 ――突き放すようで、不貞腐れているようだった。 そこまで感じ取っていながら、エランには理由がさっぱりわからない。 命を助けてくれた上に、また会えて嬉しいとも言ってくれた。悪くない感情を抱かれている印象だ。後は「乙女の機微」とやらが、これ以上わかり合うことを阻んでいるのだろうか。 (訊いても、明かしてくれないだろうな) 言葉にされていない想いをあれこれ勘繰るのは無意味だと判じ、エランは思考を中断した。 背中からセリカを下ろしてから、聖女とその護衛だという男に向けて順に会釈する。 黒髪の男は無機質な眼差しでこちらを見上げた。服装も総じて色が暗い――そう観察したところでエランは開口した。 「着替えをいただけないでしょうか。上だけで十分です」 血に汚れてしまった自身のチュニックを示す。男は考えるように数度瞬き、やがて荷物を引き寄せる。中から灰色の衣服を掴み出し、こちらに向けて投げて来た。 「ありがとうございます」 替えの服を手に、エランは木陰に向かう。汚れた方のチュニックを勢いよく脱ぎ捨てて――何故かいつの間にかはだけていたため脱ぐのは容易だった――男にもらった方のそれを着る。身長差から予想はできていたが、裾と袖の丈が余っている。 「お茶どうぞ」 聖女が、セリカに座るようにと笑顔で促している。 エランも輪に加わり、皆で焚き火を囲う形になった。四人が一堂に会するのも初めてだからと、改めて自己紹介を始めた。 「私は教団に属する聖女、ミスリア・ノイラートと申します。彼は護衛を務めてくださっているスディル氏です」 「二人だけで巡礼ですか?」 エランはつい口を挟んで訊ねた。 「いいえ。私たちは帝都ルフナマーリからカルロンギィ渓谷へと向かっていまして……他の仲間が道中にヤシュレ公国に所用あるそうなので、彼らと再び合流するまではのんびり二人で進んでいます」 エランは脳内に大陸の地図を思い浮かべて、納得した。現在地は聖女ミスリアが挙げた二つの地点の中途にある。そして少々の寄り道になるものの、ヤシュレ公国も行路上に位置している。 「ご存知の通り、私はエランと言います。こちらは……」 隣に目配せする。「セリカです」「よろしくお願いしますセリカさん」と、女性同士で微笑みが交わされた。 「詳しい事情は話せませんが、我々は逃亡中の身です」 エランは我知らず声を潜める。 「そうなんですね。私たちを巻き込みたくないから詳しくは話せないのですね」 「察しが良くて助かります。それから、昨夜は本当にありがとうございました」 改まってセリカが深い礼をした。彼女に倣い、エランも頭を下げる。 「どういたしまして。貴方がたはこれからどうするんですか?」 聖女の問いかけで隣のセリカが不安そうな顔をしたかもしれない。その辺りを見極めてから喋るべきだという発想を、エランは持たなかった。 「身を寄せられそうな町を知っています。セリカとはそこで別れて……今後の身の振り方を検討します」 自分が思い描いている段取りを包み隠さず語る。聖女は頷きながら相槌を打った。 隣から、息を呑んだような音がした。 失言をしたのかと思ってエランは己の言動を振り返ったが、引っかかる箇所は無かった。 隣を瞥見する。 セリカが刺すような視線で見つめ返してきた。どうした、と無音で唇を動かしてみたが答えは得られず、公女の表情が余計に険しくなっただけだった。 (言葉にしなければ伝わらない。或いは言うべきか否か迷っているのか) 物申したいような顔をして、何故口を噤んでいるのか。一向にわからない。 「では、そろそろ朝食にしましょう」 聖女ミスリアはそれ以上の込み入った質問をせずに、食事の準備に取り掛かった。炒った木の実と、小型げっ歯類の丸焼きが全員に行き渡る。 「ねえこの小動物、鼠に見えるんだけど」 不快感を隠さずにセリカが呟いた。 「鼠だ」 スディルという男が無表情に肯定する。 「えっ。鼠って、た、食べられるの? 食用に向かない気が」 「旅をしていて、そういつも『当たり』に遭遇できない。肉が獲れるだけ運が良い、大体は鼠でなければリスかアライグマだ」 男は容赦ない現実について淡々と述べた。言い終わるなり、手持ちの丸焼きに無遠慮に前歯を沈めている。 「リスね……アダレム公子が聞いたら泣くかな……」 セリカは尚も気の進まない顔で丸焼きを見つめている。 公宮育ちなのだ、食べる物は概ね上等で、狩る獲物の選別にも美学があると教え込まれているのだろう。気持ちはわからなくもない。エランもルシャンフ領に行かなければ、似たような拒否感を持ったかもしれない。 「アダレムは、泣きそうだな」 セリカはそれには反応しなかった。手元を凝視し、覚悟を決めたように鼠に齧りついている。 やむを得ない。そっけない姫君に話しかけるのはひとまず諦めて、こちらも食事に専念した。 「移動をするなら魔物が現れない昼間が適していますよね。すぐに発ちますか?」 聖女の問いに、エランは首肯した。 「そうですね。追っ手が居ても居なくても、猶予があまり無いでしょう。こうして出逢えたからには、もっとご一緒できれば良かったのですが」 「ありがとうございます、私も同じ気持ちです。でも貴方には重要な差し迫った用事があるようですし、そちらを優先した方がいいです」 人の好(よ)さそうな小さな聖女が破顔する。相手を、奥深くまで温めてくれるような笑顔だ。つられて笑い返した。 それから世情に関する話をしたり、旅に関する助言を受けたりした。 結局、朝食を終えて旅支度を済ませるまで、セリカは一度たりとも目を合わせてくれなかった。 |
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