55.a.
2016 / 04 / 03 ( Sun ) 「一人で行かせたぁ? やばくないか、それ」
青年は中身が半分しか残らない水筒の底を見つめながら声を裏返らせた。聖女カタリア・ノイラートの姿が見えなくなってから五分経った頃、怪しく思って連れのハリド兄妹に問い質したのである。カタリアは用を足しに行ったのかとなんとなく思っていたが、どうやらちゃんとした用事があって離席したらしい。 ハリド兄妹は道端のベンチでくつろいでいる。兄のディアクラは仮眠を取る気なのか、横になってヘッドバンドで目を隠している。その兄に平然と膝枕を提供する妹は、やすりで爪の形を整えている。そんなものを気にするくらいなら弓矢使いなんて辞めればいいのに――と思っていても、報復が怖いので口に出したりはできない。 「大丈夫ですわ。聖女さまだって子供じゃないんですもの」 妹のイリュサが、視線を指先に集中させたまま答える。 「けどあいつ極度の方向音痴だろ」 「たかが往復十分の距離ですよ。昼間ですし治安も問題ありません。アナタ、私たち以上に心配性ではないですか」 今度はディアクラが答えた。わざわざこちらに呆れた眼差しを見せる為に、ヘッドバンドを親指でぐいっと引っ張り上げている。 「や、だって初めて会った時、狭い町中を二時間もさ迷ってたって言うもんだから」 青年が抗議すると、ディアクラは不快そうに目元を歪め、上体を起こした。 「そんな人が居るはずないでしょう。聖女さまは誰かと一緒だと気が緩んで周りを見ないそうですけど、一人で歩く時はちゃんと事前に地図を確認しますし、迷ったら通行人に道を訊ねます」 「んだと、ディアクラ。俺が嘘吐いてるって言いたいのか」 青年は水筒を握る手に力を込めた。不快なのはこちらの方だ―― 「ではアナタでないなら聖女さまが嘘を吐いたとでも? それこそありえない!」 「お待ちくださいな、兄さま」 食ってかかりそうな兄の肩にイリュサが制止の手をかけた。どことなく楽しそうに黄金色の瞳を輝かせている。 「そうではなくて、聖女さまの方が少々脚色をしたのかもしれませんわ」 「なんでそんな必要があるんだよ」 「きっとアナタに構って欲しかったのではなくて?」 イリュサが得意げに巻き毛の黒髪を払いのける。 青年には全く意味がわからなかったが、ディアクラはどこか納得した様子で再び横になった。 「つまり誰でもいいから手を貸して欲しくて、実際よりも話を大きくしたのですね」 「そうに違いありませんわ。根拠はこのわたしの、女の勘です」 「はあ? お前ら何言ってんだ。あいつがそんな計算するかよ。いっつもぽわわーんとお花畑から喋ってるような奴だぞ」 「あら、それはどうかしら。聖女さまだって人の子ですもの。『寂しい』という想いの強さは決して侮れませんことよ、エザレイ・ロゥン」 ふふん、と美女は鼻で笑う。腹が立つことこの上ない。 (…………上から目線かよ) 厳密に言えば上目遣いだ。相手と言動が違えば可愛いと思ったかもしれない仕草である。 しかし言っていることは否定できなかった。イリュサが自称する女の勘とやらは何かと当たるし、今回も何故か腑に落ちるものがある。 (要するに俺はあいつのことを、思い違いしてたと) きっかり五分後に満面の笑顔で帰ってきたカタリアの姿を認めて、エザレイは己が抱いていた認識に自信を失いつつあった。 _______ |
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