52.g.
2016 / 01 / 26 ( Tue )
 吊り上げられた眉、大きく見開かれた瞳に、震える唇。そこには明らかな動揺が浮き出ていた。
 だが敬愛や尊崇とは違う。もっと日常にありふれた感情、そう、懐かしさと――

 ――既視感、だ。

「……ずっと以前にも、似たようなやり取りがあった気がします」男の言葉はゲズゥの観察を肯定した。「あなたには初めて会うはずなのに、どうしてでしょうね」
「どうして、でしょう」
 ミスリアは相槌に迷っている。ぬか喜びをしてそれが相手にも伝わってしまうのが、気が引けるのだろう。

 空気がピリッと痺れた。
 理由を確認するより先に、ゲズゥは動いていた。守るべき対象を背中に押しやり、異変の根源たる男との間に入った。
 同様に行動した弟と肩を並べ、頭ひとつ分は背が低い男を見下ろした。

 白髪の男は、歯軋りしていた。ボサボサの髪や髭を引っ張り、荒い呼吸をしている。血走った目は忙しなくデタラメに動く。
 まるで耐え難い激情を持て余すように。
 髪色のことを除けば二十代後半くらいだろうかと思っていた顔は、いつの間にか老け込んだのか、皺をどんどん増やしていく。

 くい、と腰辺りの服が後ろに引っ張られる感覚がした。
 上着を掴む小さな手から戸惑いが伝わる。どいてやることはできない。攻勢に出るべきか逡巡する――
 が、シュエギという男は急に何かに打たれたように、素早く踵を返した。そうして無言のまま、場を辞した。

 土色の外套が見えなくなるまで、ゲズゥたちは動かなかった。
 ふいに一陣の風が通り抜ける。枝葉が振り回される音が耳に大きく響いた。
 さすがは大陸北部と言ったところか。夏も半ばなのに、涼しい風ばかりが吹く。

「あの…………」
 静寂が戻って数分経った頃、遠慮がちにミスリアが呼んだ。肩から振り向いて、「去った」と一言報告すると、微妙な表情で「そうですか」と応じる。
「ん~、どことなくアブナイ人だったね。兄さんはどう思う?」
 危機が杞憂に終わったのを見届けてから、リーデンも口を開く。

「嘘や悪意は感じなかった」
「そこは同感だよ。でも、真実あの人に過去の記憶が無いなら、どんな悪人だったとしても今は感じ取れないわけだよね」
「あの男は、何かを思い出しかけていた。危うさはおそらく、そこからだ」
 そう答えてやると、リーデンは物憂げな眼差しを傍らの少女に向けた。

「経緯や性質は違うけど、僕も『思い出せない過去』に悩まされたことがあるからなんとなくわかる。深層意識が阻むくらいだから、彼にとってのそれは、多分思い出さない方が良いヤツだね」
「……そうですね。それで人ひとりの精神を崩壊させる結果になるなら――……他人が促していいことではありません」
「あっちの気が変わって、自分から思い出そうとしたなら話は別だけど」
 遠回しにそうなるように仕組んでみてはどうかとリーデンは示唆している。

「彼に会うのは諦めることにします」
 意図を汲み取ったのか否か、ミスリアは小さくため息をついただけだった。
「ねえ、シュエギって人が君のお姉さんと知り合いだったとしても、もしかしたら仲間じゃなくて、害した側の人間かもしれないよ? その可能性は考慮した?」
 聖女と名乗ったのはまずかったんじゃ、とリーデンは声を低くして続けた。「もう会わずに済めば大丈夫だろうけど」

「考えないようにしていたのだと、思います」
「…………余計だったかな」
 珍しく気遣う口ぶりで、弟は遠くを見つめた。まるで助言したことを反省しているように。
 こういった気の回し方に慣れないのだろう。ゲズゥとて同じで、慰める言葉すら持っていない。
 むしろ、どうしてそれが気になってしまうのかも不可解である。

「いいえ。心配してくださってありがとうございます」
 ――総てを受け入れる、少女の微笑み。その奥にちらついた寛容さに、改めて瞠目する。
 それでもミスリアは未だに白髪の男が去った方向を見つめていた。
 他人を思いやって自身の望みを我慢する強さは、実は脆い基盤の上に成り立っている。
 目を離せば、きっと一人で泣くのだろう。と思ったら、手を伸ばしていた。

「え?」
 ミスリアが驚きの声をあげた。大きな茶色の双眸が手元に落ちる。
「ここで手を繋ぐんですか?」
 疑問はもっともだ。人気も無く、視界が割と開けている林の中でははぐれる可能性が低く、手を繋ぐ必要性は無い。

 必要は無くても、放そうとは思わない。答える代わりに、柔らかい手が潰れない程度に、握る力を強めた。
 ミスリアは何故か目を逸らした。頬に微かな朱がさしている。

「僕も繋ぎたいなぁ」
「お前は調子に乗るな」
 深く考えずに脛を蹴ろうとする。リーデンは持ち前の反射神経でそれをサッと避けた。
「えー、理不尽ー」

「リーデンさんもゲズゥと手が繋ぎたいんですか? でしたら左手が空いてますよ」
 ミスリアが的外れな進言をすると、リーデンは笑いを堪える時の奇怪な表情をした。
「ヤメテー、もう子供じゃないんだから。ていうか兄さんは、君としか手を繋ぎたくないと思うよ」
「えっ、どうしてですか?」
「どうしてー、だろー、ねー。あ、でも僕は可愛い女の子の手なら、割と誰でも大歓迎だよー」
「…………」
 耳障りな声で一句一句を歌い上げる弟を無視して歩き出す。疑問符を目に浮かべたミスリアが振り返ると、リーデンはまた可笑しそうに喋り出してついてきた。

 こうして宿に戻るまでの道すがら、次は国内の教団の伝手から探ってみることを、話し合って決めた。
 他の情報源を確立できれば、シュエギという手がかりを心置きなく放棄できる。
 しかしミスリアがあの男に会うのを諦めるつもりでも――また鉢合わせしそうだなと、頭のどこかでは危惧せずにはいられない。

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