48.a.
2015 / 09 / 11 ( Fri )

 ひとまずは、謎の第三者の働きでなんとか兄たちが事なきを得られてよかった。
 通信を通しての報告だけでなく兄が左眼の視界を共有してくれたため、聖女ミスリアの元気な姿も確認できた。これ以上この件に意識を割く必要は無くなったのである。

 これからどうしようか、とリーデン・ユラス・クレインカティはカルロンギィ渓谷の住民に即席で作ってもらった天幕の中、ひとり思案に明け暮れていた。
 天幕の中はほぼ真っ暗だった。思考をするだけなら光は要らないし、むしろ視界に余計なものがあると集中できなくなるからだ。

(まだピースは揃ってない。そんなに難しいアレじゃない気がするんだけど……)
 とりあえず、リーデンは外の会話に耳をそばだてた。天幕の周囲に見張りが数人つけられたのは、果たして大事な解放主(ヴゥラフ)を不届き者からお守りする為なのか、それともこの谷から逃がさない為なのか――。

 しばらく聴いている内に何かしら言葉の意味を拾えた。連中はどうやら、先刻現れた「催促」の者が人里まで来ずに去ったことを不可解に思っているらしかった。催促の化物はそもそももっと間隔を開けて訪れるらしいとのことだ。

(間隔ねえ。ん~……肝心なことをいくつかまだ聞いてないな)
 聞かされていないだけと言えばそれまでのことだ。こちらが質問しても、たまにはぐらかされることはあった。だからと言って、リーデンは気を悪くしない。立場が逆であれば自分は同じ選択をしていたに違いない。

 天幕の外の声が突然大きくなった。入り口の布がめくれたのである。
 次にイマリナが入ってきたため、リーデンは近くの燭台に火を点けた。他の誰かであればいざ知らず、彼女と暗がりで話をするのは困難だ。

「お疲れ。どうだった?」
 そう声かける間に、すっきりとした香りが広がる。蝋に香草が練りこまれていたようだ。
『見た目は聞いてた通り。王子様というより、普通の人。でも、目がきれいだった。ご主人様みたい』
 イマリナは地面の燭台の傍に膝を揃えて腰を落ち着かせた。分厚い三つ編みに結ばれた紅褐色の髪を肩の後ろにどけてから、巧みな手話を繰り出して答える。

「僕に目が似てるって?」
『色や形じゃないの。鋭くて、きっと頭いい人なのかなって、思った。ずるい意味で』
「なるほど、つまり僕に似て信用できない人物ってことね。兄さんの知り合いがまともじゃないのはしょうがないとして、聖女さんもかわいそうにね」
 胡散臭い悲壮感を込めてそう言うと、イマリナがクスリと笑いを漏らした。
 が、楽しい時間はそこまでとなった。再び天幕の布がめくれ、今度はあの五十代の女が顔を出した。

「失礼します、解放主」
 初対面の際と変わらない、落ち着いた雰囲気と知的な眼差し。見たところ女はこの区域の代表者らしかった。少なくとも他にそれらしい影は無い。
 加えて、他の民のやり取りを眺める内に、この都市国はもしかしたら母権制社会なのではないかという考えが頭をもたげている。何せ物事に対する決断力を発揮しているのは、主に年配の女ばかりだ。男はその年齢に関係なく、女の命令に頷いて従うのみ。実に興味深い文化である。

「失礼は別にいいよ、何か用? えっと、なんだっけ……」
 リーデンは言を切った。女の名前をさっき聞いたのに、思い出せない。自身にとってはどうでもいい情報なのだが、好感度を維持する為には多少は気にかけているふりをすべきだろう。思い出そうとしている努力をアピールするため、表情を真剣そのものに歪ませた。

「ヤン・ナラッサナでございます」
 女は優美に胸に手を当て、片膝をつく礼をした。砂色のマントが一瞬だけ翻る。
「そう、ヤンさん。どうしたの」
 煌びやかな笑顔を向けながらも、リーデンは女の腰に提げられていた小さな矢筒を見逃さなかった。

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